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闇夜の烏がジャブジャブ
しおりを挟む「ただいまっと」
サギは桔梗屋の裏庭にピョンと飛び下りた。
今日は昨日よりも小半時(約三十分)は早く帰ってきた。
まだ雨戸も閉められておらず裏庭から縁側を見渡す。
贅沢な桔梗屋は蝋燭も灯油も惜しまずに使うので、まだお葉のいる茶の間や奉公人のいる台所の板間にも灯りがある。
台所の板間では下女中五人と武家娘二人が明日の朝ご飯と昼の弁当の下拵えをしており、若衆三人と小僧四人は貸本を読んだり、おしゃべりしている。
手代三人は湯屋ついでの夜廻りへ行っているらしく姿が見えない。
広間では実之介とお枝が床を述べるおタネとおクキを邪魔するように畳の上をゴロゴロと転がって遊んでいる。
端っこの座敷ではお花が両脇に行灯を照らして熱心に刺繍を刺している。
桔梗屋はいつもと変わりなく暢気に平穏だ。
「よしよし。今日はお花より先に風呂へ入れるぞっ」
サギは縁側をパタパタと湯殿へ向かった。
今日はちゃんと戸口から湯殿に入る。
脱衣場で着物をパパッと脱いでガラリと風呂場の戸を開けると、
「――ふあっ?」
湯船で男子が素っ頓狂な叫び声を上げて戸口へ振り返った。
奉公人は湯屋へ行くので内湯に入っている男子など誰もいないはずだ。
「誰ぢゃっ?」
サギは問い掛けてから相手を二度見した。
草之介だ。
しかも、元の十九歳の細身で美男の草之介だ。
「草之介?お、お前、元に戻っとるぞっ。いつの間にっ?」
サギはまさかという顔をした。
「ああ、サギどんか。そりゃあ訳もないことさ。昼に我蛇丸さんに金煙を分けてくれと頼んだら、快く承諾して届けてくれたよ。ふふんふん♪」
草之介はやっと元の姿に戻れた嬉しさと久々の風呂に良い気分で鼻歌なんぞも出る。
我蛇丸は店仕舞いした昼七つ(午後四時頃)過ぎに桔梗屋へ出前の器を下げに来たついでに金煙を分けた小瓶を二階の草之介の部屋の窓へ投げ入れていったのだ。
「なんぢゃ。そいぢゃ、お葉さんとお前が二階の部屋で晩ご飯の軍鶏鍋を食うとった時はもう元の姿ぢゃったのか?」
「ああ、おっ母さんも『最初から我蛇丸さんに頼めば良かったわなあ』と笑ってたよ。ふんふん♪」
草之介は今まで老けて肥えた姿を自分で見たくも、母に見られたくもないので部屋に灯りを灯すことなどなかったのに今日に限って母子で差し向かいで晩ご飯を食べていたのはそういう訳だったのだ。
「ちえっ、わしゃ骨折り損の草臥れ儲けぢゃっ」
サギはあっちでもこっちでも自分ばかりが馬鹿を見ていて面白くない。
「ふんっ、ま、無事に元に戻れたならええんぢゃ」
サギは気を取り直し、脱衣場から風呂場に入った。
ザバザバと掛け湯をする。
「――えっ?サギどん、お前、すっぽんぽんだったのか?」
草之介は暗くて見えていないのでビックリする。
「当たり前ぢゃ。着物を着たまま湯に入る奴がおるか」
サギは構わずに草之介の浸かっている湯船の真ん中にドボンと飛び込んだ。
昨晩は小町娘のお花、今晩は評判の美男の草之介と一緒に風呂とはなんとも贅沢の極みではないか。
「うわわっ」
草之介のほうは焦ってサギから離れて湯船の端っこに身を寄せた。
「のうのう?指文字の当てっこして遊ぼうぞっ。草之介の好きなものぢゃぞっ」
サギは人差し指で草之介の背中をなぞる。
『は、ち、み、つ』と指文字で書いた。
「うわあっ、とんでもないっ」
草之介からすれば乱暴で小生意気なチビ猿のサギとはいえ十五歳で顔立ちだけは美しい娘と一緒に湯船で指文字の当てっことは。
あの酒乱で嫉妬深い蜂蜜に知られたら只では済むまい。
(蹴り殺されるっ)
草之介は湯船からザバッと飛び出ると逃げるように湯殿を転げ出ていった。
「なんぢゃ、騒々しい奴ぢゃの」
サギは縁側をバタバタと走っていく草之介の足音を聞きながら湯船に「う~ん」と手足を伸ばした。
ともあれ、草之介の件はあっさりと解決したようなので、後は明日の猫魔の虎也の吟味(取り調べ)だ。
「そうぢゃ。アヤツも荒巻鮭のようにグルグル巻きにしてやろうかの」
この前、サギは熊蜂姐さんのところで荒巻鮭にされたから、そのお返しだ。
「うひゃひゃ」
自分が荒巻鮭にされるのは真っ平ご免だが、虎也を荒巻鮭にしてやると考えただけで明日が楽しみになってきた。
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