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女心と秋の空
しおりを挟むその晩。
「軍鶏ぢゃああああっ」
サギは晩ご飯の軍鶏鍋に歓喜した。
富羅鳥山では鳥ばかり食べていたので鳥料理が恋しかった頃合いだ。
「ううううううっまっあああああいっ」
夢中でガツガツと軍鶏を頬張る。
「すっごくコクがあるわな」
「うううう美味いっ」
「おかわりぃ」
お花も実之介もお枝も夢中で食べる。
おタネとおクキはみるみるうち減っていく鍋に次から次へと軍鶏や野菜を追加するのに台所と茶の間を行ったり来たりで忙しい。
「あれ?そういえば、姉さん達は?」
お花は満腹になってからハッと気付いて美根と久良が晩ご飯にいないのはどうしたことかおタネに訊ねた。
結局、オヤツ時にも顔を合わせなかったのだ。
「へえ、お二人は後でわたし共と一緒に晩ご飯を戴くと。お客様ではないのだから奉公人としてけじめだと言わっしゃるのでござりますよ」
おタネはいたく感心した口振りだ。
自称菓子職人見習いのサギと違ってまともに気兼ねということを知る武家娘二人であった。
「ええ?そんなのつまらんわな。せっかく姉さんに色々と話を聞きたかったのに」
お花は口を尖らせる。
「まあ、お城の中のことは訊ねるのも話すのもご法度にござりますよ」
おタネは畏れ多いことだと嗜めるが、
「お城のことなんぞ興味ないわな。姉さんが断ったという縁談の話が聞きたいんだもの」
お花はまるで畏れ知らずに答えた。
そもそも、お花は武家にもお城にもこれっぽっちも関心がないのだ。
「まあ、縁談の話などおおっぴらにご飯を食べながら訊ねるものではござりませぬ。こっそりと密かに訊ねるものにござります」
おクキは自分も知りたいので訊ねてはいけないとは決して言わない。
「んぐんぐっ」
サギはひたすら軍鶏にがっついていたが、
(そうぢゃ。竜胆とおマメにも食わしてやろうっ)
ふいにそう閃いた。
他人にも美味しいご馳走を分けてやろうとはサギもさらにますます成長したものである。
その頃。
美根と久良は台所でせっせと立ち働いていた。
奉公人等も晩ご飯の時分で、まず初めに手代三人が板間へやってきた。
所帯持ちの番頭三人と熟練の菓子職人四人は軍鶏鍋を手土産に自分の家へ帰って食べるのだ。
「――あの、わたくしは奉公人の方々の給仕はご容赦を願いまする」
久良は桔梗屋の奉公人といえ男子と接することは頑なに拒んだ。
吉原にいた時のイヤな経験で男というものを激しく嫌悪しているのだ。
「え、ええと――」
美根は困ったように土間へ振り返った。
下女中三人は軍鶏鍋に掛かりっきりで釜戸の前から離れられず、
下女中二人はお葉が草之介と一緒に軍鶏鍋を食べるというので台所から遠い二階の奥の棟まで料理を運ばねばならない。
「では、給仕はわたくしが――」
美根は男子の給仕などは初めてだが、桔梗屋へ身を寄せるからには慣れねばなるまいと意を決した。
十四歳から男子禁制の大奥の勤めでは男子に免疫がないのでドギマギである。
「あ、あの、ど、どうぞ」
しどろもどろでお盆にのせたご飯を差し出す。
「ありがとうござります」
手代の銀次郎は一礼してご飯を受け取った。
「……」
これほど間近で目にした若い男子がキリッと端正な顔立ちの銀次郎であったので美根は瞬く間にポオッと頬が赤らんだ。
胸がドキドキと高鳴る。
美根はなんとか無事に手代三人にご飯を渡し、お盆を抱えて逃げるように台所へ戻ってホッと吐息した。
美根が今まで身近に接した男子といえば家族の父と弟だけであった。
しかも、父も弟もカエル面である。
美男といえば芝居小屋で舞台の役者を遠目から見るくらいが関の山だ。
今にして思えば、上野の山の花見で風呂敷を拾ってくれただけの若侍にポ~ッとなって十二年も想い続けていた自分はなんと愚かであったのか。
風呂敷の受け取りの際に間近で向かい合って目と目を見交わした相手がたまたま背の高い好男子だったというだけではないか。
(そう、あのお方はさほど端正な顔立ちという訳でもなかったのに――)
あの方、小納戸の馬場馬三郎は芝居小屋で自分の名を名乗ったはずだが、あの時の美根は気が高ぶっていて覚えてもいなかった。
(たしか、ばばばば――とか何やら?まるで思い出せもしないけれど――)
あれほど恋い焦がれた日々が嘘のように呆気なく、馬場の面影は色褪せていく。
世の中にはもっとキラキラと目映い男子がいたのだ。
美根は初めて広い世間へ出て、目が覚めた思いであった。
そこへ、
サギがパタパタと台所へ走ってきた。
「おや、サギさん。おかわりが足りなくなったかい?」
下女中は忙しげに釜戸から振り返る。
「うんにゃ。わしゃ、ちょいと出掛けるから軍鶏鍋を三人前ほど支度してくれんかの?」
サギは今晩もこれから竜胆の長屋へ遊びに行くので軍鶏鍋を手土産にするつもりだ。
「へえ、そいぢゃ、向こうで煮たほうが良いね」
下女中はサギが錦庵へお裾分けを持っていくのだとばかり思って、土鍋に軍鶏、青菜、豆腐、キノコ等を三人前よりもたっぷり入れて持たせてくれた。
「行ってまいりますぢゃっ」
サギは土鍋を包んだ風呂敷を持ってウキウキと台所の水口を出ていく。
「おっと、豆腐を崩したらいかん」
竹垣を飛び掛けて慌てて踏みとどまる。
屋根伝いにピョンピョンと飛んでいくほうが早いのだが豆腐のためにやむを得ず日本橋の通りの人混みをジグザグに縫いながら早足で芳町へ向かう。
(軍鶏ぢゃ、軍鶏ぢゃっ)
まさか、この後、芳町でとんでもないことが待ち受けているとは知る由もないサギであった。
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