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君子危うきに近寄らず
しおりを挟むその夜。
「う~む、う~む――」
我蛇丸は文机に向かってひたすら唸っていた。
文机には児雷也に宛てた文が書きかけで置かれている。
我蛇丸の筆跡は力強くおおらかな達筆だ。
児雷也に大事な話があるので日本橋芳町の恵比寿という茶屋で待っていると書けば良いだけなのだが、
「う~む、ただ用件だけではつまらん男と思われてしまう。いや、実際、つまらん男ぢゃが――」
我蛇丸は先だって富羅鳥山で雁右衛門につまらん男と言われたことが心に引っ掛かっていた。
そこで、気の利いた俳句でも文に添えて風流人を気取りたいという柄にもないことを思い付いたのだ。
「う~む――」
我蛇丸は目を閉じ、しばし黙考する。
秋の宵、月、児雷也の冴え冴えと美しい面、雷雨、卵焼き、
瞼の奥に散り散りに浮かび上がる憧憬をさりげなく句にまとめることは出来ぬものか。
「う~む、う~む――」
しかし、唸れども唸れども一言一句ひねり出せやしない。
「う~む、もどかしいのう」
我蛇丸はイライラと頭を掻きむしった。
「そろそろ夜四つ(午後十時頃)ぢゃわ。まだ我蛇丸は文を書けんのぢゃろうかえ?」
「何をそう悩んどるんぢゃろのう?」
裏長屋ではシメとハトが錦庵の座敷の灯がいつまでも消えやらぬのを訝しんで顔を見合わせた。
障子に文机に向かう我蛇丸の姿が影絵のように映し出されている。
まさか朴念仁の我蛇丸が俳句をひねり出そうとして頭を抱えているとはシメもハトも思ってもみなかった。
「くか~」
親子三人、寝床に川の字で、真ん中の赤子の雉丸は大の字ですでに高イビキだ。
あくる日。
「お帰りやすぅ。児雷也はんに文どっせ。我蛇丸はんからぁ」
浅草奥山で投剣の舞台を終えて帰った児雷也に女中のお糸がクネクネしながら封書を差し出した。
「我蛇丸殿から――」
児雷也は待ち兼ねていた様子で封書を受け取って、廊下を足早に抜けると座敷に飛び込んで封を開いた。
「あの蕎麦屋がここへ持ってきたのか?わし等が舞台でおらぬ間に」
坊主頭の大男が渋面してお糸に訊ねる。
「いいえぇ、ついさっき飛脚が文を持って来はりましてん。すぐ目と鼻の先やのに飛脚を頼むやなんてぇ、けったいな人どすえ」
お糸はクネクネしながらも手早くお茶の支度を済ませて近江屋へ戻っていった。
「ほほお、あの男前の蕎麦屋が児雷也に何と?」
童顔の雨太郎が児雷也に這い寄って文を取り上げ、勝手に読み出す。
「なになに?大事な話があるので日本橋芳町の恵比寿という茶屋へ来て欲しいとな?あの男前の蕎麦屋が?」
勿論、文は存じ奉り候というような候文で書いてあるが雨太郎が要約したのだ。
「あの男前の蕎麦屋が児雷也に大事な話とは何だろうの?うひょひょっ」
雨太郎はてっきり逢い引きに茶屋へ誘ってきた恋文と思い込み、わざとらしい声を上げた。
「おい、待て。怪しいぞ。児雷也、あの蕎麦屋がただの蕎麦屋ではないことくらいお前も分かっとるだろうが?」
坊主頭の大男は文を引ったくって疑わしげにニオイを嗅いだ。
「――ぬぅ?蕎麦つゆのニオイがせんぞ。ホントに蕎麦屋からの文か?」
「アホか。飛脚が持ってきたならニオイなんぞとっくに残っとらんわ」
「なにをこのっ」
坊主頭の大男と雨太郎は児雷也を挟んで小競り合いする。
「ええっ、やかましい。わしが誰にどんな文を貰うて誰とどこで逢おうがお前等の知ったことか」
児雷也は文を取り返し、懐に仕舞うと二人を蹴散らすように座敷を出て自分の寝間へ入ってしまった。
「おい、座長の留守をいいことに児雷也はのびのびと好き勝手する気満々だぞ」
雨太郎が坊主頭の大男に用心を促す。
「ああ。わし等が目を光らせとらにゃならん。明日の晩、芳町の恵比寿という茶屋だったな?」
坊主頭の大男は当然のごとく護衛として児雷也の後にくっ付いて茶屋へ行くつもりであった。
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