富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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芝居小屋

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「ああ、わたくし縮緬ちりめん三枚重ねで参りましたので中へ入ると暑いくらいにござりますこと」

 美根は芝居茶屋の座敷に入ると華やかな暁鼠色あかつきねずみいろの上着を一枚脱いだ。

 芝居見物はお洒落して晴れ着を見せびらかすものなので芝居茶屋でわざわざ何度も着替えをする客もいるほどなのだ。

 縮緬二枚重ねになった美根は地味な黒っぽい紺鼠色こんねずみいろの着物になっている。

「まあ、美根様、わたしにはこんなに華やかな着物をお貸し下さったのに美根様はあんまり地味ではござりませぬか?」

 お桐は自分のほうが派手に目立つ着物では気後れしてしまう。

 美根がお桐に貸した着物は縮緬二枚重ねで、下着は枯草色の金銀散らし、上着は象牙色に金刺繍の松竹梅、帯は金地に深緑色の市松模様である。

 髪は下谷の屋敷で女中が島田髷に結ってくれた。

 お桐は自分が二人の子持ちの後家とは話しておらず、美根はお桐にも嫁入り前のように身支度させたのだ。

「あら、この頃ではこういう黒っぽい着物が流行りと聞いております。伝法とかいうのでござりましょう?ほほほ」

 美根はわざわざ地味な着物になった理由を流行りの伝法と誤魔化した。

 この行儀良さと言葉遣いで伝法も何もないものだが背が高く目鼻立ちのハッキリした美根には黒っぽい着物が似合うのも確かだ。

「まあ、黒っぽい着物が流行りなのでござりますか」

 お桐は田舎暮らしで流行りにすっかりうとくなってしまったかと恥じ入った。

 芝居見物もかれこれ三年半ぶりであろうか。

 以前は流行りの色柄の着物でお洒落して演目が変わるたびに芝居見物へ来たものであった。

 今日は借り着とはいえ久し振りに綺麗な着物を着て元々の自分らしい姿にホッとする。

 お桐は芝居茶屋の華やいだ雰囲気に裕福だった頃に戻ったようにウキウキした。

「そろそろ芝居に参りましょうか?」

「ええ」

 美根とお桐は芝居茶屋を出て、向かいの芝居小屋の西桟敷口から中へ入った。


 一方、

 向かい側の東桟敷では、

 幕臣八人がすでに雁首を揃えて見合い相手の武家娘の到着を今や遅しと待ち構えていた。

 見合いに大乗り気の小納戸の山鹿、猪野、勘定見習いの三人が前列に陣取り、気乗り薄のお庭番の八木、小納戸の馬場、上級旗本の蝶谷は後列に座っている。

 そこへ、

 やにわに向かい側の西桟敷の後ろの戸が開いた。

「――やっ?お出ましのようでござる」

 幕臣等は固唾を呑んで真向かいの桟敷席に注目する。

 二人の女子おなごがしずしずと入ってきて優雅に桟敷席に着いた。

 白っぽい派手に目立つ着物のお桐のほうがどう見ても見合い相手の武家娘と誰もが思った。

「お、おい、美しいではないか?」

「誰だ?武家娘といえば不器量に決まっておるなどと言ったのは?」

「あいや、待たれい。本当にあの席で間違いないのでござろうな?」

 幕臣等は一斉に首を左右にクルックルッと動かして見る。

 真向かいの桟敷席の左側は芸妓連れの旦那衆、右側は子連れの家族で、見合いの武家娘の席ではないことは一目瞭然だ。

「間違いないっ」

「あの美人が見合い相手にござるっ」

 小納戸の山鹿と猪野は手を取り合って喜んだ。

「まさかあんな美人だとは」

「武家娘なのに美人だとは」

「持参金付きで美人だとは」

 勘定見習いの三人は「くうぅ」と悔し涙である。

 申し込んでも百石の勘定見習いでは五百石の小納戸に勝ち目はないので願わくは武家娘がすこぶる不器量であって欲しい、そのほうが小気味好いとさえ思っていたのだ。

「ほおぉぉ」

 見合いは不承不承のはずのお庭番の八木も面喰いなだけに美しいお桐にポ~ッと見惚れた。


「まあ、眺めが良いこと。桟敷席なんて初めてにござります」

 お桐はワクワクと舞台に見入っている。

 その様子はいかにも見合いとは知らずに芝居見物を楽しみに来た武家娘のように見える。

「ほほっ、お桐さんに喜んで戴けてお誘いした甲斐がござりました」

 美根は絵番附で顔を隠すようにして真向かいの東桟敷の幕臣等を観察した。

 思ったとおり、お桐を見合い相手の武家娘と勘違いしたようで嬉々としてこちらを見ているではないか。

(ふふん、どうせ、わたくしは見合いなどお断りするのだから、せいぜい今のうちに無駄なご期待をなされまし)

 見も知らぬ男等から器量を品定めされるなど美根は真っ平ご免なのだ。

 お桐のことを見合い相手と勘違いして申し込んできた男等をことごとく振ってやるのだ。

ざまをご覧遊ばせ)

 美根は絵番附の陰で意地悪く含み笑いをした。


「おい、ほれ、馬三郎」

「あの美人を見さっしゃれ」

 前列の山鹿と猪野がグイグイと背後の馬場の羽織の袖を引っ張る。

「いや、それがしは――」

 馬場は二人の背後で絵番附を見つめたままかたくなに顔も上げない。

「ええい、ここまで来て往生際の悪い」

「騙されたと思って見てみい」

 山鹿と猪野は無理くり馬場を前へ押し出した。


「あ――っ」

 真向かいの西桟敷の美根は唐突に前へ出てきた馬場の顔を見るなりハッとして絵番附を膝の上に落とした。

「――っ」

 東桟敷の馬場も美根の顔を見てハッと気付いた表情になる。

「……」

 二人は芝居小屋の西桟敷と東桟敷でお互いを茫然として見合った。
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