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美根の心根
しおりを挟む「遅参を致しまして――」
さんざんお桐を待たせて美根が澄まし顔でしずしずと座敷へ入ってきた。
遅参をしたと言っているわりには詫びの言葉もなく武家娘らしく気位は高そうだ。
さすがにお城の奥女中をしていただけに立ち居振舞いはゆったりと淑やかで気品がある。
しかし、その器量はといえば父の根太郎によく似た丸顔で目がやたらに大きく鼻ペチャで口が横に広い。
身体付きはずんぐりむっくりの父に似ず、母のお幹に似て痩せて背が高く手足が長い。
なによりも髪は女子の命だというのに美根は赤毛でおまけに癖っ毛であった。
江戸時代からしたら不器量の部類に入れられてしまうが、生まれた時代が二百年も遅ければ可愛い美人のうちであろう。
「……」
美根は美しいお桐を認めると、恥じ入るように顔を伏せた。
自分の容姿に相当な劣等感を抱いているようだ。
「あの、寸法を取らせて戴いてよろしゅうござりましょうか?」
お桐はおっかなびっくりと美根の背後に廻って裄の幅を測った。
「せっかくのお針の腕前も着るのがわたくしのような器量では仕立て甲斐もないことでしょうね?」
美根はそんな自虐的なことまで口にする。
「……」
お桐は困ってしまって返事のしようもない。
「そちらがお召しになれば、さぞやお似合いでしょうに。そのように粗末な着物でも充分過ぎるほど美しいのだから。こんなわたくしが似合いもせぬ上等な絹物を着ているのは滑稽に見えましょう?」
美根はますます卑屈になる。
「――あの、美根様はお嫁入りなさるのがおイヤなのではござりませぬか?」
お桐は遠慮がちに訊ねてみる。
嫁入り支度の着物の仕立てにこれほど頑なな態度なのだからそうなのだろう。
お桐自身、まだ十五歳で二十歳も上の森田屋の番頭との縁談を親に決められた時には自暴自棄な気持ちになった覚えがある。
「え、ええ。それは、勿論、イヤに決まっておりましょう。見も知らぬ相手に嫁入りなど――」
美根は動揺した口振りだ。
「あの、不躾なことを申し上げますが、もしや、美根様には想いを寄せておられる方が――?」
お桐は女の勘であった。
「えっ、どうして?わたくしがそのように見えましょうか?」
どうやら図星であったようだ。
身分も境遇もまったく違えど、お桐と美根は同じ二十七歳。
美根も女の勘なのか、お桐にも何か人に知られたくない秘密を抱えているのを感じ取った。
それで、お桐には気を許せると思い、美根は今まで決して誰にも言えなかった、ある武士への秘めたる想いを打ち明けた。
「わたくしはお城で御仲居として御膳所にご奉公しておりました。その方に初めてお逢いしたのは御膳所に入って三年目の十五の春でござりました――」
美根の目は遠くを、その頃を見ているようだ。
「わたくしは毎年、弥生の宿下がりで奥女中のお仲間と上野の山へ花見に参っておりました。その折り、春風のいたずらに重箱を包む風呂敷が舞い上がって桜木の枝に引っ掛かり、そこへ通りすがりの背の高いそのお方が風呂敷を取って下さりました。奥女中の仲間がそのお方を存じており、お小納戸のお毒見係のお方と教えて下さったのです」
美根は将軍付の御仲居だが、将軍付の奥女中のほとんどが幕臣の娘なので中にはお小納戸に顔見知りもいたのであろう。
「以来、翌年も翌々年も弥生の宿下がりの花見の折りに上野の山でお姿をお見掛け致しました。わたくしはそのお方を秘かにお慕い申し上げておりました」
武家の社会は風紀が厳しく、お互いに独身であっても想いを示すことなど出来ようはずもない。
お城に仕える者同士が恋文を交わしたり、逢い引きでもしようものなら不義密通の罪で武士は切腹ものなのである。
「たとえ言葉は交わさなくとも互いに目と目を見交わすだけで、そのお方もわたくしを想って下さっていると信じておりました。いつか正式に仲人を立てて、わたくしの父に申し込んで下さると心待ちにしていたのです」
「ええ」
「けれど、四年目の花見に突然、そのお方はぷっつりとお出でになられなくなり、それきり、もう十年もお姿をお見掛けしていないのです」
「まあ、それはどうした訳にござりましょう?」
「十年前、その方が花見においでになられなかった年の如月に御膳所のわたくし共はみな何の説明もされぬまま持ち物の取り調べを受けたのです。察するに、おそらく、そのお方はお毒見で毒に当たってしまわれたのではなかろうかと――っ」
そこまで言うと美根は堰を切ったように泣き崩れた。
「ま、まあ、毒――?」
お桐は恐ろしさに身を震わせた。
「ずっと、そのお方のご回復をただ信じて、じゅっ、十年も毎年毎年、花見の上野の山で待っておりましたが、もう諦めなくてはならぬのでしょうか?――け、けれど、わたくしは他の方の元へ嫁ぐくらいなら、尼寺へ、尼寺へ参りますっ――うっううっ」
美根は嗚咽しながら悲壮な決意を表した。
ただ三度の花見で目と目を見交わした武士のために一生、貞操を守って生きる覚悟だとは。
「み、美根様、あたしにお力になれることがござりましたら、どうぞ、なんなりと――」
お桐は貰い泣きしながら、思わず姉のように美根の肩を抱いた。
「――うう――っ」
美根はお桐の肩に顔を押し当てて泣き続けた。
にわかに二人に厚い信頼の情が芽生えたらしい。
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