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桐一葉
しおりを挟む「そいぢゃ、八木殿」
「然らば、また明日ぅぅ」
橋のたもとまでお庭番の八木を見送った帰りしな、
(八木のメエさんの明日の手土産の菓子は何ぢゃろなあ)
サギがニマニマとにやけつつ日本橋の通りを歩いていると前方から見覚えのある女子がやってきた。
「あれ?杉作のおっ母さんぢゃ」
杉作の母のお桐だ。
「まあ、サギさん」
お桐はすぐにサギに気付いた。
小松川まで遊びに来てくれた杉作の仲良しはサギが初めてで忘れようもなかったのだ。
お桐はちょうど桔梗屋を訪ねる途中であった。
「お仕着せのお仕立てをさせて戴くお礼のご挨拶に。それに、あの、まだ寸法も伺っておりませんので――」
下女中は反物を杉作に渡しただけで自分等の寸法を伝えるのは忘れていたのだ。
「そうぢゃ、みんな背格好はずいぶん違うとるからのう。おイソどんは背がこんな高うて、おスエどんはこんな小そうて、おムサどんはこんな丸いんぢゃから」
サギはこんなこんなと手で高さや太さを示しながら言った。
忍びの習いで下女中十人の容姿と名はすっかり把握している。
「こないだは杉作が何か不躾なことを言ってサギさんを怒らせてしまったようで堪忍してやって下さりましね」
お桐はサギと杉作が喧嘩したことを案じているようだ。
「ええんぢゃ。わしゃ、杉作の不躾なんぞ、ちいとも気にしとらん」
自分が悪かったとは決して言わぬサギである。
「杉作は自分からは折れない強情な性質なもので――」
お桐は申し訳なさげに言うが、それはサギもまったく同じだ。
やがて、桔梗屋の裏木戸の前に着くと、
「……」
お桐は襟元をきちんと整えてから自分の着物に目を落として沈んだ表情になった。
元は上等な品であるが着古して色褪せしている。
おそらく三年前から自分の新しい着物など誂えたことがないのであろう。
桔梗屋の下女中が着ているお仕着せのほうが新しく綺麗なだけにお桐の惨めな思いは如何ばかりか。
(杉作の家はよっぽど困っとるんぢゃろうか?)
サギは下女中が話していたことを思い出した。
「のう?杉作の家には病人がおるんぢゃろ?」
わざと知っているような訊き方をする。
「――え?杉作がそんなことを話しましたか?」
お桐は意外そうに訊き返す。
「うんにゃ、杉作からは何も聞いとらん。けど、やっぱり病人がおるんぢゃな?」
「え、ええ、実は、あたしの弟がこの春先に足を痛めまして――」
お桐の弟は二十五歳で名を樺平といい、足を大怪我して千住で療養中だという。
「それで、度々、月に二、三べんは千住へ参るんですが、昨日も千住へ弟の着替えを届けて身の廻りの世話をして、それで昨晩は千住に泊まって、今日、小松川へ帰るんです」
お桐は妙に千住に行ったことを繰り返した。
千住の日光街道沿いにある骨接ぎで名高い名倉は明和七年に名倉直賢が開いた治療院である。
楊心流柔術及び剣術で免許皆伝の直賢は柔術の中から骨関節損傷の治療法「骨接ぎの術」を取得したそうだ。
一日に五百人もの怪我人が大八車で千住の名倉へ運び込まれるといわれ、遠方から治療に訪れる患者のために治療院の周囲には宿屋が何十軒も並んでいた。
入院施設の代わりに宿屋があるようなものである。
樺平はその宿屋の一軒に逗留して治療を受けているのだ。
樺平の治療費と宿泊費がいったいどれほどかサギには見当も付かぬが杉作の家は相当に困っているに違いない。
「そいぢゃ、サギさん、また小松川へ遊びにいらして下さりましね」
お桐は丁寧にサギにお辞儀して台所の水口から中へ入っていった。
(大変そうぢゃなあ――)
サギは裏庭に面した縁側に腰掛けてぼんやりとしていたが、
「あっ、そうぢゃっ」
ハタと思い付いた。
『金鳥』があれば足の怪我などたちどころに治ってしまうではないか。
この春先に負った怪我ならば金煙もちょっとの量で済むし、半年ほどしか若返りもしない。
本人が寝ているうちに気付かれぬように金煙を吸わせてしまえば『金鳥』の秘密も知られずに治すことが出来る。
だが、しかし、
(ううむ)
サギは難しい顔をした。
果たして我蛇丸が金煙をちょこっとばかし分けてくれるかどうかが問題である。
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