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ああ言えばこう言う
しおりを挟む「わしゃ兄さんを見直したなっ」
実之介はすっかり感激した面持ちである。
今まで朝寝坊で遊び好きで怠け者でいい加減な兄とばかり思っていた草之介が日本橋の町を火事から守るために立ち上がったのだ。
「へええ、どしたんだろの?」
お花はまだ草之介の異変には懐疑的だ。
(ふんふん、夜廻りとは願ったり叶ったりぢゃ)
サギは壁に貼られた日本橋の切絵図を頭に入れた。
勿論、サギも夜廻りに付いていく気満々である。
(わしゃ湯屋へは行かんがの)
火の用心の夜廻りという口実があれば夜更けに町をうろちょろしても怪しまれずに済む。
密偵の尻尾を掴むための諜報活動には好都合ではないか。
若い衆が意気揚々と店の仕事へ戻っていくと板間はたちまちシンと静まり返った。
「あっ、お茶っ」
実之介はお茶を取りに来たことを思い出し、
「あっ、小梅を待たせたままだわな」
お花は座敷に小梅をほったらかしてきたことを思い出し、
「あっ、餡ころ餅ぢゃっ」
サギは餡ころ餅のことを思い出し、
三人が大慌てで廊下へ走っていくと、
「サギどん、ちょいと」
草之介が背後から呼び止めた。
(ちっ、草之介め。さては、あのことか)
サギは不承不承に一人だけ板間へ引き返す。
「何ぢゃろ~?」
何の用か察しは付いているがすっとぼける。
「何って、わしが頼んだ書状の清書だよ。昨日のうちに書いておくれだろう?」
案の定、内密の書状の清書の催促だ。
だが、しかし、
サギは清書しようにも草之介に渡された下書きをどこかへ落として失くしてしまっている。
「――へっ?書状の清書?何のことぢゃろ?そんなもの頼まれた覚えなんぞないがのう」
サギはしらばっくれる。
「な、何を言うとる。ちゃんと頼んだであろうが?」
草之介は苛立たしげにサギに詰め寄る。
「そりゃ、いつ何時ぢゃ?場所はどこぞぢゃ?」
サギは童に有りがちな口答えをする。
「えっ?ええと、そうっ、一昨日だっ。カスティラの目出度い当て字の『カ』を書いておった時に頼んで、サギどんは『可』と書いて引き受けたではないか?」
「そりゃ、カスティラの『カ』の当て字の『可』ぢゃろ?」
サギはしらばっくれる。
「う、むぅ、ええと、そうだ。お前が広間でコロコロ転がっておった時に下書きを渡しただろうがっ」
草之介は詰め寄る。
「ふうん?たしかに一昨日、わしゃ広間でコロコロ転がって遊んでおったがのう。書状の清書など頼まれた覚えはないのう。若旦那の思い違いぢゃろ」
サギはしらばっくれる。
「そ、そんな、思い違いなんぞであるものかっ。たしかに書状の清書を頼んだぞっ」
詰め寄る。
「当のわしが頼まれた覚えがないと言うとるんぢゃから、若旦那は頼んどらんのぢゃっ」
しらばっくれる。
「たしかに頼んだっ」
双方、譲らず。
(むむう、わからんちんめがっ)
ここで、おめおめと引き下がるサギではない。
草之介をキッと睨み付け、
「そいぢゃ、聞くが、若旦那の物覚えはどれだけ確かなんぢゃろのう?ええ?一昨日の晩ご飯のオカズは何ぢゃ?ほれ、言うてみいっ」
ピシッと指差して返答を迫る。
「――え?一昨日の晩ご飯のオカズ?」
草之介は頭の中が真っ白になった。
そういえば一昨日は茶屋遊びに行かずに珍しく家で晩ご飯を食べたのだ。
「え、ええと――」
思い出せない。
一昨日の晩ご飯は特別に目出度いの鯛だったというのに草之介はコロッと忘れていた。
日頃、料理茶屋でご馳走ばかり食べている草之介には鯛など珍しくもなかったのだ。
「ほれ、見たことかっ。一昨日の晩ご飯のオカズも覚えとらんくせに、よくもヌケヌケとわしに清書を頼んだなどと戯言を抜かしおったなっ。やっぱり若旦那の思い違いぢゃろうがっ。どっおせ寝惚けとったんぢゃろうがっ」
サギはここぞとばかりに強気に攻める。
「う、う、うう、ん」
草之介はサギの猛威にたじたじとして、だんだんと自分の思い違いのような気になってきた。
元より学問嫌いで物覚えにはからっきし自信がない。
「ま、思い違いくらい誰にでもあることぢゃ。気にせんでええぞ」
サギは草之介を煙に巻いて勝ち誇った。
小さな頃から忍びの習いでこういう小狡さはしっかりと身に付けているのである。
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