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食い気より色気
しおりを挟むその頃、桔梗屋では、
「ほら、あたいもとべるわな」
裏庭でお枝がニョキニョキ草をピョンピョンと飛んでみせていると、
「ご免下さりまし」
半玉の小梅が竹垣の向こうから顔を突き出した。
小梅は少し前から裏木戸の外にいたのだが、先客の八木がサギと出ていくのを見届けてから声を掛けたのだ。
「あれ、小梅、久し振りだわなっ」
お花は嬉しげに小梅を裏庭に面した縁側へ手招きする。
「ねえ?あたしゃ、さっきまで錦庵にいたんだけどさ。ひょっとして、おクキさん、夕べ錦庵にお泊まりなのかえ?」
小梅は下駄を脱ぐ間も惜しいように縁側に座り込み、ソワソワと話を切り出す。
「あれ、どうして?おクキがそう言うたのかえ?」
お花も縁側に並んで座って小梅の顔を覗き込んだ。
「ううん、おクキさんはハッキリとは言いやしないんだけどさ」
小梅はつい先刻の錦庵での一件を話して聞かせた。
いつもどおりに開店早々、錦庵にやってきた小梅と松千代が小上がりの座敷へ着くと、
「まあ、暖簾を出すまでに戻るつもりがつい遅うなりましたわいなあ」
おクキが水口からバタバタと調理場へ駆け込んできた。
そして、一際、声を高めて、
「けど、昨日と同じ着物で店へ出るのも決まり悪いし、いったん桔梗屋へ着替えに帰って参りましたわいなあ」
座敷の松千代にまで聞こえよがしに言ったのである。
「へええ、ハッキリと言わんで意味深に言うたもんだわな」
お花はおクキがわざと松千代が錦庵に来た頃合いを見計らって戻ったに違いないと思った。
「うん、すぐにピンと来たよ。おクキさんは毎日毎日、違った着物でめかし込んでたのに昨日と同じ着物だなんて泊まった以外にないってさ。あたし等、芸妓は商売柄、いつだって他の女の着物にゃ目ぇ光らせてんだから」
それから、おクキは、
「あれ、イヤだわいなあ。ほほほ」
わざとらしくモジモジとし、勝ち誇り顔し、高笑いし、
「キイーッ」
ついに松千代は癇癪を起こし、蕎麦を食べもせずに帰ってしまい、小梅は小唄の稽古もそっちのけに桔梗屋へ直行してきたのだ。
「そしたら、おクキはまんまと恋敵の松千代姐さんを出し抜いたという訳だわな?それにしても、おクキはどうやって我蛇丸さんを落としたんだろの?」
お花は好奇心いっぱいに目を輝かせる。
「う~ん、あたしゃ、ちと信じらんないのさ。我蛇丸さんって女にゃ興味なさそうだったし。かといって、先にあたしが幼馴染みの大黒屋の久弥って陰間を勧めた時にも興味なさそうだったけどさ。久弥は陰間では一番人気だってえのに」
小梅は足組みして浮いた下駄をブラブラさせる。
「だって、おクキはなかなかの美人だえ?」
「なかなかの美人ねえ、そんなもんで落ちるもんかえ?我蛇丸さんってあたしの悩殺の笑みにもビクともしない男なんだよ?」
小梅はどこまで自信満々なのか。
「おりょりょ」
さしものお花も舌を巻く。
さすがに小梅は『男殺し』と異名を取る芸妓の娘だけのことはある。
そこへ、
「ただいまっと」
サギが重そうな風呂敷包みを背負って帰ってきた。
「サギ、久し振りっ」
小梅が嬉しげに手を振り上げる。
「あれ、小梅ぢゃあ。ちょうど良かった。オヤツぢゃぞっ」
サギはよっこらせと下ろした風呂敷包みを開いた。
羽衣屋と記した掛け紙の付いた折り箱が積み重なっている。
「わあ、羽衣屋の餡ころ餅っ、大好物っ」
小梅は手を打って喜ぶ。
お花より贅沢なものばかり食べ付けている売れっ子半玉の小梅が喜ぶほどの名高い餡ころ餅らしい。
「これは途中で八木殿が手土産に買うてくれたんぢゃ。今日は手ぶらでお邪魔して昼までご馳走になってしまったので申し訳ないと言うてのう」
「へええ、やっぱり、お侍さんは義理堅いんだわな」
お花は感心して大量の餡ころ餅の折り箱の眺めた。
サギは厚かましく八木にきっちりと桔梗屋のオヤツの人数分の四十三人前を買って貰ったのである。
「そいぢゃ、他のみんなの分を渡してくるっ」
サギはまた風呂敷包みを背負って縁側を走っていく。
「サギ、お茶を持ってきてくれるように言うとくれ」
お花がサギの背中に向かって声を掛ける。
「おうっ」
返事が聞こえた時にはサギの姿はとっくに縁側の角を曲がって見えなくなっていた。
「もぉ、サギは色気より食い気でな、惚れたはれたの恋の話よりオヤツに興味津々なんだわな」
お花はやれやれという顔をして餡ころ餅の折り箱を一つ、小梅に手渡した。
恋の話にはサギはまるっきり役立たずなので小梅の来訪を待ち兼ねていたお花である。
「へええ、オヤツを食べながら艶種をしゃべくるのが年頃の娘ってえもんだよね」
小梅は羽衣屋の折り箱の掛け紐をウキウキと解く。
「あれ、小梅の爪、綺麗だわな。それ、どうしたんだえ?」
お花は小梅の爪に目を留めた。
桜色でツヤツヤと光っている。
「あれ、知らんの?爪紅。爪に紅を塗って染めるんだよ。ほれ、あたしゃ、足にだって」
小梅は膝を伸ばして足の爪も見せた。
足とは思えぬほどしっとりした白い肌に桜色の爪が艶かしい。
「へええ、やっぱり、芸妓衆の身だしなみは素人とは違うわな。あたしの稽古の仲間ぢゃ誰も爪に紅なんぞしとらんもの」
お花は羨ましげに小梅の手を取って桜色の爪を眺める。
「あたしも爪紅はたまに気が向いた時しか塗りゃしないけどさ。――ほら、これさ。そこの紅白粉問屋に売ってるよ」
小梅は巾着袋から小さな瀬戸物の器に入った爪紅を出してみせた。
爪紅は鳳仙花の花の汁から出来ている。
鳳仙花は別名、爪紅とも呼ばれたのだ。
「どれ、塗ってやるよ」
小梅は懐紙を取り出して爪紅の蓋を開いた。
「うんっ」
お花は嬉々として両手を揃えて差し出す。
どうやら二人は食い気より色気のようで、オヤツの餡ころ餅をそっちのけに爪紅に取り掛かった。
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