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火事後の釘拾い
しおりを挟む一方、錦庵では、
「なんぢゃ?我蛇丸、今朝は早いのう?」
ハトが裏庭から調理場の水口へ向かい、ハッとして立ち止まった。
調理場の釜戸の前におクキが屈んでいる。
「ふうっ、ふううっ」
おクキは慣れぬ様子で一生懸命に火吹き竹を吹いてご飯を炊いている。
上女中のおクキは飯炊きなどしたことはないのだ。
「おクキどん?まだ暖簾を出すまで一時(約二時間)もあるのに?こんなに早うに来んでも――」
ハトは怪しむようにおクキを見て、さらにハッとした。
「あれ、ハトさん、おはようござります。いえ、早うに来た訳では、あ、いえ、なんでも、あれ、イヤだわいなあ――」
おクキは口に当てていた火吹き竹を放り投げ、妙にモジモジと前掛けを揉んで恥じらう素振りをみせる。
「え、えっと、我蛇丸は?――あ、まだ寝ておるのか」
ハトはあたふたと焦って裏長屋の住まいへ引き返していった。
「――ええっ?おクキどんが錦庵に泊まった?まさか」
シメはハトの報告に信じられぬような顔をする。
「しかし、こんな早うに朝ご飯の支度をしておったんぢゃ。それよりなにより、おクキどんの着物が昨日と同じぢゃ。おクキどんは毎日毎日、着物を替えて来とったに」
ハトは忍びの習いでおクキの着物も覚えていた。
「おう、そうぢゃ。おクキどんは桔梗屋で貰う給金をすべて着物に注ぎ込んどる着道楽ぢゃ。そのおクキどんが昨日と同じ着物ぢゃとは――」
シメはにわかに渋面をする。
「おクキどんが我蛇丸に色仕掛けで迫って、ついに――?」
半信半疑ながらもその可能性がなくはないと思った。
「昨日の我蛇丸は何故かは知らんぢゃが見るからにしょんぼりとしおれとった。おクキどんは抜け目のない女子ぢゃ。しおれた我蛇丸にここぞとばかり攻め込んだのかも知れん」
シメはそう推測する。
昨日の我蛇丸は晩ご飯の時もシメにも見透かされるほどにしおしおにしおれていたのだ。
すると、
「なにい?我蛇丸が?」
「そりゃ、まことか?」
「我蛇丸が女子と?」
いつの間にワラワラと貸本屋の文次、船頭の文太、文三の三兄弟が自分等の住まいの縁側へ出てきた。
この八軒長屋の住人はみな地獄耳の忍びの一族だけにハトとシメの話が筒抜けなのである。
「いいや、有り得ん。あの我蛇丸に限って、有り得んっ」
ハトがブンブンと首を振る。
そこへ、
「ハトさぁん?青物が届きましたわいなあ」
店からおクキの呼ぶ声がする。
出入りの八百屋が青物を届けて来たのだ。
これから豆腐や卵や海苔も続々と届くので開店前は忙しい。
「へ、へえい」
ハトは急いで店へ戻っていった。
その頃、
当の我蛇丸はちょうど布団から起き出したところであった。
「ふわあ」
両腕を天井に突き上げて大アクビをする。
おクキのお泊まり疑惑などまったく知らぬ存ぜぬといった我蛇丸であった。
そうこうして、
「ふあぁ、夕べはちと飲み過ぎたかなあ」
桔梗屋では朝四つ(午前十時頃)を過ぎてようよう草之介が起きてきた。
寝間着のまま寝惚け面して寝間を出ると、ちょうど女中のおクキがバタバタと女中部屋の棟から縁側へ歩いてくる。
先ほどとは着物が変わっている。
おクキは錦庵が開店する前にいったん着替えをしに帰ってきたのである。
今日はやけに艶っぽい梅紫の地に薄紅のよろけ縞の着物だ。
「ああ、おクキ、朝ご飯にしとくれ」
草之介はボケッと寝惚け面のまま縁側の端っこの厠へ入った。
「へえ」
おクキはちょっと顔をしかめて台所へ向かう。
縁側から裏庭でサギと実之介がピョンピョンと飛び跳ねて遊んでいるのが見えた。
下女中が支度した朝ご飯の膳を茶の間へ運んで給仕するだけでなのでサギでも出来るはずだ。
おクキは早く錦庵へ戻りたいので見るからに暇そうなサギに草之介の朝ご飯の給仕を頼むことにした。
「お、おクキどんが帰っとる」
サギが振り返った。
「むうん」
怪しむように眉間に皺を寄せておクキをジロジロと見やる。
「おクキ?昨夜はどこへ行っておったんだ?」
実之介が先に訊ねた。
「ぢゃから神田の実家に急用ぢゃ。そうぢゃろっ?」
サギは強引に決め付ける。
「えっ?いえ、あれ、へ、へえ、そう、実家に急用で帰ってたんでござりますわいなあ」
おクキはわざとらしく焦ったような素振りを見せた。
「むうぅ」
サギはますます眉間に皺を寄せた。
「――おや?」
厠を出た草之介が茶の間へ向かう途中で広間のほうを見ると、木綿問屋の大和屋の番頭と手代二人が畳の上に反物を川のようにコロコロと広げている。
お葉が三番番頭の丸八の肩に縞の反物をあてがって、あれでもない、これでもないと選んでいるところだ。
草之介は慌てて寝間着の襟を掻き合わせ、ササッと縁側から素早く奥の廊下へ引っ込んで階段を上がった。
世間で評判の美男としてはこんな時分にまだ寝間着でいるだらしない姿など大和屋の番頭と手代に見られてはならない。
(そうか。すっかり忘れておったが奉公人のお仕着せも誂えなくてはならんのだ)
草之介は二階の自分の部屋で着替えをしながら、いったい年の瀬の支払いは幾らになるのか考えてみたが見当も付かなかった。
身支度をきちんと整えて一階へ下りると、
「ただいま戻りましてござります」
ちょうど一番番頭の平六が外出先から戻ってきた。
「おや、どこへ行っておったのだ?」
よほどの用事でなければ一番番頭がわざわざお使いに出るなど珍しい。
「へえ、火事見舞いを届けに山算屋さんへ」
「そういえば、夕べ、半鐘が鳴っておったが――」
その頃、草之介は芳町の料理茶屋でドンチャン騒ぎで楽しく遊んでいたので遠くの火事など気にもしなかったのだ。
「あっ、それで火事見舞いには幾ら包んだのだ?」
草之介は急激に不安に駆られた。
「へえ、わたしはそんなに渡すことはないと申し上げたんでござりまするが、お葉様がどうしても二百両をと――」
平六が言い終わらぬうちに、
「――二百両っ?」
草之介は血相を変えて奥の棟へ走った。
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