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腕に覚えがある
しおりを挟む「そいぢゃ、わしゃカスティラを斬ってくる」
サギは下女中に手を振って作業場へ歩き出し、
「あ、そうぢゃっ」
急にクルッと踵を返した。
「おクキどんは薙刀をやるのか?」
肝心なことを訊くのを忘れていたのだ。
「薙刀?ああ、やるなんてものぢゃない。免許皆伝さ」
「おクキ様だけぢゃないよ。おタネ様もなさるんだ」
「お二人共、薙刀は天流だとかの師範代なのさ」
「そうでなきゃ桔梗屋の大事なお子様方の付き添いなどとても勤まるまいさ」
「近頃は何かと忙しそうで薙刀の稽古をされなんだからサギさんは見たことないんだね」
下女中五人は物干し竿を薙刀に見立て、「えい」「やあ」と振り廻しながら説明する。
「ほえ~」
サギは面食らった。
おタネもおクキもそれほどに強いとは思いも寄らなかった。
たしかに裕福な桔梗屋の子等に万が一のことがあっては事なので付き添いの二人は女子ながら護衛としての腕っぷしを備えていたのだ。
(そういえば――)
サギはハタと思い出した。
最初に広間でみなと畳をコロコロ転がって遊んだ時、お葉に命じられてコロコロ転がったおタネとおクキは速やかに楽々と転がっていたような気がする。
(むぅん)
なにしろサギは「うひゃひゃひゃっ」と大笑いしていたので二人の転がる様子は気にも留めなかったのだ。
ずっと今までおタネとおクキの武道に長けた身のこなしにも気付かなんだとは。
忍びの者としてうっかりだ。
(桔梗屋は甘ったるいニオイがホワホワホワホワしとるから頭がボ~ッとしてしまうんぢゃな)
サギは自分のうっかりを菓子のニオイのせいにした。
「いかん、カスティラ斬りぢゃった」
サギはハッとして今度こそ作業場へ向かった。
やたらに奥行きが広い桔梗屋は裏庭だけでも屋敷を囲んでグルリとコの字にあるので下女中は風向き次第で洗濯物を干す場所を変えている。
裏庭を長い長い板塀に添って通り抜けると甘ったるいニオイが漂ってきた。
「お、ちょうどカスティラが焼けたところぢゃなっ」
サギはのうのうとオヤツ時を過ぎてから作業場へ顔を出した。
「あっ、今頃、来やがった」
カスティラを抜いた後の木枠をせっせと拭いていた見習いの甘太が顔を上げてサギを睨み付ける。
「おお、来た、来た」
熟練の菓子職人の四人はカスティラ斬りのサギが来たので今日の仕事は終いになり、やれやれと板間へ腰を下ろす。
甘太は何も言われなくともお茶の支度に台所へ走っていく。
「今日は焼きたての熱々を斬らせろとは言わんのか?」
糖吉がからかうようにサギを見やった。
すると、
「ふふふん」
サギは得意げに鼻の穴を膨らまし、
「わしゃ、あれから毎日毎日、カスティラの耳を食うとるからな。もうちゃあんと分かっとるんぢゃ」
と、もったいぶって、
「ええか。カスティラは冷めてからのほうが美味いっ。さらには焼いてから一日置いたほうが美味いんぢゃっ」
「畏れ入ったか」とばかりに大威張りで答えた。
「ほお、味の違いに気付いておったか」
「舌はまずまず確かなようだな」
熟練の菓子職人等はちょっと見直した顔になる。
「ふふん、まあな。ところで、糖吉爺さん、おめかしの菓子の白いフワフワは何にするか考えとるんぢゃろうな?」
サギは一番年長の糖吉をしれっと爺さん呼ばわりした。
「馬鹿っ。親方と呼べっ」
お茶を持ってきた甘太が慌ててサギを注意したが、別段、糖吉は呼び方は気にならぬようだ。
「言われんでも考えちょるっ」
糖吉は急かされたことが気に入らず、短気に返事する。
「ううむ」
熟練の菓子職人の四人は板間にお茶を真ん中に車座で揃って頭を抱えた。
おめかしの菓子が老中の田貫兼次へ持っていく手土産と思うと恐縮して考えが浮かばぬらしい。
「早よ考えてくれんと来月のたぬき会に間に合わんぢゃろうがあ。早よぢゃあ」
サギは偉そうに念押しして、誰かが借りた黄表紙を取ると作業場の壁際の空き樽に座って読み出した。
「猿、元服して、これも猿の字を用ひて、猿六と改め、本田に結ひかけ、薄化粧などにて至極よい男の気取りなれども、顔つきはとんと猿のような猿なりける」
やはり音読である。
サギが読んでいる黄表紙は朋誠堂喜三二 作、恋川春町 画の『桃太郎後日噺』
この時代はお伽噺の二次創作が流行っていたのだ。
春町や喜三二の作品が戯作と呼ばれたのは読んで字のごとく商業作家ではない武士等が商業目的ではなく戯れに作ったものだからであった。
「うひゃひゃっ、この猿、可笑しいのう」
サギは黄表紙の挿絵を見て大笑いする。
「むう――」
甘太も仕事を終えてから早く読みたいのに先にサギが読んで笑っているのが苛立たしい。
「親方っ、あのサギの生意気な態度ときたらっ。一発殴ってやらんとますます付け上がりますっ」
甘太は握り拳を構えて鼻息荒く糖吉に詰め寄った。
糖吉のお許しが出れば間髪置かずサギの頭をポカッと殴ってやるつもりだ。
「何を言うちょる。サギは菓子職人見習いと言うとるだけで実のところ桔梗屋の客人だ。ご家族と一緒に膳を囲み、内風呂を使うていることを見れば分かろうが?」
糖吉はお茶を一口グビリと飲んで不味そうに顔をしかめる。
「……」
甘太はガッカリとうなだれて握り拳を下ろし、サギを憎々しげに横目で睨み付けた。
「うひゃひゃっ」
サギはまだ黄表紙の挿絵に大笑いしている。
「ふん、ふんっ」
甘太は八つ当たり気味にゴシゴシと四つの作業台を磨いた。
掃除、お茶汲み、後片付け、肩揉み、
もう二年も甘太はこんな仕事ばかりしている。
とことん不満だ。
せっかく自分より下っ端の見習いが入って威張れると思ったのに、甘太はまったく不満のやり場がないのだ。
そんな甘太の鬱憤など知る由もなく、
「ああ、笑い過ぎて喉が渇いた。甘太、わしにもお茶をくれい」
サギはケロッとして言った。
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