富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
97 / 314

お月さんいくつ

しおりを挟む
 

 一方、

「ほんに憎ったらしい芸妓げいしゃにさんざん三歳上と嫌味を言われたわいなあ。わしゃ悔しいわいなあ」
 
 おクキは昼休憩に錦庵の裏長屋へ行くとシメに芸妓の松千代のことを事細かに話して聞かせて、
 
「ああっ、思い出してもはらわたが煮えくり返るわいなあっ。キイィッ」
 
 さも悔しげにキリキリと手拭いを噛み締めた。
 
「はあ、ばからし。そりゃあ、おクキどん、芸妓に目のかたきにされるなんぞ悔しがるどころか自慢話ぢゃわ」
 
 シメは鼻で笑った。
 
 ばからしは江戸の流行語で馬鹿らしいの意である。
 
「――へ?」
 
 おクキは手拭いを握ったままキョトンとする。
 
「考えてもみい?向こうもおクキどんが自分より美人と思うて年齢とし以外には勝ち目がないと認めたようなものぢゃわ。それに半玉の小梅に年齢としを訊くまではおクキどんが自分より年上かも分からんかったんぢゃろ。そりゃあ、おクキどんが見た目二十歳くらいで通るということぢゃろうが?」
 
 シメなどは松千代と小梅の二人にずっと黙殺されているのだから、そのほうがよっぽど癪に障ることだ。
 
「まあ、そう言われてみればシメさんの言うとおりだわいなあ」
 
 おクキはコロッと機嫌を直した。
 
「あんないけ好かん芸妓の話なんぞより、最近、何か面白い噂話は聞いとらんかえ?」
 
 シメは半ば強引に話題を諜報活動へ持ち込む。
 
「噂なあ――」
 
 おクキはしばし考えて、
 
「そうそう、こないだ人気芸人の児雷也がそこの料理茶屋に呼ばれてきたそうだわいなあ」
 
 料理茶屋の女中から聞いた児雷也の話を思い出した。
 
「ああ、人気芸人というのは方々ほうぼうから宴席に呼ばれるそうぢゃからのう」
 
 そういえば、児雷也の駕籠かごがゴロツキ三人に襲われたのは浮世小路の料理茶屋へ行く途中であった。
 
「もう児雷也の美しさに料理茶屋の女中はみな大騒ぎだったそうだわいなあ。呆れたことに宴席の後片付けの時に児雷也の使うたさかずきを女中同士が奪い合うて、さかずきを舐め廻したというんだわいなあ」
 
「なんと、おぞましいのう」
 
「こんな話、児雷也に夢中のうちのお花様のお耳にはとても入れられんわいなあ。とにかく児雷也のモテることと言うたら。けど、宴席には美人芸妓がズラリと出揃うていたというに児雷也に鼻も引っ掛けられず、色目で粉をかける芸妓衆もまるで戸板に豆だそうだわいなあ」
 
 戸板に豆は弾き返されるの意で邪険にフラれることをいう。
 
「へえ、児雷也はまだ十七ぢゃし、いくら美人といえ芸妓はお座敷では年齢としよりも老けて見えるからのう。十七から見たら美人芸妓も白粉臭おしろいくさい年増ぢゃわ」
 
 シメはついポロッと口走った。
 
「おやまあ、児雷也は十七なのかえ?シメさん、よう知っとるわいなあ?児雷也の生い立ちは奇々怪々で謎だらけというに」
 
 おクキは鬼武一座を後援している近江屋の女中とも親しいが児雷也の年齢など初耳であった。
 
「――えっ?いや、そんなことをチラッと小耳に挟んだんぢゃ。ホントかどうかは知らんぢゃがのう」
 
 シメは慌てて誤魔化す。
 
 児雷也の正体を他人に知られてはならない。
 
 
 そこへ、
 
「ご免下さりまし」
 
 右隣の小唄のお師匠さんの一軒をおとなう高い声が聞こえた。
 
 半玉の小梅の声だ。
 
(小梅が小唄のお師匠しょさんのところへ?)
 
 シメは怪しんで聞き耳を立てる。
 
 昨日の宣言どおり小梅は小唄のお師匠さんのところへ稽古に通いたいむねを伝えに来たのだ。
 
 
 今更ながら小唄のお師匠さんは名をおしまという蟒蛇うわばみの一族の女である。
 
 美人のお師匠さん目当てに近所の商家の旦那や番頭が習いに来ているが、旦那衆は仕事帰りに稽古へ来るので昼の稽古は空いている。
 
 そんな訳で小梅はとどこおりなく錦太郎店きんたろうだなの裏長屋へ小唄の稽古に通うことになった。
 
 そうと決まれば、
 
「ほんの心ばかりの品にござりますが――」
 
 小梅は風呂敷からご進物の鰹節を取り出した。
 
 昨夜の宴席の福引きで当てた上物の鰹節だ。
 
 景品は五本だったので三本を挨拶代わりに持参した。
 
「まあ、上等の鰹節を。そいぢゃ、有り難く」
 
 お縞は熨斗のしの付いた鰹節を目八分に捧げて受け取る。
 

「お師匠しょさんはやっぱり元は芸妓げいしゃだったんでしょ?」
 
 小梅はすぐに普段の調子になってお縞に訊ねた。
 
 お縞がそんな堅苦しい女ではないと察したらしい。
 
「まあね、とうの昔。あの娘が産まれる前さ」
 
 お縞は裏庭にいるおマメのほうへ顔を向ける。
 
 十三年前にお縞が身籠みごもって芸妓を退いたので蟒蛇の忍びには諜報活動に重宝な芸妓がいなくなったのだ。
 
 今や蟒蛇の娘はおマメより他にいないが一族の誰もがおマメのようなふてくされの娘ではとても芸妓など勤まるまいと諦めていた。
 
 デケデン、
 デケデン、
 
 庭ではおマメが雉丸の子守りをしている。
 
 シメのうちにはおクキがいるし、自分のうちには小梅がいるので、おマメはどちらにも入りたくないのだ。
 
 なにしろ長屋は二畳の土間と四畳半の座敷しかないのだから居場所がない。
 
 貸本屋の文次の一軒は留守で上がり込んで黄表紙を読みたいが、雉丸がいると本や錦絵をクシャクシャにするので目が離せない。
 
 錦庵の座敷はまるで見られたら困るものでもあるかのようにおマメは入ることを禁じられている。
 
 それだからおマメは庭にいるしかないのだ。
 
「お月さん いくつ 十三 七つ~♪」
 
 おマメは雉丸をおぶってわらべ唄の『お月さんいくつ』を唄いながら裏庭を行ったり来たりした。

 おマメの顔はいつもの二倍も三倍もふてくされに、ふてくされている。
 
 おクキが来るのも小梅が来るのもおマメにはとんだ迷惑なのだ。
 
「あっち向いちゃドンドコドン♪こっち向いちゃドンドコドン~♪叩きつぶしてしぃまったあ~♪」
 
 おマメは八つ当たり気味に大きな声で唄う。
 
 デケデン、
 デケデン、
 
 雉丸もおマメの唄に合いの手を入れるかのように、ノリノリにでんでん太鼓を振っていた。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

生残の秀吉

Dr. CUTE
歴史・時代
秀吉が本能寺の変の知らせを受ける。秀吉は身の危険を感じ、急ぎ光秀を討つことを決意する。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

鎮西八郎為朝戦国時代二転生ス~阿蘇から始める天下統一~

惟宗正史
歴史・時代
鎮西八郎為朝。幼い頃に吸収に追放されるが、逆に九州を統一し、保元の乱では平清盛にも恐れられた最強の武士が九州の戦国時代に転生!阿蘇大宮司家を乗っ取った為朝が戦国時代を席捲する物語。 毎週土曜日更新!(予定)

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜

紫 和春
歴史・時代
二〇二〇年の現代から、一九三六年の世界に転生した八人の若者たち。彼らはスマートフォンでつながっている。 第二次世界大戦直前の緊張感が高まった世界で、彼ら彼女らはどのように歴史を改変していくのか。

処理中です...