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朝も早よから
しおりを挟むあくる朝。
「さあ、掃き掃除ぢゃあっ」
サギはいよいよ掃き掃除だと張り切った。
そもそもサギが桔梗屋の奉公人になった目的は小僧等と一緒に掃き掃除がしたかったからである。
「わしゃ店の前の通りを掃くっ」
サギは独り決めして竹箒を手に通りへ走り出る。
当然、通りは一番、屑が多い。
サギはせっせと屑を竹箒で掃き集めて、小僧の千吉が地べたに構えたちりとりへ入れていく。
「ほーれ、あっという間に綺麗になったぞっ」
サギは掃き清めた通りを眺めてご満悦だ。
だが、それも束の間、
ガラガラ、
ガラガラ、
荷車がボロボロと藁屑を落としながら通っていく。
「ああっ?掃いたばっかしなのにっ」
サギはまたせっせと通りを掃く。
ガラガラ、
ガラガラ、
また荷車がボロボロと藁屑を落としながら通っていく。
荷車がガタガタと揺れる振動で積んだ荷包みが擦れ合って藁屑が落ちるらしい。
掃けども、掃けども、荷車はひっきりなしに通る。
ガラガラ、
ガラガラ、
ガラガラ、
ガラガラ、
「キリがないぢゃろうがあっ」
サギは竹箒を振り上げて喚いた。
「喚いたって無駄だ。サギさん」
「日本橋の通りはいつだって屑だらけなんだ」
「かといって掃かんと通りは屑の山になるしな」
「小僧は朝から晩まで店の前の掃き掃除なんだ」
小僧の一吉、十吉、八十吉、千吉が口々に宥める。
「わしゃ掃き掃除はイヤぢゃ。もうやらんっ」
サギは掃き掃除はつまらんとさっさと竹箒を放り出して店へ戻った。
「どうせサギさんはすぐ飽きると思うた」
「案の定だ」
小僧等はやれやれとサギの放った竹箒を拾うと、ちりとりを持って台所へ向かう。
ちりとりの藁屑は下女中が朝ご飯の支度をする釜戸の火の中へ投げ込んで焚き付けにする。
この時代は屑も再利用して決して無駄にはしない。
燃え尽きた灰だって洗い物や洗濯物の汚れ落としに使うのだ。
そして、朝ご飯。
「うわぃ、べったら漬けぢゃあ」
サギはそれなりに掃き掃除に精を出したので腹ペコだ。
朝ご飯はべったら漬け、小魚の佃煮、豆腐の味噌汁、毎度のカスティラの耳であった。
日本橋名物といえば大根を麹で甘く漬けたべったら漬けである。
「べったら漬け、美味いのう。ポリポリ」
サギは好みの甘いオカズばかりで朝から大盛りご飯を三膳もおかわりした。
「あれ?草之介――ぢゃない、若旦那は?」
サギは食後の二杯目のお茶を飲み干してから草之介がいないことに気付いた。
「兄さんは夜遅ぉうに茶屋遊びから帰って朝寝坊なんだわな。どっおせ昼近くまで寝ておるわな」
いつものことだとお花はフンと鼻を鳴らす。
「なんぢゃあ、つまらん」
サギは草之介に鬼料理の話を詳しく聞きたいのだが、なかなか間が合わない。
ほどなくして、
「行ってまいります」
乳母のおタネが付き添ってお花は芸事の稽古へ、実之介とお枝は手習い所へ出掛けていった。
お枝はまだ数えの五歳であるがこの時代の手習い所には何歳からという決まりはないので兄の実之介にくっ付いて通っていた。
「では、奥様。勝手をさせて戴きまする」
女中のおクキは二番目に良い着物を着て、念入りに眉を描き、紅を差して錦庵へ手伝いに行ってしまった。
そうして、
茶の間にはサギとお葉だけになった。
「ときに、お葉さん。――いや、奥様。ちと訊ねたいんぢゃが――」
サギはこの機会に昨晩に布団の中でつらつらと推測したことをお葉に確かめてみた。
「ああ、サギの言うとおりだえ。わしのお父っさんはある人から『金鳥』を預かった折りに金煙の作用について聞かされてはいたが、まったく信じられんかったそうでな。『金鳥』は明和の大火で持ち出すまで穴蔵に仕舞い込んだままだったそうな」
お葉と樹三郎はその時に初めて弁十郎から『金鳥』のことを打ち明けられたという。
「そいで、実之介の大怪我で初めて金煙を使うたんぢゃな?」
「ああ、お父っさんは用心深く、まずは自分で試しに少しだけ金煙を吸うてみてなあ。そしたら、たちまち白髪が黒うなり十歳以上も若返って、大火で負うた火傷の痕も綺麗に消えてしもうた。そして、これならと眠っているミノ坊にほんの少し吸わせて足の大怪我を治したんだわな」
「ふむふむ、やっぱりのう」
サギはいっぱしの忍びを気取って腕組みする。
「ミノ坊の怪我を治しただけで仕舞っておれば良かったに、お父っさんも樹三郎も欲を掻いたばかりに天罰が下ったんだわなあ。あのまま使い続けておったら草之介にまで恐ろしい罰が下るところだったえ。わしは『金鳥』がのうなってホッとしておる。我蛇丸さんの取り計らいのおかげだわなあ」
「ええ?何でおかげぢゃあ。あの性悪な奴めは――っ」
草之介を攫った張本人と言い掛けて、サギはハッと口をつぐんだ。
「ほほっ、サギが言いたいことも、サギが何を怒って錦庵を出てきたかも、だいたい見当は付いとるわなあ」
お葉は余裕の笑みを浮かべた。
「――へ?」
サギはまさかとお葉の顔を見返す。
「わしも草之介が無事に家へ帰るまでは気が動転しておったが、あとで冷静に考えたら察しが付いたわな」
お葉は金銭感覚がおかしいだけで、満更、馬鹿ではないようである。
「聞けば、富羅鳥のお殿様が何者かの手によって儚くおなり遊ばした折りに富羅鳥城から秘宝の『金鳥』が盗み出され、富羅鳥の忍びの方々は上様の密命にて『金鳥』の行方を探しておったとか。そのような畏れ多い秘宝の『金鳥』を桔梗屋が隠し持ち、あまつさえ金煙を密売しておったなどということがご公儀に知れでもしたら只では済むまい。どんな厳しいお咎めを受けたことか――」
お葉の唇が震える。
「お咎め?」
サギはビックリした。
「樹三郎も草之介も縄を打たれ引っ立てられて、牢に入れられて、死罪は免れまいなあ――」
お葉の二重顎も震える。
「そ、そんな大変なことに――」
サギも死罪と聞いて震え上がった。
桔梗屋があまりに能天気なのでそんな大罪を犯しているとは思ってもみなかったのだ。
たしかにご公儀に知れたら、富羅鳥藩主を暗殺し、藩外不出の秘宝を盗み出した一味と見なされて厳しい吟味(取り調べ)を受けたに違いない。
樹三郎も草之介も「白状しろ」と拷問で責め立てられ、ビシビシと割れ竹で叩かれたかも知れない。
「ああ、想像するだに恐ろしい――」
お葉は恐ろしい想像を振り払うように頭を振る。
「ともかく金煙の密売が表沙汰にならぬように『金鳥』を手放すことが出来て有り難いと思うておるんだえ」
お葉は我蛇丸の取り計らいとやらに深く感謝しているらしいが、サギは納得していないのでそこは聞く耳を持たない。
「ふうむ、旦那等は欲に目が眩んで考えなしに危ない橋を渡っておったんぢゃな」
サギは樹三郎も草之介もなんたる能天気な馬鹿者かと思った。
だが、その頃、
サギが思った以上に能天気な馬鹿者が奥の間で何やらコソコソとやっていた。
勿論、その馬鹿者とは他ならぬ草之介である。
草之介は仏間の戸棚の千両箱から五百両をこっそりと持ち出すつもりなのだ。
猫魔の虎也に渡す報酬の前金の五百両である。
母のお葉に気付かれぬようにしなくてはならない。
草之介は周到に偽物の小判を用意していた。
昨夜、料理茶屋の帰りしなに遊び仲間の歌舞伎役者のところへ寄り、舞台で使う小道具の偽物の小判を譲って貰ってきたのである。
馬鹿のくせにこういう悪知恵は働くのだ。
千両箱の中には包封した通包が幾つか入っている。
通包というのは然るべき両替商が小判を二十五枚や百枚ずつ包封して金額を記したもので未開封の包封のまま二十五両、百両として使う。
(いちいち数えるのは面倒だが包封を持ち出すと目立つしな)
草之介は剥き出しのバラの小判から五百両をせっせと数えて革製の巾着袋に収めた。
そして、千両箱の底に偽物の小判を敷き詰めて上げ底にし、その上に本物の小判を入れた。
千両箱といってもキッチリ千両が入っていた訳ではないので数えると残りは四百七十八両であった。
(本物の四百七十八両がたっぷりあるうちは下に入れた偽物の小判には気付かれまい)
四百七十八両がすぐになくなる訳はなし、さほど減らぬうちに虎也が『金鳥』を取り戻してくれるであろう。
草之介はしめしめとほくそ笑む。
(おっと、これを戻して置かなくては)
虎也から返された証文を戸棚に仕舞っておく。
草之介はそろりそろりと仏間を出て、誰にも気付かれぬうちにまんまと五百両を持ち出した。
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