富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
88 / 326

夜のお楽しみ

しおりを挟む
 

 その頃、桔梗屋では、
 
 プッ、プッ、プッ、プッ。
 
「おおっ、八十吉どん、四連発ぢゃっ」
 
 サギが小僧の大部屋で遊んでいた。
 
 お花は風呂に入っているし、実之介もお枝も寝床に入ったのでサギは暇なのだ。
 
 プッ、プッ、プ~ッ。
 
「う~ん、十吉どん、惜しいのう」
 
 小僧等は飽きもせず曲屁きょくひの稽古をしている。
 
 それも屁放へっぴりながら粟餅をモグモグ食べている。
 
 オヤツは芋をしこたま食べたのでサギの買ってきた粟餅は夜まで大事に取っておいたのだ。
 
「ああ、美味い」
 
「寝しなに甘いものを食べるなんぞ贅沢の極みだ」
 
「ほんにな。晩はかしわ飯だったし」
 
「今日は豪勢だあ」
 
 桔梗屋は奉公人の食事もかなり贅沢だ。
 
 上方の江戸店えどだななどは上方の商人あきんどはケチなので奉公人はご飯に漬物と味噌汁だけだそうである。
 
 ただ、桔梗屋でもカスティラの耳が食べられるのは手代からなので小僧と若衆にとって甘いオヤツは貴重なのだ。
 
「一個ずつじゃ足らんぢゃろ?」
 
 大食らいのサギには足らんと思ったが、この時代は饅頭でも粟餅でも肉まんくらいの大きさだ。
 
 
 そこへ、
 
 若衆三人と菓子職人見習いの甘太が湯屋から戻ってきた。
 
 奉公人はみな湯屋へ行くのだ。
 
「あ、わし等も粟餅、食おうっ」
 
 この四人も粟餅を夜のお楽しみに取っておいた。
 
 ちなみに若衆三人は大助だいすけ中助ちゅうすけ小助しょうすけといういたって適当な名である。
 
「んん?この粟餅は美味いなあ」
 
「ああ、ずっとせんに目黒不動尊にお参りして名代粟餅を食うたけどこんなに美味くなかったぞ」
 
「こんな美味い粟餅は初めてだっ」
 
 若衆三人と菓子職人見習いの甘太の味覚はなかなか確かなようだ。
 
「そうぢゃろ、そうぢゃろ。美味いぢゃろ。知る人ぞ知るとっておきの粟餅屋ぢゃからなっ」
 
 サギは鼻高々になる。
 
 早馬はやうまなら目黒までは思ったより早かったので、またいつでも粟餅を買いに行くつもりだ。
 
 だが、
 
「あっ、わし、もう懐はスッカラカンなんぢゃった。のう?菓子職人見習いの給金はいつ貰えるんぢゃ?」
 
 サギは見習いの先輩である甘太に訊ねる。
 
「給金?見習いに給金なんぞあるかっ」
 
 甘太は口から粟餅のきなこを吹きながら答えた。
 
「ええっ?わしゃタダ働きはイヤぢゃあっ」
 
 サギはすわと立ち上がるとピュンッと縁側を走っていく。
 
「アイツ、まだ何も働いとらんくせに。あっ?あれ?速いっ」
 
 甘太が瞬く間にサギは中庭を挟んだコの字の向かいの縁側に着いていた。
 

「お葉さんっ――ぢゃない、奥様っ。わしゃタダ働きはイヤぢゃ。給金が欲しいんぢゃっ」

 サギは奥の間のお葉に詰め寄った。
 
「まあ、サギは給金を何に使うんだえ?」
 
 お葉は自分は金など欲しいと思ったことがないので興味深げに訊ねた。
 
「江戸の美味いオヤツを買うんぢゃ。けど、自分だけで食うたら小僧等は遊んでくれんから、みんなの分も買うんぢゃ。そしたら桔梗屋は家族と奉公人を入れて三十六人分も買わにゃならんぢゃろ?」
 
 サギは真面目な顔で言った。
 
「おやまあ、ほほ、そいぢゃ、これからサギには給金ではなくオヤツ代をやるわな。それでええかえ?」
 
 お葉としても他の奉公人の手前、まだ見習いのサギに給金をやる訳にはいかぬのだ。
 
「うんっ。そんならええ」
 
 サギは大きく頷いた。
 
「そうそう、今日、サギが買うてきてくれた粟餅代も返そうかえ」
 
 お葉は戸棚の千両箱の中から一両小判を一枚、取り出した。
 
「これで足りるかえ?」
 
 足りるどころか一両もあれば粟餅が千二百五十個は買える。
 
 お葉は粟餅の値段などまったく知らなかった。
 
 恐るべし、
 
 桔梗屋の家族にまともな金銭感覚を持つ者は誰一人としていないのである。
 
 
 一方、同じ頃。

 料理茶屋では、
 
 宴もお開きとなり、若旦那衆はそれぞれのねんごろの芸妓げいしゃとイチャつきながら待合い茶屋へと流れていった。
 
 待合い茶屋とは布団一組だけ敷いた寝間のある茶屋である。
 
「蜂蜜?わし等もそろそろぉ?」
 
 草之介は夜のお楽しみはこれからとばかりウキウキと席を立つ。
 
「草さん、お羽織を召しませな」
 
 蜂蜜はつややかに笑んで、かたわらに畳んで置いた草之介の羽織を取ると広げて背後から着せ掛ける。
 
 男物の羽織は裏地が派手な絵柄で凝らしているが、あれはお座敷で脱ぎ着する時に芸妓げいしゃに見せびらかして自慢するためなのだ。
 
「うふふ」
 
 蜂蜜はろくすっぽ三味線の稽古もせずばちダコのない白魚のような指で羽織紐を結んでやって草之介の気を持たせるように羽織の前身頃を撫でて折り目を伸ばしてやる。
 
「ふふふ」
 
 草之介はデレデレと鼻の下を伸ばした。
 
「そいぢゃ、支度してくるから」
 
 蜂蜜は草之介を待たせて箱部屋へ行った。
 
 箱部屋というのは芸妓が身支度を整えるための部屋である。
 
 芸妓も半玉も長い宴席では二、三度ほどお色直しをして着物を着替えるのだ。
 
 夜が更けるにつれて着物もくだけたものに替えて、お開きの頃には芸妓も黒襟を掛けた普段着になっているので待合い茶屋へはお座敷着では行かぬものである。
 

「お待たせ」

 蜂蜜も今は黒襟を掛けた格子柄の普段着に着替えて十八歳の年相応の娘らしく見える。
 
 草之介がまだ十九歳と若いので、普段着の蜂蜜とのほうが見た目の釣り合いがちょうど良い。
 
「うん、普段着のそのほうがずっと良いなあ」
 
 草之介はまたデレデレと鼻の下を伸ばした。
 
 そこへ、
 
「蜂蜜姐さん?箱屋さんがお迎えにござりますが――」
 
 無情にも料理茶屋の女中が蜂蜜を呼び止めた。
 
「……」
 
 草之介と蜂蜜は怪訝に顔を見合わせる。
 
 たしかに二人の縁談は玄武一家から一方的に破談にされたが客と芸妓として逢うことについては何も反対された覚えはない。
 
「箱屋さんがお待ちでござります」
 
 女中が遠慮がちに繰り返す。
 
「蜂蜜姐さん?熊蜂くまんばち姐さんが箱屋を迎えに寄越したんだよ。お座敷がひけたら帰らなきゃ駄目なんだって。若旦那と待合いなんて許さないってさ」
 
 小梅が女中ではハッキリと言い難いのでしゃしゃり出た。
 
「おっ母さんが?」
 
 蜂蜜は思いっ切り顔をしかめる。
 
「そ、そんな――」
 
 草之介は待合い茶屋を禁じられたと知って泣きそうな顔になる。
 
 玄武一家は『金鳥』を失った草之介をあからさまに邪険にするつもりなのだ。
 
 しかも、お座敷に蜂蜜を呼ぶことは構わぬらしいので草之介は期待だけさせられておあずけを食わされた格好である。
 
「さあ、蜂蜜姐さん。帰りましょうや」
 
 業を煮やした箱屋がドスの利いた声で言いながら、廊下をドスドスと歩いてきた。
 
 売れっ子の蜂蜜の用心棒のような役割もになう箱屋は恐ろしく筋骨隆々の強面こわもてで草之介をごみかのように手で払いのける。
 
「わわわ――っ」
 
 優男やさおとこの草之介は軽く払われただけで両手でバタバタとくうを掻きながら後ろへひっくり返った。

 ドテンッ。
 
「草さんっ」
 
 蜂蜜は両脇から箱屋と小梅に無理くり引っ張られて連れていかれる。
 
「蜂蜜――ぅ」
 
 草之介はひっくり返ったまま未練がましく蜂蜜の名を呼んだ。
 
 そして、情けなさと惨めさに「くぅぅ」と悔し涙を噛み締めた。
 
 なんとしても早く『金鳥』を取り戻したい。
 
 草之介は『金鳥』への執着をより一層、強くさせていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

返歌 ~酒井抱一(さかいほういつ)、その光芒~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 江戸後期。姫路藩藩主の叔父、酒井抱一(さかいほういつ)は画に熱中していた。 憧れの尾形光琳(おがたこうりん)の風神雷神図屏風を目指し、それを越える画を描くために。 そこへ訪れた姫路藩重役・河合寸翁(かわいすんおう)は、抱一に、風神雷神図屏風が一橋家にあると告げた。 その屏風は、無感動な一橋家当主、徳川斉礼(とくがわなりのり)により、厄除け、魔除けとしてぞんざいに置かれている――と。 そして寸翁は、ある目論見のために、斉礼を感動させる画を描いて欲しいと抱一に依頼する。 抱一は、名画をぞんざいに扱う無感動な男を、感動させられるのか。 のちに江戸琳派の祖として名をはせる絵師――酒井抱一、その筆が走る! 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~

水葉
歴史・時代
 江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく  三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中 「ほんま相変わらず真面目やなぁ」 「そういう与平、お前は怠けすぎだ」 (やれやれ、また始まったよ……)  また二人と一匹の日常が始まる

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...