富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
82 / 312

泥棒猫

しおりを挟む

「ねえ?それはそうと、サギは仕事に戻らなくていいのかえ?」
 
 小梅がチラッと作業場のほうへ目をやって訊ねた。
 
「――へ?」
 
 サギは不意だったので小梅の言う『仕事』とは何のことやら分からない。
 
「だって、桔梗屋の菓子職人見習いになったんだろ?もうとっくに昼の休みは終わりぢゃないかえ?」
 
「あっ、そうぢゃっ」
 
 サギはハタと気付いて慌てて立ち上がる。
 
「あれ、サギ。桔梗屋の菓子職人見習いになったこと忘れとったんだわな?あたしも忘れとった」
 
 お花はケタケタと笑う。
 
 ついうっかり普段と同じくサギは桔梗屋へ遊びに来たような気分になっていたのだ。
 
「わしゃ、カスティラを斬るんぢゃっ」
 
 サギは座敷を出て作業場へ突っ走る。
 
「あっ、サギのカスティラ斬り、凄いんだえ。一緒に見よう」
 
 お花はさも面白い見世物が始まるとばかりに小梅を急き立て、自分も作業場へ走っていく。
 
「へええ?」
 
 小梅はカスティラ斬りとは何ぞや?とワクワクして二人を追って走った。
 
 
 ところが、
 
「サギ、お前は作業場へ入ってはならんっ」
 
 菓子職人見習いの甘太が作業場の戸口に両手を広げて立ちはだかり、サギを通せんぼするではないか。
 
「ええっ?何でぢゃあっ?」
 
 サギは小梅にカスティラ斬りの雄姿を見せてやろうと張り切っていたので憤慨した。
 
「わしの指図だがな。そんな土埃つちぼこりだらけの汚い格好で作業場へ入られたらかなわん」
 
 熟練の菓子職人の糖吉がキッパリと告げる。
 
「汚い?ぢゃって、今朝は入れてくれたぢゃろうが。わしは今朝からずっと汚かったのにっ」
 
 サギは納得しない。
 
「ぬぁにい?今朝から汚いだとお?」
 
 糖吉と他の熟練の菓子職人の三人も作業の手を止めて戸口のサギに振り返る。
 
「そうぢゃ。昨日の晩は行水もしとらんし、裏木戸の外の路地で寝とったし、わしは今朝からとっくに汚かったのにっ」
 
 サギは自分の汚なさを主張した。
 
「むうぅ、おい、甘太?今朝、コヤツが作業場にいた時に何も触らせんかったろうな?」
 
 糖吉が顔をしかめて甘太に確かめる。
 
「へえっ、サギには何も触らせておりませんっ」
 
 甘太はハッキリ答えたが、実のところはよく覚えていない。
 
「はあ、何も触っとらんのなら良かった。そんなら、作業場に入っても付いたのはコヤツの足の裏と土間だけだがな」
 
 糖吉はホッと胸を撫で下ろす。
 
「いや、お前の手がわしに触ったぞっ」
 
 サギは鬼の首を取ったように糖吉の右手を指差して言った。
 
「わしが卵を取ろうとしたら手をひっぱたいたぢゃろうが。わしの汚い手をっ」
 
 サギは朝ご飯前にちゃんと手は洗ったのだが、こうなるとどこまでも汚なさを主張したい。
 
「し、しまったぁ」
 
 糖吉はとんだ不覚を取ったような顔になる。
 
「とにかく、サギは入ってはならんっ」
 
 甘太はこれ以上、糖吉にヘソを曲げられると見習いの自分がとばっちりを食うのでシッシとサギを追い払う。
 
「ちえっ」
 
 サギはふてくされてきびすを返した。
 
「まあ、今日はサギのカスティラ斬りは見られんようだわな」
 
 お花はすまなそうに小梅を見やる。
 
「サギ、今晩は風呂へ入って、明日、カスティラ斬りしとくれな。小梅、明日も遊びにおいでな」
 
「うん、そうする。あたしゃ、そろそろ帰んないと」
 
 小梅はこれから湯屋へ行ってお座敷の身支度だ。
 
「あああ、江戸は小煩こうるさじじいばっかしぢゃっ」
 
 サギはたっつけ袴をパンパンと叩いた。
 
 茶色い土煙つちけむりが舞い上がる。
 
 たしかに菓子の作業場に入るのはどうかと思うほど汚い。
 
 三人はワクワクと走ってきた廊下をガッカリと引き返していった。
 
 
 その頃、台所では、
 
「――わいのう、――わいなあ」
 
 女中のおクキが我蛇丸に何やら熱心に話していた。
 
「ほほう」
 
 我蛇丸はことごとく適当に相槌を打っていた。
 
「左様にござりますか」
 
 実のところおクキの言葉は「わいのう、わいなあ」以外は何を言っているのかまったく頭に入っていなかった。
 
「それは、それは」
 
 女子おなごの相手など苦痛で耐え難い我蛇丸なのだ。
 
 ところが、
 
 おクキの話に適当に「ほほう」「左様にござりますか」「それは、それは」を繰り返しただけで我蛇丸はおクキが明日から錦庵へ手伝いに来るという申し出に承諾した結果になってしまった。
 
 我蛇丸がおのれの適当な相槌の失態に気付くのは明日のことである。
 

 しばらくすると、
 
「そいぢゃ、また明日ね」
 
 裏庭に面した座敷から三味線の袋を抱えた小梅が廊下へ出てきた。
 
 水口から出るつもりらしく台所へ向かってくる。
 
「おやまあ、もうお帰りで?」
 
 おクキは小梅の見送りに板間から土間へ下りる。
 
(小梅が桔梗屋に?)
 
 我蛇丸は怪しむように小梅を見やった。
 
「あれ、おクキさん、いつの間に着替えたの?良い柄だねえ」
 
 小梅はおクキの一張羅の着物にわざとらしく目を見張ってみせて、袖をサラリと撫でるように触った。
 
 日頃から姐さん芸妓に取り入るのに長けた小梅はもうおクキに親しげな素振りを見せる。
 
「おクキさんは色白だから茄子なすび色が似合うこと」
 
 猫のような目が笑うとてんじた三日月になる。
 
「まあ、ほほっ」
 
 おクキも満更でもないように吊り上がった目を細める。
 
(猫と狐か――)
 
 我蛇丸は小梅は錦庵の常連客なので仕方なく仏頂面で会釈した。
 
「……」
 
 小梅はにわかに笑みを引っ込めて我蛇丸には無表情で会釈し返す。
 

「どうぞ」

 下女中が小梅の下駄を沓抜石くつぬぎいしの上に揃えた。
 
はばかり様」
 
 小梅は下女中にはニッコリして下駄を履くと裏庭を抜けて裏木戸から出ていった。
 

(――あの腹に一物いちもつありそうな娘がただ遊びに来ただけとは思えん)
 
 我蛇丸は渋面しながら小梅の下駄の音が遠のいていくのを聞いていた。
 
 カラコロ、
 カラコロ、
 

「ふふふん♪」
 
 小梅は通りへ出るとウキウキと足を早めた。
 
 胸高に締めた昼夜帯ちゅうやおびの下には桔梗屋の仏間の戸棚から失敬した戦利品が入っている。
 
 小梅はまさしく泥棒猫であった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

夏色パイナップル

餅狐様
ライト文芸
幻の怪魚“大滝之岩姫”伝説。 城山市滝村地区では古くから語られる伝承で、それに因んだ祭りも行われている、そこに住まう誰しもが知っているおとぎ話だ。 しかしある時、大滝村のダム化計画が市長の判断で決まってしまう。 もちろん、地区の人達は大反対。 猛抗議の末に生まれた唯一の回避策が岩姫の存在を証明してみせることだった。 岩姫の存在を証明してダム化計画を止められる期限は八月末。 果たして、九月を迎えたそこにある結末は、集団離村か存続か。 大滝村地区の存命は、今、問題児達に託された。

夜珠あやかし手帖 ろくろくび

井田いづ
歴史・時代
あなたのことを、首を長くしてお待ちしておりましたのに──。 +++ 今も昔も世間には妖怪譚がありふれているように、この辻にもまた不思議な噂が立っていた。曰く、そこには辻斬りの妖がいるのだと──。 団子屋の娘たまはうっかり辻斬り現場を見てしまった晩から、おかしな事件に巻き込まれていく。 町娘たまと妖斬り夜四郎の妖退治譚、ここに開幕! (二作目→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/284186508/398634218)

ブラッドの聖乱 lll

𝕐𝔸𝕄𝔸𝕂𝔸ℤ𝔼
歴史・時代
ーーーー好評により第三弾を作成!ありがとうございます!ーーーー I…https://www.alphapolis.co.jp/novel/621559184/960923343 II…https://www.alphapolis.co.jp/novel/621559184/959923538 いよいよ完結!ブラッドの聖乱III 今回は山風蓮の娘そして紛争の話になります。 この話をもってブラッドの聖乱シリーズを完結とします。最後までありがとうございました! それではどうぞ!

処理中です...