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恋に師匠なし
しおりを挟む一方、同じ頃、
「いいかい?恋には駆け引きが肝心なのさ。いきなり相手に言い寄るなんざぁトーシローのするこったよ。まずは探りを入れるのさ」
桔梗屋の裏庭に面した座敷で半玉の小梅による恋の駆け引き指南が始まった。
「探り?」
お花はどんな稽古事よりも熱心な表情だ。
「んう~、アサリの佃煮でご飯、美味いのう」
サギはモリモリと昼ご飯を食べている。
お花は出前の蕎麦が来るのを待つことにしているが、勿論、サギは蕎麦も食べるつもりだ。
「お目当ての相手の仲間を使うのさ。そのお目当てが仮にジー様として、あ、ジー様は児雷也のジーだよ。芸妓は客の名は符丁で呼ぶのさ。お座敷でのことは秘め事だからね」
「児雷也はジー様?なんかイヤだわな」
お花は顔をしかめる。
「ヤダっても仕方ないだろ?児雷也なんだから。で、ジー様の仲間にさ、コソッとこう訊くのさ。『ジー様にはもう誰か相惚れの人はおるのかえ?』すると、仲間は『いや、そのような相手はおらん。さては奴にホの字かい?』なんてこと訊くから、ここはしらばっくれる。『ヤダ。訊いてみただけ。あ、こんなこと、あたしが訊いたってジー様には絶対に内緒だよ』なんてね」
小梅は女と男の声音を使い分け、芝居っ気たっぷりだ。
この時代の男は男色も両刀使いも当たり前なので『相惚れの人』と言って『女』と限定しないのが作法である。
「ふんふん、まずは仲間に探りだわな」
お花は熱心に頷く。
「そいで『内緒だよ』と言われて黙ってる奴ぁいやしないからね。仲間がジー様に告げ口さ。『あのコがこんなことを訊いてたよ。お前に惚れてるに違いない』なんてね」
「ふんふん」
「それから相手を泳がせて様子を見るのさ。果たして脈ありやなしや。男は単純だからすぐに顔や態度に出っからね」
「ふんふん」
「ほおほお」
いつの間にか女中のおクキまでお花と一緒に頷いている。
「おかわりぃ」
サギが茶椀を突き出したがおクキは茶椀に見向きもしない。
「そいで相手がその気のない素振りを見せたらサッと引くこと。深追いは禁物だよ。安く見られたらおしまいだからね。もし、ジー様の仲間が『あれ?お前は奴に気があったんぢゃあ?』なんてクチバシを突っ込んでこようものなら『ええ?まさかぁ、ちょいと姐さんに頼まれたから訊いてみただけ。でも、その姐さん、とっくにジー様には見切りを付けて新しいお目当てを見つけちまったけどね』と言ってやるのさ。つまり、アタリが来た時に竿を引かないと魚はあっという間に逃げるって忠告してやる訳さ」
小梅の恋の駆け引き指南は松千代姐さんの受け売りである。
「うん?小梅の喩えではお目当ての相手が魚ぢゃなかったかえ?どっちが釣るほうなんだわな?」
お花は首を傾げる。
「うん?勿論、相手に釣らせるのさ。ちょいと『相手を泳がせる』と言ったのは紛らわしかったね?」
小梅も首を傾げてみせてから一休みして粟餅をパクッと頬張った。
「松千代姐さんは百発百中なんだえ?なら、釣りぢゃなく狩りに喩えたほうが良くなかったかえ?」
お花は喩えにこだわる。
「あ、そういえば、そっか。ホントのところ、松千代姐さんは『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』でさ。百発百中はハッタリで五百発百中くらいぢゃないかと思うんだ」
とたんに恋の駆け引き指南の説得力が失せる。
「おかわりぢゃあ」
サギは突き出した茶椀をブンブンと振る。
「まあ、よう考えたら、あたしゃどこで恋の駆け引きを使うたらええんだえ?」
お花は嘆息した。
あれっきり児雷也からは何の音沙汰もなく、お礼の文の返事さえ貰えぬのだ。
「へえ、ほんに。芸妓はお目当ての相手とお座敷で逢う機会がござりましょうが、素人はなかなかお目当てに逢う機会がござりませんわいなあ」
おクキも嘆息した。
あの舟遊びの夜以来、我蛇丸とは逢っていない。
せめて出前の蕎麦を我蛇丸が持ってくれば良いのだが、出前は力持ちの大女のシメの受け持ちらしい。
(はああ、シメさんが出前に来られぬようなことでもあればええわいなあ)
一方、その時、
「盛り蕎麦五十枚、上がったぞ」
錦庵の調理場では我蛇丸がドドンとせいろを重ねていた。
「へえい」
戸口では暖簾を仕舞ったシメがクルリと踵を返し、
ズルッ。
「うわっ」
唐突に下駄を滑らした。
ドテンッ。
シメは思いっ切り土間に尻餅を突く。
おクキの一念が天に通じたのか。
再び、桔梗屋。
「ところで、その松千代という芸妓は年齢は幾つだわいのう?」
おクキは恋敵の松千代が気になる様子。
「ん~、松千代姐さんは――二十歳――だっけかな?」
小梅はあやふやに答えながら二つ目の粟餅に手を伸ばす。
昼前に錦庵で蕎麦を食べてきたばかりだが甘い物は別腹だ。
「――は――た――ち――」
おクキは呪わしく繰り返した。
「――二十三歳のわしよりも三歳も下――」
やはり、現役の芸妓は若い。
この時代の芸妓屋は二十四歳までの芸妓しか置かぬのだから当然だ。
二十四歳以上の芸妓は決まった旦那が付いて芸妓屋に前借を返した自前の芸妓である。
「おかわりぢゃあ」
サギはまだ茶椀をブンブンと振っている。
「そいで、松千代という芸妓は器量もええんだわいのう?」
おクキは気を取り直して訊ねた。
「ん~、松千代姐さんは――中の――下――くらいかな?」
小梅は粟餅のきなこの付いた指先を舐め舐め答える。
「中の下?」
おクキの目が嬉々として輝いた。
中の下なら楽勝と思ったらしい。
おクキは自分の器量は上の下くらいの自信があった。
そこへ、
「毎度、錦庵にござります」
裏木戸から無愛想な声が聞こえてきた。
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