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猫に鰹節
しおりを挟むゴォン。
正午の鐘が鳴る。
「昼ご飯の時分ぢゃっ」
サギの頭の中はパッと切り替わった。
「では、八木殿。御免っ」
「えぇあぁぁぁ」
何か物言いたげなお庭番の八木を伝馬役所に残し、サギとお花とおクキは冠木門を抜けて本石町のほうへ歩を進めた。
すると、
「あれ?」
「小梅っ」
曲がり角で半玉の小梅にバッタリと出くわした。
小梅はこれから長唄の稽古らしく三味線の袋を抱えている。
「あたし、今さっき錦庵で蕎麦を食べてきたんだよ。サギの姿が見えないからどうしたのか訊いたら夕べから桔梗屋にいるって我蛇丸さんが言っててさ」
小梅は飽きもせずに今日も錦庵へ行っていたのだ。
「へっ?わしが桔梗屋にいるって言うたのか?兄様が?」
サギは心の内で「ちっ」と舌打ちした。
(ちくしょうめ。わしが桔梗屋にいるとお見通しか)
自分を心配することもなく普段どおりの錦庵の様子が目に見えるようで癪に障る。
「今日は松千代姐さんは一緒に来なかったんだよ。ほら、あんまり我蛇丸さんがつれないからさ、『押しても駄目なら引いてみな』って手段らしい。どっちにしても我蛇丸さんにゃ無駄だと思うけどさ」
小梅はついペラペラと撒くし立てる。
「お花様?こちらのお嬢様はたしか長唄のお稽古仲間と伺っておりましたが?」
おクキは疑いの目で小梅を見やった。
おまけに自分の他に我蛇丸を狙っているのが松千代姐さんとかいう芸妓だとは聞き捨てならない。
「おっと、いけない。余計なおしゃべりしちまった」
小梅は慌てて袂で口を押さえた。
「ああ、ええわな。おクキ?この小梅は蜜乃家の半玉で蜂蜜の妹分だわな。兄さんが蜂蜜と仲良うしとるんだもの、あたしが小梅と仲良うしても文句は言わせんわな」
お花はキッパリと言った。
「半玉?左様にござりましたか。まあ、ようござりまする。わしは何も知らぬことに。へえ、何も見ても聞いてもおりませぬ」
おクキはクルリとそっぽを向く。
何事も要領良く心得た女中なので小梅との立ち話を黙認するつもりだ。
「なあ?松千代姐さんって舟遊びにおった芸妓だえ?錦庵の我蛇丸さんを狙うとるのかえ?」
お花はさっそく他人の色恋話に首を突っ込む。
「……」
おクキはそっぽを向いたまま耳をそばだてている。
「うん。松千代姐さん、我蛇丸さんにぞっこんメラメラでさ。狙った獲物は百発百中、必ずや落としてみせるって豪語してんのさ。ほら、猫だって鼠を捕るのはメスに決まってんだろ?」
小梅は長唄の稽古へ行く途中なのもそっちのけでペラペラとしゃべくる。
「ふん」
おクキは松千代への敵意に憎々しげに顔を歪める。
「へええ、百発百中?松千代姐さんって凄腕なんだわな」
お花は感服して吐息する。
児雷也とまったく進展のないお花には恋の駆け引きの手管は一番の関心事なのだ。
「うひゃひゃ、兄様は鼠か?そりゃあええ。マッチョ姐さんに取っ捕まって喰い殺されてしまえばええんぢゃっ」
サギは色恋の何やらも関心はないが我蛇丸を鼠扱いに言われてザマミロと溜飲が下がった。
「あぁ、芸妓衆の色恋話は面白そうだわな。さすがに玄人は違うもの、勉強になるわな。なあ?小梅、後生だから、うちへ遊びに来てな」
お花は拝むように手を合わせる。
「おっ、久々に出た。お花の十八番の『後生だから』ぢゃっ」
サギが突っ込むと、
「えい、うるさい。サギにゃ乙女心は分からん」
お花はサギの脇を肘鉄砲で突く。
「うん。そいぢゃ、これから行こっかな」
小梅は気軽に応じてクルッと本石町のほうへ向きを変えた。
長唄の稽古はシレッと怠けることにしたらしい。
「あたしゃ、長唄は嫌いさ。長いから。どっおせ半玉はお座敷で三味線、弾きゃしないのにさ」
小梅はシャラシャラと袖を振って歩きながら愚痴る。
「お座敷では半玉は何をするんだえ?」
お花は興味深げに訊ねる。
「そりゃ、半玉は酒のお酌さ。あとは客がご不浄へ行くのに手前の廊下まで送り迎えすんのさ。客は迷って自分の座敷に戻れやしないからね。あとはお開きにお膳の料理を折りに詰めるのも半玉の仕事さ。宴席の料理って食べずに折り詰めで持ち帰るものなんさ。たまに田舎者の客が食べちゃうけどね」
「料理を目の前にして食べんで持ち帰るのかっ?」
サギは料理茶屋の宴席は実につまらんと思った。
「まあ、大一座の宴席だとそんな感じだけど、気の置けん仲間内のお座敷なら客も気楽に好き勝手に遊んでるからあたし等だって楽しいさ。丸正屋や桔梗屋の若旦那のお座敷なんてホントに気楽なものだよ」
「ふうん」
お花は(兄さんばかりズルい、不公平だわなっ)と思った。
兄の草之介がそんなに楽しく夜な夜な料理茶屋で遊んでいたかと思うと自分もちょっとくらい好き勝手してもいいような気がする。
『気楽に好き勝手』
なんという素敵な響きであろう。
その時、
「あれ、千吉どんぢゃっ」
サギが前方を指した。
人混みを小僧の千吉がパタパタと小走りしている。
「千吉どん、どこぞへお使いかえ?」
おクキが声を掛ける。
「へえ、錦庵さんへ。若旦那様がお昼は久々に蕎麦をとおっしゃっておいでで、出前を頼みに参りぁす」
錦庵へ出前を頼みに行くのは何故かいつでも千吉と決まっていた。
「あっ、そうぢゃ。千吉どん、これ、錦庵の裏長屋のおマメに渡しとくれ」
サギは手提げ籠から粟餅の竹皮包みを一つ取り出した。
「おマメ?」
「小唄のお師匠さんの十三歳の娘ぢゃ。ハトとシメの赤子の雉丸の子守りしとるんぢゃ。ええか?他の者には食べさせんで必ずおマメだけで食べるようにと言うとくれ」
サギは念を押す。
小唄のお師匠さんは人攫いの我蛇丸一味のグルだったので粟餅は決してやらぬが何も知らぬ娘のおマメには罪はないという考えだ。
「へえ、子守りのおマメちゃんに渡すんでござりぁすね」
十三歳の娘ならば千吉の一歳上だ。
(おマメちゃん、可愛い子だろうか?)
千吉はちょっと期待の面持ちで粟餅の竹皮包みを捧げ持ちウキウキと錦庵へ小走りしていった。
「ねえ?錦庵の裏長屋に小唄のお師匠さんがいるのかえ?あたし、長唄よりかそっちへ稽古に行こっかな。ほら、蕎麦を食べたついでに稽古に寄れるしさ」
小梅は名案とばかりにパチンと手を叩く。
「あれっ、そしたら稽古帰りに桔梗屋へ寄って一緒にオヤツしたらええわな。錦庵から桔梗屋へはすぐ近いもの」
「うん。そりゃあええ。桔梗屋のオヤツは小梅も飽きっほど食べられるぞ」
お花もサギも大賛成して、
「そいぢゃ、明日、錦庵で蕎麦を食べてから小唄のお師匠さんに稽古を頼んでみよっと」
小梅はコロッと長唄の稽古をやめて小唄の稽古に通うことにした。
「小梅。わしな、今、桔梗屋の菓子職人見習いなんぢゃっ」
サギは得意げに胸を張った。
「えっ?そいで、錦庵にいなかったのかえ?まさか、すぐ近いのに桔梗屋へ住み込み?」
小梅はビックリ顔だ。
錦庵が富羅鳥の忍びであることを小梅は前々から知っている。
(サギが桔梗屋へ潜入して諜報活動?)
当然ながら小梅はそのように解釈した。
だが、サギにそんな思惑はさらさらない。
「おう、住み込みぢゃ。いけ好かん奴等のおる錦庵になんぞ帰らん。わしゃ、今日からずうっと桔梗屋におるんぢゃっ」
サギは桔梗屋での暮らしが楽しみなだけである。
小梅が敵の味方かも知れぬという疑いもすっかりと忘れていた。
なにしろ、今のサギは老中、田貫兼次への疑いも消し去ったのだから、いったん振り出しに戻って新たな気持ちで前進あるのみなのだ。
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