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桔梗屋の奉公人
しおりを挟む一方、店の表では、
「店の周りのグルッと四辺を一人が一辺ずつ掃くんだ」
「ちょうど四人だからな」
「裏と横は路地で屑は少ないが表通りは広いし、屑も多いんだ」
「不公平にならんように毎日、順繰りにグルグルと掃く場所を替わるんだ」
小僧等はせっせと持ち場を掃きながらサギに朝の掃き掃除の説明をする。
昔の竹箒は柄が短いが掃き掃除をするのはまだ小柄な小僧なのでちょうどいい。
ガラガラ、
小僧が掃いている側から近隣の商家に届ける荷を積んだ大八車が通り、荷から藁屑がボロボロとこぼれ落ちる。
藁屑は梱包材の役目で割れ物はみな藁屑の中に埋め込んで運ぶ。
ガラガラ、
ガラガラ、
大店が立ち並んだ通りなので朝早くは荷車の行列である。
桔梗屋へも菓子材料の湧き水や卵や砂糖や粉を届けにそれぞれの荷車がやってきて若衆等が作業場へ運んでいく。
結局、ひっきりなしの荷車の往来で日本橋の通りはたちまち藁屑だらけだ。
「ほれ、あちこちに犬の糞も落ちとるが、これは肥料に拾いに来る人がおるから残しとくんだ」
八十吉が通りに落ちている糞を指差す。
「ふうん」
サギは糞を踏まぬようにピョンピョンと店の四辺を一周し、小僧等の掃き掃除を見物した。
(面白そうぢゃなあ)
自分も竹箒で地べたを掃いて藁屑を集めてみたくて堪らない。
サギは掃き掃除などしたことがないのだ。
「そうぢゃっ」
サギはピンと閃いて桔梗屋の裏木戸へ駆け込んだ。
「お葉さん、いや、奥様っ。わしは居候にして貰うつもりで桔梗屋へ来た訳ぢゃないぞ」
サギは居住まいを正し、大真面目な顔でお葉に詰め寄った。
「ええ、まさか居候なんぞと。サギはうちの子になったつもりでおったらええんだえ」
お葉はニコニコと笑ったが、サギはブンブンと首を振る。
「いや、わしは働きたいんぢゃっ。桔梗屋の奉公人にしとくれっ」
サギは目を輝かせて言った。
自分と同じ年頃の小僧が仲良く働いているのを見て仲間に混ざりたくなったのだと思われる。
「まあ、奉公人に?」
お葉は困ったように頬に手を当てて考えあぐねた。
「……」
サギは目をキラキラさせてお葉の返事を待っている。
「それなら、サギは桔梗屋の行儀見習いということにしようかえ」
お葉はポンと手を打つ。
嫁入り前の娘が行儀見習いをするのはよくあることだ。
行儀見習いというのは他家で暮らしながら家事を覚える花嫁修業の実習のようなもの。
富羅鳥で忍びの者から武家の教育を受けて育ったサギが商家で行儀見習いは従来とは逆であるが、この際、どうでもいい。
「うんっ。そんなら行儀見習いでええ」
サギは行儀見習いとは何のことやら意味不明であったが、居候よりは聞こえが良いかとコックリと頷いた。
「ああ、今朝はみんな寝坊でな。まだ起きてきやしないんだえ。わし等で先に朝ご飯にしようかえ。おクキ?おクキ?」
お葉は女中のおクキを呼んで膳を運ばせる。
やはり、朝ご飯からカスティラの耳の甘いオカズでサギの嫌いな苦い目刺しなどは出てきやしない。
「ささ、たんとお上がりなさりまし」
おクキは心得たものでサギのご飯をドカッと大盛りによそう。
「うわぃ、わしゃ、腹ペコなんぢゃ」
サギはカスティラの耳に大根おろしと醤油でモリモリと大盛りご飯を頬張った。
こうして、
サギは桔梗屋の行儀見習いになったのである。
そこへ、
「あれっ、サギ?」
「サギがおるっ」
「サギだあ」
お花と実之介とお枝が茶の間へ入ってくるなり一斉に歓声を上げた。
三人は乳母のおタネに再三、起こされて、ようよう起きてきたのだ。
この時代は手習い所も稽古事も開始時刻が決まっておらず好き勝手な時刻に行くので遅刻というものもない。
「おう、サギぢゃ。わしゃ、今日から桔梗屋の行儀見習いになったんぢゃっ」
サギは三膳目のご飯のおかわりの茶椀をおクキに突き出しながら言った。
この態度のどこが行儀見習いなのやらである。
「へえ?行儀見習い?うちなんぞに?」
お花は行儀見習いというのは武家へ行くものだと思っていたので目を丸くする。
「ギョーギ見習い?うちには菓子職人見習いはおるけどギョーギ見習いなんぞ知らんぞ」
「なぁにそれ?」
実之介とお枝はキョトンとする。
「わしも知らんのぢゃ。けど、菓子職人見習いというのがあるなら行儀見習いよりそっちがええなあ。ほれ、わしゃ、カスティラ斬り、得意ぢゃし」
サギは菓子職人見習いと聞いてコロッと志望を変えた。
「まあ、どっちでも構わんわなあ」
お葉は頓着せずに食後のお茶を啜る。
サギをなし崩しに桔梗屋へ置いてしまえば行儀見習いだろうが菓子職人見習いだろうが、この際、どうでもいいのだ。
こうして、
サギは大盛りご飯三膳目を食べるうちに行儀見習いから菓子職人見習いに早変わりした。
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