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裸一貫
しおりを挟むあくる朝。
「ふわぁ、まだ寝が足らぬ」
「昨夜は若旦那様がお帰りでバタバタと落ち着かんかったものな」
「ああ、お祭り騒ぎだったで寝床へ入ってもソワソワしてな」
「よう眠れんかった」
小僧の一吉、十吉、八十吉、千吉が竹箒とちりとりを手に水口から出てきた。
店の周囲をグルッと掃き清めるのだ。
早朝から往来の多い日本橋は荷車からこぼれ落ちた藁屑が散らばって通りは藁屑だらけだ。
裏木戸の閂を横に引いて鍵を外す。
すると、
ギイッ。
裏木戸が勝手に手前に開いてズルッと人の上体が裏庭へ倒れてきた。
バタンッ。
「わあっ」
小僧等はビックリと裏木戸から飛び退いた。
「くかぁ」
仰向けに倒れたまま高イビキで寝ているのはサギであった。
サギは裏木戸を背に寄り掛かって座って寝ていたのだ。
「サギさん?サギさん?」
千吉がサギの肩を揺り起こす。
「ん~あ~?」
サギは朝日に眩しげにシバシバと目を瞬いて、
「んくぅ~」
両腕を突き上げて伸びをした。
「な、何でこんなところで寝とったんだ?」
八十吉が上擦って訊ねる。
「ん~?夜中に来たんぢゃけど~、みんな寝静まっとったから朝まで待つか~と座っとったら、わしも寝てしもうたんぢゃ。ふわわ――」
サギはノロノロと上体を起こし、寝ぼけ目で答えてから大アクビをした。
「いや、何で夜中に来たんだい?」
一番年長の一吉は要領を得ないので訊き直す。
「何でって――」
サギはハッと昨夜のことを思い出し、たちまちムッと口をへの字に曲げた。
(おのれ、おのれ)
フツフツと怒りが再沸騰。
バッと勢いよく立ち上がる。
そして、
「わしゃ、錦庵を出てきたんぢゃ。もう二度と帰らんっ」
仁王立ちで拳を握り締め、空を睨み付け、キッパリと言い放った。
「おやまあっ」
女中のおクキは台所の水口から顔を出し、サギの言葉に驚いて奥の間へ報せに走っていった。
「まあ、それなら、サギはいつまでも桔梗屋におったらええわなあ」
奥の間でおクキからサギが錦庵を出たと聞いたお葉は我が意を得たりと微笑んだ。
お葉はこれ幸いとサギを草之介の嫁にする気満々になった。
草之介と蜂蜜との縁談のせいでいったんは諦めたものの『金鳥』がなくなったからには玄武一家との金絡みの縁は切れるので蜂蜜との縁談も晴れてご破算になる。
お葉にはサギの家出は降って湧いたような好機であった。
「それにしても、夕べのことで草之介と蜂蜜が巷でまた噂になるのもイヤだわなあ」
お葉はおクキに手伝わせて着替えをしながら身体を斜に向けて鏡を見る。
若さも美しさも保ってはいるが、いかんせん朝昼晩のカスティラの耳のオカズで肥えているので二重顎が目立つ。
昨夜の蜂蜜のスッキリした美貌を思い出し、お葉は不快げに眉根を寄せた。
「ほほ、美男と評判の若旦那様には浮いた噂の一つや二つ。それに売れっ子の美人芸妓ならば相手にとって不足はなし、むしろ人も羨む自慢の種にござりましょう」
おクキはお葉の背中へ廻ってテキパキと帯を締めながら笑い飛ばす。
「まあ、そうだわなあ。草之介も十九歳。仕方ないわなあ」
お葉は鏡台の引き出しからウグイスのフンの紙袋を取り出し、ホッと吐息する。
商家では奉公人は十九歳で手代になると大人の遊興場への出入りが許されるので、男子の十九歳はそういう年頃なのだ。
蜂蜜のことなど浮いた噂の一つや二つと思えば、ぐんと気が楽になった。
お葉は意気揚々としてウグイスのフンをたっぷりと顔に塗りたくる。
ウグイスのフンは美白効果が絶大なのだ。
「おや?そういえば、旦那様はいずれに?」
おクキは今頃になって襖を開け放った寝間の樹三郎の布団に寝た様子がないのを見て取った。
「――え?そういえば、おらんわなあ?」
お葉も今頃になって気付いて、ウグイスのフンで灰色になった顔を寝間へ向けた。
昨夜、お葉が神社へ出掛ける時には九歳ほどの樹三郎は寝間で『痿陰隠逸伝』を読んでいたが、それを最後に姿を見ていない。
お葉は草之介が無事に帰ってきた喜びで樹三郎のことなど頭からすっかりと消え失せていたのだ。
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