富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
61 / 312

疑心暗鬼

しおりを挟む
 

 あくる朝。
 
「とうっ、ていっ、うりゃあっ、そりゃあっ」
 
 サギは座敷で蚊帳かやを振り廻し、人攫いの一味を捕獲する習練をしている。
 
「あ~、サギの声がやかましいで寝ちゃおれん」
 
 貸本屋の文次が裏長屋の縁側へ出てきた。
 
「いよいよ今夜、人攫いを引っ捕らえるんぢゃからなっ」
 
 サギは蚊帳を握り締めて武者震いする。
 
「おうい?我蛇丸ぅ?サギを連れていくなんぞと言うたのか?」
 
 文次が裏庭から調理場の水口へ声を掛ける。
 
「いや、サギは連れていかんぞ」
 
 我蛇丸は卵の入った大鉢を菜箸でチャカチャカとかき混ぜながら水口から裏庭へ出てきた。
 
「ええっ?わしゃ、行くぞ。わしが人攫いを捕らえるんぢゃっ」
 
 サギはバチャバチャと裸足で裏庭へ駆け下りた。
 
 昨日の雨でまだ地面がぬかるんでいる。
 
「お前が人攫いを捕らえる必要はない。ほっとけ」
 
 チャカ、
 チャカ、
 
 我蛇丸は卵を混ぜる手を一時も休めず。
 
「イヤぢゃ。わしゃ、行くっ」
 
 サギは食い下がる。
 
「お前は邪魔ぢゃ」
 
 チャカ、
 チャカ、
 
 卵を混ぜる混ぜる。
 
「ううう――」
 
 サギは我蛇丸を睨み付けて犬のように唸った。
 
「お、いかん。鉄鍋が熱し過ぎる」
 
 我蛇丸が調理場を振り返って釜戸の火に掛けた鉄鍋を見やった。
 
「――隙ありっ」
 
 サギはまきざっぽうを我蛇丸の頭へ振り下ろす。
 
「おっと」
 
 我蛇丸はスイッとまきざっぽうをけた。
 
「わ――っ」
 
 まきざっぽうが空振りして地面を打つ。
 
 ボチャッ!
 
 おまけにぬかるみで足が滑る。
 
 バシャッ!
 
 サギは地面に大の字で倒れ込んだ。

 
「たわけ。『隙ありっ』なんぞと言うてから殴り付ける奴があるか。何のための隙ぢゃ」
 
 シメが呆れ顔で縁側から下りてきて井戸端で洗濯を始めた。
 
「ううう――」
 
 サギは大の字のまま唸りながら涙が出てきた。
 
 我蛇丸はサギに目もくれず調理場へ戻って卵を焼き始める。
 
 ジュワ~、
 
 甘い香りが立つ。
 
 釜戸の直火で焼くには自分が重たい鉄鍋を持ち上げて火から離して火加減を調節しなければならない。
 
 力仕事だから料理人は男の仕事なのだ。
 
「サギも食うか?」
 
 我蛇丸が菜箸で器用に卵焼きをクルッと丸める。
 
「うん」
 
 サギは涙を呑んで泥だらけの顔で頷いた。
 
 ここは諦めたような顔を見せておいて、夜にこっそりと神社へ行けばいいのだと思った。
 
 

 朝四つ半。(午前十一時頃)
 
 錦庵が開店すると、今日も今日とて小梅と松千代がやってきた。
 
 芸妓げいしゃは朝が遅いので朝と昼のご飯を兼ねているようだ。
 
「今日はあったかい蕎麦で、しっぽくにしよっと」
 
「そろそろ温かい蕎麦も良いねえ。あたしゃ、花巻にしよう。それと卵焼き」
 
 しっぽくは蒲鉾かまぼこ花麩はなふ、卵焼き、かしわ、小松菜などがのった蕎麦。
 
 花巻は細かく刻んだ浅草海苔がのった蕎麦。
 
 どちらも江戸時代には蕎麦屋の品書きにあったらしい。
 
「――あ、小梅とマッチョ姐さんぢゃ」
 
 サギはいつもどおりにパタパタと店へ出ようとしたが、
 
(あ、いかん)
 
 ハタと小梅が敵の味方かも知れぬということを思い出した。
 
 暖簾口で出ようか出まいか迷って暖簾から顔を出したり引っ込めたりする。
 
「サギ?どしたんだい?やけにソワソワしちまってさ」
 
 小梅は何食わぬ顔でサギに声を掛ける。
 
「うっ、何でぢゃ?」
 
 サギはドキンとした。
 
「だってさ、浮かれてるみたいだよ。ははん、さては今日、何か楽しみなことでもあんだろ?」
 
 小梅は悪戯いたずらっぽい顔して訊ねる。
 
「う、ううんっ、何もないっ。ないぞっ」
 
 サギはブンブンと首を振った。
 
(カマを掛けられとるんかも知れん。用心ぢゃ)
 
「わしゃ、いつもどおりぢゃ。小梅こそ今日は何かあるのか?」
 
 サギも探りを入れてみる。
 
「あたしもいつもどおりでお座敷さ。なんせ売れっ子だからね」
 
 小梅はケロッとして言う。
 
「ふ、ふうん」
 
 サギは小上がりに腰を掛けて足をパタパタさせた。
 
 明らかに落ち着きがない。
 
「はあぁ、サギめ、あれぢゃあ、今日、何かあると教えているようなものぢゃわ」
 
 シメはやれやれと吐息して、角盆にしっぽくと花巻の蕎麦の丼をのせると、
 
「ほれ、我蛇丸」
 
 角盆をグイッと我蛇丸の脇腹に押し付けた。
 

「へい、お待ち」
 
 我蛇丸は無愛想にしっぽくと花巻の角盆を置きながら、小梅の顔を見やった。
 
 我蛇丸は知らぬが小梅は我蛇丸の従妹いとこなのだ。
 
「……」
 
 小梅は怒ったような顔で我蛇丸を見返す。
 
「ごゆっくり」
 
 我蛇丸は無愛想に言って調理場へ戻っていった。
 
「ふん、我蛇丸さんったら小梅のことしか見やしない。やっぱり若い娘が好みなんだろうね。ああ、しゃくに障るぅ。もう通うのやめっちまおっかな」
 
 松千代はふくれっ面で言って花巻の蕎麦をズボッと勢い良く啜り込む。
 
「え~?あたしゃ、鴨南蛮が始まるまで通うよ。錦庵は鴨南蛮が有名なんだって。鴨南蛮を食べなけりゃ錦庵は語れないって蕎麦通の旦那衆が言ってんだからさ」
 
 小梅は熱心に鴨南蛮を連呼し、しっぽくの蕎麦をスルスルと啜る。
 
「鴨南蛮は冬ぢゃなあ――」
 
 サギは鴨と聞いて遠い目をした。
 
 小梅が錦庵で鴨南蛮を食べる頃にはサギはもう江戸にはいないであろう。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

夏色パイナップル

餅狐様
ライト文芸
幻の怪魚“大滝之岩姫”伝説。 城山市滝村地区では古くから語られる伝承で、それに因んだ祭りも行われている、そこに住まう誰しもが知っているおとぎ話だ。 しかしある時、大滝村のダム化計画が市長の判断で決まってしまう。 もちろん、地区の人達は大反対。 猛抗議の末に生まれた唯一の回避策が岩姫の存在を証明してみせることだった。 岩姫の存在を証明してダム化計画を止められる期限は八月末。 果たして、九月を迎えたそこにある結末は、集団離村か存続か。 大滝村地区の存命は、今、問題児達に託された。

夜珠あやかし手帖 ろくろくび

井田いづ
歴史・時代
あなたのことを、首を長くしてお待ちしておりましたのに──。 +++ 今も昔も世間には妖怪譚がありふれているように、この辻にもまた不思議な噂が立っていた。曰く、そこには辻斬りの妖がいるのだと──。 団子屋の娘たまはうっかり辻斬り現場を見てしまった晩から、おかしな事件に巻き込まれていく。 町娘たまと妖斬り夜四郎の妖退治譚、ここに開幕! (二作目→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/284186508/398634218)

ブラッドの聖乱 lll

𝕐𝔸𝕄𝔸𝕂𝔸ℤ𝔼
歴史・時代
ーーーー好評により第三弾を作成!ありがとうございます!ーーーー I…https://www.alphapolis.co.jp/novel/621559184/960923343 II…https://www.alphapolis.co.jp/novel/621559184/959923538 いよいよ完結!ブラッドの聖乱III 今回は山風蓮の娘そして紛争の話になります。 この話をもってブラッドの聖乱シリーズを完結とします。最後までありがとうございました! それではどうぞ!

処理中です...