富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
2 / 314

二幕 金平糖と錦絵

しおりを挟む
 ザザーッ。

 一陣の風が吹き抜けるように木々の葉を揺らし、枝から枝へとましらのごとく飛び移る人影があった。

 そこは富羅鳥山の人も通わぬ獣道。

 高い枝から低い枝へヒラリと身軽に下り立ったのは小柄なわらし

 これこそ、お鶴の方の産んだ赤子あかごで、今や数えの十五になる。

 白鷺しらさぎのように華奢な色白い姿からサギと名付けられた。

 柿渋染めの筒袖に泥染めのたっつけ袴、身なりは男子おのこと変わらぬが髪を束ねた紐は緋色で多少なりとも娘らしさをかもしていた。

 どこから見ても非の打ち所のない立派な『くノ一』である。

 自然のままに鬱蒼と生い茂った木々に覆われた山奥の暮らしで木漏れ日しか浴びないためにサギの肌は白蝋はくろうのように白く、艶やかな黒髪は烏の濡れ羽色であった。

 大きな黒い瞳に通った鼻筋は美男と誉れ高かった亡き父、富羅鳥守鷹也の面差しを受け継いでいた。



 見晴らしの良い樫の木の枝に立ってふもとのほうを見渡すと蛇のようにうねった山道が一望である。

 サギは山道の遥か遠くからだんだんと近づいてくる人馬に目を凝らした。

 颯爽と馬を引く若衆の姿がいよいよ鮮やかになる。

 逞しく成長した我蛇丸である。

兄様あにさまぢゃ。兄様あにさまが帰ってきたっ」

 サギは嬉しさのあまり思わず元の高い枝に両手で飛び付き、クルンクルンと回転した。

 バサ。
 バサ。

 頭上を鳥が飛んでいく。

 サギはチラッと獲物を狙う鋭い眼差しでくうを睨むと、

 シュッ。

 目にも留まらぬ早業で袴の腰板から竹串を抜き、飛ぶ鳥を狙って撃つ。

 プスッ!

 呆気ないほど容易たやすく命中。

「ワンッ」

 一匹の犬が嬉々と獣道から飛び上がり、草むらへ落ちるよりも早く宙でガブリと鳥をくわえ取った。

 サギの愛犬、摩訶不思議丸まかふしぎまる

 見た目は普通の雑種だが、忍びの修行を積んだ一人前の忍びの犬である。

「さあ、摩訶。帰ろうぞ」

 サギは獲物を入れた袋をはす掛けに背負しょう。

 そして、また木の枝から枝へと飛び移りながら山奥の富羅鳥の忍びの隠れ里へ帰っていった。



「お江戸日本橋ぃ、七つ発ちぃ、初登りぃ、行列揃えて、あれわのわのさ~♪こちゃえ~こちゃえ~♪」

 調子外れな唄声が山中に響き渡る。

 サギは小屋の前の木の高い枝に黒猫と腰を下ろし、唄いながら我蛇丸の到着を待ち構えていた。

 サギの愛猫、にゃん影。

 一見して普通の黒猫だが、にゃん影もまた忍びの修行を積んだ一人前の忍びの猫であった。

 カタン。
 カタン。

 小屋の中ではサギの唄に調子を合わせるかのように機織はたおりの音が続いている。

「おうっ、けぇったぞ」

 馬では山の外廻りの道を来るので山中の獣道を突っ切って帰ったサギよりずいぶんと遅れて我蛇丸が辿り着いた。

 「ブルル」

 鞍に積んでいた米俵を下ろすと馬の汗ばんだ背から馬臭い湯気が立ち登る。

 我蛇丸の愛馬、アオ。

 普通の栗毛で、普通の馬であった。

「ほれ、土産ぢゃ」

 我蛇丸が振り分けの荷から紙袋を取り出した。

「うわぃ、金平糖ぢゃあっ」

 サギはホクホク顔で金平糖の袋を抱き抱えた。

 カタン。

 小屋の中で機織りの音が止まる。

「あれ、我蛇丸ぅ、よう、お帰んなさったのうっ」

 お鶴の方が大きな声で言いながらバタバタと戸口へ駆け出てきた。

母様かかさま、金平糖ぢゃっ」

「良かったのう。甘いものはサギの大好物ぢゃなあ」

母様かかさまもぢゃろ?――パクッ」

 サギとお鶴の方はもう金平糖を頬張ってケラケラと笑い合った。

 十四年の歳月はお鶴の方を大名の側室の頃とは別人のような山の逞しい女房かかあに変えていた。

 もっとも今ではおかもという名で呼ばれている。

 あの月夜から以前の記憶を失い、お鶴の方は自分の名も素性も幼子の鳶千代のことすらも何も覚えていないのであった。

 一から十までおときの手解きを受け、糸繰り、機織り、炊事、洗濯と十四年のうちに何でも器用にテキパキとこなすようになっていた。

 我蛇丸はといえば十九歳になり、三年前から江戸へ出て日本橋で蕎麦屋を営んでいる。

 我蛇丸の蕎麦屋は鴨南蛮が美味しいとなかなか繁盛していた。



「――ほれ、これもお待ちかねぢゃろう?」

 小屋へ入ってから我蛇丸はサギに錦絵を手渡した。

「うわぃ、錦絵ぢゃっ」

 サギは待ってましたとばかりに飛び上がる。

 錦絵をもう何枚も集めていて江戸へ出ている富羅鳥の忍びの者が土産に持ってくる錦絵を自分の寝床の枕屏風にペタペタと貼り付けていた。

「これは役者絵ぢゃなく軽業芸人ぢゃなあ」

 新しい錦絵は美しい若衆が五本もの刀剣をお手玉のようにあやつっている絵柄であった。

「今、評判の投剣の芸人ぢゃ。江戸へ来とるんぢゃ」

 我蛇丸は『投剣の鬼武おにたけ一座、児雷也じらいや きたる』という引き札を出した。

「児雷也という名の芸人なんぢゃな。蝦蟇がまを出すのか?」

 児雷也といえば有名な読み物に出てくる大蝦蟇おおがまの妖術使いの名である。

「どうぢゃ、見たいか?」

「見たいっ」

 サギの大きな瞳がキラキラと輝く。

「ずっとせんからサギが十五になれば江戸見物をさせてやると約束ぢゃったけぇのう」

「そうぢゃ。ハトもシメも江戸へ出て蕎麦屋を手伝うとるんぢゃもの。わしだけ除け者は真っ平ぢゃあ」

 サギはやっと江戸へ出られると大喜びで摩訶不思議丸とにゃん影と土間をピョンピョンと跳ね廻った。

「美味い握り飯を持たせてやろうのう」

 厳しい婆様ばばさま、おときもサギには甘い。

 もう大膳だいぜんには我蛇丸から話を通してあるらしかった。

「ただし、サギ。人前で忍びの者と分かるような振る舞いをしてはならんぞ。背よりも高いところへ飛び上がったり、竹串を投げ飛ばしたり、鎖鎌くさりがまを振り廻したり――」

 大膳がしっかと釘を刺す。

「やらんやらん。父様ととさま、わしゃもう十五ぢゃぞ。ちゃんと分別の付く年頃ぢゃあ」

 サギは要らぬ心配とブンブンと首を振った。

 血の繋がりはなくとも富羅鳥の忍びの頭領、大膳を父、我蛇丸を兄と慕って忍びの修行に明け暮れて育ったサギであった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

生残の秀吉

Dr. CUTE
歴史・時代
秀吉が本能寺の変の知らせを受ける。秀吉は身の危険を感じ、急ぎ光秀を討つことを決意する。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

鎮西八郎為朝戦国時代二転生ス~阿蘇から始める天下統一~

惟宗正史
歴史・時代
鎮西八郎為朝。幼い頃に吸収に追放されるが、逆に九州を統一し、保元の乱では平清盛にも恐れられた最強の武士が九州の戦国時代に転生!阿蘇大宮司家を乗っ取った為朝が戦国時代を席捲する物語。 毎週土曜日更新!(予定)

転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜

紫 和春
歴史・時代
二〇二〇年の現代から、一九三六年の世界に転生した八人の若者たち。彼らはスマートフォンでつながっている。 第二次世界大戦直前の緊張感が高まった世界で、彼ら彼女らはどのように歴史を改変していくのか。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ

処理中です...