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私、捕まっちゃいました

#2

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大通りを行き交う人の雑踏に紛れて、たたたたっ、という足音を響かせながら、私の背後から明るい声が追いかけてくる。

優雅にチョコレートを食していた副社長の幸せそうな、絵画みたいな美しい映像が、プツリと遮断されてしまった代わりに、私の視界に映しだされたものは、

「美菜ちゃーん! ごめんごめん。帰る直前に、小日向こひなたさんにつかまっちゃってさぁ。大丈夫? 寒くなかった?」

「……あぁ、いえいえ。私も、今、出てきたところなんで、全然、大丈夫です」

うちのティーサロンに併設されているチョコレート専門店で、チョコレート専門の菓子職人であるショコラティエとして働いている、

先輩社員の木村康平きむらこうへいさんの姿だった。

店舗で扱うチョコレートの新商品の開発に携わっている、商品開発部で研修中の私は、ショコラティエの方たちと接する機会が多い。

老舗ということもあり、父親と同じ世代の年配の方が多く、そのうえ田舎出身の新入社員だということも加わって、店舗の皆さんとっても優しくて、本当に良くしてもらっている。

さっき、木村先輩がいってた『小日向さん』っていうのは、十人ほどのショコラティエを仕切っている部長さんだ。

木村先輩は、入社三年目の二十六歳で、今年二十三歳になる私と歳が近いせいか、何かとよく面倒を見てくれてて。

見かけは、ちょっと軽くてチャラそうにも見えるけれど、茶髪の柔らかそうな艶っぽい髪とニカッと笑った時の八重歯がトレードマークの、一人っ子の私にとって、気さくで頼れるお兄さん的先輩だ。

実は、副社長のところに持っていくチョコレートの試作品を店頭に貰いに行ったとき、緊張のためガチガチになってしまってた私に、

『そんな浮かない表情かおするなって。今夜、ご褒美に飯でもおごってやるから』

そういって誘ってくれていたのだった。


「じゃぁ、いこっか? ちょっと歩くけど。大丈夫?」

身長百五十八センチの私よりも、二十センチほどの高さから、優しく気遣ってくれる木村先輩。

そんな優しい木村先輩を見上げている私の脳裏には、何故かふいに、至近距離で見た副社長の姿が浮かんできてしまい。

副社長は、もう少し身長が高かったなぁ……なんてことを思ってしまった。

けど、無理もないよね?

副社長とすかしたインテリ銀縁メガネが、ただならぬ関係だってことを知っちゃたんだもん。

それに、極度の緊張状態が続いてたせいで、きっと、肉体的にも、精神的にも、疲れてしまってるんだろう。

そうだ、そうだ、きっとそうにちがいない。

そうやって、もっともらしい理由を引っ張り出していた私の様子に、一瞬、僅かに首を傾げた木村先輩が

「美菜ちゃん?」

不思議そうに、でも優しく問い返してくれるから、申し訳なくなった私は、慌てて脳裏に浮かぶ副社長の姿を無理矢理、奥の方へと追いやった。

ーーダメだ、ダメだ。今は、一緒にいる木村先輩に集中しなければ……。

なんとか、木村先輩の方へと意識を切り替えた私が、

「はいっ!大丈夫です!」と元気よく返せば、

ニカッと人懐っこい笑顔で応えるように、トレードマークである八重歯を覗かせて。

変わらず、後輩である私を優しく気遣いながら、さりげなく歩幅を合わせてゆっくりと歩き出す。

ほどなくして、オシャレなイタリアンのお店に辿り着いた私たちは、食べてしまうのが勿体ないほど綺麗に盛り付けられた、とっても美味しい料理とデザートに舌鼓を打った。

その間、木村先輩は、ショコラティエの仕事や会社のことなど、新入社員である私にも分かりやすいように、面白おかしく話してくれて。

木村先輩のお陰で、とっても楽しい一時を過ごすことができた。

お会計の時だって、『ヤッパリ奢ってもらうのは気の毒だ』と思った私が、慌てて財布を出そうとするのを、

「誘ったの俺なんだし。優しい先輩なんだし? カッコつけさしてよ」

ニカッと八重歯を覗かせながら言う木村先輩によって、呆気なく制されてしまい、先輩のお言葉に素直に甘えることにして、ありがたく奢って頂いた。

オシャレなイタリアンのお店を出てから、駅までの距離を二人並んで歩く間も恐縮しきりの私に、

「ハハッ。そんな気にすることないのに」

そう返しながら、おもむろにジャケットのポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認する木村先輩。

こんなに優しくて、見た目だって所謂イケメンだし、話題だって尽きることはない。

きっと。いや、絶対。女子にモテるだろうなぁ……なんてことを歩きながら呑気に考えていた。

そんな私は、曲がり角の手前で急にスピードを緩めた木村先輩に合わせることができなくて、スピードを緩めないまま一歩を踏み出せば、微かに腕がぶつかるほどの近い距離で、私たちは、ほぼ同時に立ち止まった。

どこからともなく吹いてきた春の夜風が、私の肩までの茶色っぽいフワリとした猫っ毛の髪を巻き込んで、頬を掠めるようにして吹き抜けていく。

街はもう、夜の煌めくネオンを纏っていて、私たちだけ、どこか知らない空間に迷い込んでしまったような、そんな気がしてくる。

それに加え、二人の腕が触れるか触れないかの近いこの距離のせいで、私の鼓動はスピードをドンドン速めていく。

私の暖かな体温と一緒に、高鳴ってしまった鼓動までが、木村先輩にまで伝わってしまいそうだ。

そんなことを思ってしまう自分が急に恥ずかしくなって、首から顔にかけて徐々に熱を帯びていくのが自分でも分かる。

それらが隣の木村先輩に気づかれてないかと心配になって、そっと気づかれないように視線を泳がしてみても、木村先輩は何やら思案顔で、スマートフォンの液晶画面を相変わらず見つめてて、私のことなど気にもとめていないようだった。

どうやら、モテるんだろう木村先輩にとっては、これくらいのことは大したことではないらしい。

……なんだぁ、心配して損した。

ホッとして胸を撫で下ろしていると、今度は木村先輩が私の方に視線を向けてくる。

「……まだ、八時ちょい過ぎかぁ……。美菜ちゃん。……時間、まだ大丈夫?」

ジーッと私の瞳の奥を、何故か心配そうに……不安げな表情を浮かべて、窺うようにして覗き込んでくる木村先輩。

僅かに首を傾げながら、いつになく真剣な眼差しを向けられて。

いつもちょっと軽い調子で明るい木村先輩が、一瞬 だけ知らない男性ひとのように見えてしまったけれど。

急に縮まったこの距離に、妙に意識してしまってるせいかなぁ……。

それとも、最後に食べたデザートにリキュールでも入ってたのかなぁ……。

どこにでもいる平均的な容姿の持ち合わせしかない私は、これまで特にモテたこともなく。

恋愛経験といっても、高校生の頃に初めてできた彼氏とデートで手を繋いだことくらいしかなくて。

そんな”お子ちゃまのおままごと”みたいな恋愛経験しかなかった私は、それ以上深く考えることなんてなかった。

「……はい。明日は土曜日でお休みだし。特に、予定もありませんし。全然、大丈夫です」

「それじゃぁ。さっき奢ったお礼にってことで。美菜ちゃんにもう一件だけ、付き合ってもらおうかな?」

「はいっ! 喜んでお供します!」

問いかけに少し遅れて、返事をした私の言葉を聞いた木村先輩は、ホッと安堵した表情を見せてから、またいつものようなちょっと軽くて明るい調子で、心なしかさっきよりも楽しそうに話し始めた。

こうして私は、息を吹き返したようにいつもの調子を取り戻した木村先輩と一緒に、オススメだというバーへと向かうことになった。
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