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#60 よく似た声音

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 ここに到着したときには憂鬱でしかなかったけれど、創さんと両想いだと分かった途端に、こんなにも浮かれてしまうなんて、ゲンキンにもほどがある。

 でも、人質にされた挙げ句の偽装結婚だったのが一八〇度違ったものになったんだから、そりゃ無理もないだろう。

 軽い足取りで、広いお屋敷の廊下を菱沼さんの後に続いて歩いていると、何人かの使用人の人たちとすれ違った。

 その中には、出迎えてくれた人もいたようだったし、すれ違うたびに、深々と頭を下げてくれるところを見ると、おそらく、私が創さんの婚約者なのだと認識してくれているのだろう。

――来月には、ほんとに創さんと結婚しちゃうんだ。なんか不思議な気分だなぁ。

 暢気にそんなことを思いながら何の気なしに足を進めていた時のことだ。

「あぁ、菱沼さん。お疲れ様です」

 不意に耳に流れ込んできたその声が創さんの声とそっくりだったため、驚きのあまり私は何もないところで、危うく躓きそうになった。

 それを免れた代わりに、菱沼さんの正面に現れた私と同年代らしきイケメンに抱き留められて事なきを得た私は、真っ赤になって縮こまって動けないでいる。

 だって、創さんの声にそっくりだったために、創さんとのあれこれを思い出してしまったんだからしょうがない。

「菜々子様、大丈夫でございますか?」

 そんな私に、人目があるせいか、いつもの低くて冷たい声とは似ても似つかないなんとも優しい声音を放って気遣ってくれた菱沼さん。

 その声で、ハッと我に返って、イケメンの腕から慌てて飛び退いたと同時、ブルッと震え上がった私の肌には、鳥肌が立ち始めた。

 いつもは冷たい菱沼さんがあんまり優しい声で気遣ってくれるものだから、菱沼さんには失礼だけど、気色悪かったのだ。

 そんな失礼なことを思っていると、そこに、イケメンから放たれた創さんとそっくりな声がまたまた聞こえてきて。

「あぁ、この方が兄さんの婚約者の方かぁ。へぇ、イメージと違ってたから驚いたけど。可愛らしい方だなぁ」

「////……か、可愛らしいだなんて、そんな」

 『可愛らしい』なんて言われ慣れていないせいで照れていたら、突如ガッシャーンと派手な音がして、目を向けた先には、廊下の角を曲がったすぐのところで、割れた花瓶の残骸が床に飛び散っていた。

 次の瞬間には、使用人の若い女性が大慌てで私の傍に居た菱沼さんに助けを求めてきて。

「菱沼さん、ちょっと手を貸してもらえませんか?」
「……いや、しかし」

 どうやら私のことを気にかけてくれているらしい菱沼さんがどうしたものかと躊躇っているものだから思わず声を放つも。

「行ってあげてください」
「……そういう訳には」

 菱沼さんは相変わらず躊躇していたのだが、その女性が破片で指を切ったらしく、菱沼さんが慌てて駆け寄る姿が見て取れた。

――大丈夫かなぁ?

 そう思っていた私の耳には、創さんとそっくりな声がまたまた流れ込んできて。

「さっきから俺の声に驚いてばかりいるけど、そんなに兄さんの声に似てる?」
「……へ? あっ、はい」

 『兄さん』ということからも、このイケメンが創さんの腹違いの弟なんだと分かり答えてみたものの。

 確かに、創さんを少し幼くしたようなイケメンフェイスもよく似ているし、少し背が低いくらいで、背格好も雰囲気もよく似ている。

 けれど、なんだかさっきまでと雰囲気も様子もまったく違って見えて途端に怖くなってきた。

 そこへ恐怖心を煽るようにして、私にジリジリとにじり寄ってきて。

「ならさぁ、兄さんと俺と、どっちと相性がいいか試してみる? 案外俺の方が合ってるかもしれないよ?」

 よく分からないことを言ってきた。

 分からないなりにも、そのニュアンスからして、あまりいいことじゃないということはすぐに理解できた。

「……え? いや、あの、ちょっ」

 どうやら怖いとさっき感じた私の直感は当たっているらしい。

 さっきまでの優しい甘さを含んだものとはまるで違った、鋭い棘を孕んだような厭らしいその声色に、菱沼さんの声に感じたものとは比較にならないくらいの嫌悪感が背筋を駆け巡った。

 けれども、菱沼さんはまだ戻ってこないし。

 身の危険を感じてジリジリと後ずさりしている私の背中に、もう逃げ場がないことを知らしめるように、ひんやりとした壁の感触が伝わってくる。

 菱沼さんの居る方に視線を向けてみても、ちょうど死角になっているため物音しか聞こえない。

 完全に逃げ場を失った途端に、怖くてしかたなくなってきて、思わずギュッと瞼を閉ざしたちょうどその時。

「菜々子ッ!!」

 大きな声でそう叫ぶ創さんの声音が辺りに響き渡って。

 驚いて目を見開いた先には、弟の創太さんの胸ぐらを引っ掴んで、今まさに拳を振り上げようとしている創さんの姿がそこにあった。

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