上 下
55 / 111

#54 王子様の気遣いには、もう、ウンザリ!

しおりを挟む

 ――トイレから出たら、また戻らなきゃいけなんだなぁ……。

 そう思うと、憂鬱でしょうがなかった。

 だからといって、いつまでもこんなところで長居もできず、早々にお手洗いから出た私は創さんから唐突に、

「朝も早かったし、疲れた。少し休憩するぞ」

そう言い渡され、連れてこられたのは、二階にある創さんの部屋だった。

 確か、創さんがこの家を出たのが高校を卒業した頃だと言っていたけど、もしかしたらその頃のままなのかもしれない。

 ご当主は継母と再婚しているとはいっても、創さんだって自身の子供なのだから、気にかかるだろうし、可愛いいに違いない。

 まだお会いして数時間ほどしか経っていないけれど、ご当主と創さんのやりとりを見ていると、そうであることは一目瞭然だった。

 もしかしたら、ご当主は創さんがいつでも戻ってこられるように、部屋を敢えて、そのままの状態にしていたのかもしれない。

 そのことを裏付けるように、今は使われていない、ホテルの客室かと思うほど広くて日当たりのいい部屋には、家具やベッドは勿論、寝具も綺麗に整えられていて、すぐにでも使用できる状態で保たれていた。

 綺麗に掃除の行き届いた部屋の白い壁には、これまた綺麗な女性の肖像画が飾られていて。

 その傍に置かれているサイドボードの上には、可愛らしい小さな男の子を中央に、微笑みあっている美男美女の若いご夫婦が仲睦まじく寄り添っている家族写真が飾られている。

 おそらく、男の子が創さんで、若いご夫婦はご当主と愛梨さんなのだろう。

 その写真から、その肖像画が亡くなった愛梨さんであることが窺える。

 その他にも、創さんがひとりで写っているものや、親族や友人たちと一緒に写っているものもあったけれど、三人が写っている家族写真に私の目は釘付けとなっていた。

――愛梨さん、メチャクチャ綺麗ー! 女優さんみたい。それに、ご当主。創さんにそっくり! うわぁ、創さん可愛すぎッ!? 天使ですかッ?!

 すっかり興奮状態の私は、思わずその写真のはめ込まれたおしゃれなガラス製のフォトフレームを持ち上げて、食い入るように見つめてしまっていた。

 そんな有様だった私は、一緒にいる創さんの存在などすっかり忘れていたのだ。

 創さんが背後にぐっと距離を詰めてきていることに私が気づいた時には、お決まりのように耳元で息を吹きかけつつ、

「女って、そういう子供の頃の写真とか見るの好きだよなぁ」

そう囁いてきた創さんによって、既に、背後から包み込むようにして抱きしめられたあとだった。

 驚いて、手にしていた写真を危うく取り落としそうになったけれど。

 フォトフレームは創さんにすんでの所でキャッチされ、ホッとした私の眼前には、それを元の位置に戻す様子がスローモーションのように映し出されている。

 その時、何故か数あるフォトフレームのうちの一つが、創さんの手により、不自然に伏せられたように見えてしまったけれど。

 この時の私には、そのことを気にかけるような余裕なんてものはなかった。

  何故なら、この直後に、創さんから意外な言葉がかけられたからだ。

「……嫌な思いばかりさせて悪かった。菜々子が戻りたくなければ、体調が優れないと言って、このまま帰ったって構わないんだぞ」

  一瞬、驚いて言葉が出てこなかったくらい意外な言葉だった。

  それなのに、創さんは尚も続け様に、こうも言ってきたのだ。

「菜々子がどうしたいか聞かせてほしい。俺は、何よりも、菜々子の意思を尊重したい」

 創さんの、私のことを優しく気遣うような言葉と殊のほか優しい声音とを、耳にした私の脳裏には、流れるようにつぎつぎと、これまでのことが走馬灯の如く蘇ってくる。

 私の機嫌をとろうと、好物のりんごのコンポートをこっそり用意して、食べさせてくれたあの夜を境に、ふたりきりになると優しい雰囲気を醸し出すようになった創さん。

 とはいっても、面白おかしくからかわれることの方が殆どで、いつもいつも終いには真っ赤にさせられて、悔しい思いだってさせられてきた。

 そんな時には決まって。

――好きじゃない。好きになって堪るか……って、自分に何度も何度も言い聞かせてきた。

 それなのに、それなのに……。

 創さんへの自分の気持ちを自覚した途端に、人質でしかない私のことを気遣うような、そんな優しいことをピンポイントで言ってくるなんて、あんまりだ。

 これも、自分のことを好きにさせて、私が自分の言いなりになるようにという魂胆に違いない。

 そんな中身のない見せかけだけの、気遣いや優しさで、もうこれ以上私のことを惑わせないでほしい。

――もう、こんなのうんざりだ。いい加減にしてほしい!

 人質になれと言われてから今まで、言われてきたことや、溜まりに溜まっていた鬱憤やなんやかんやが一気に膨らんで溢れだしてもう止まらなくなってしまい。

「もう、いい加減にしてくださいッ! これ以上私のことを好きにさせて、一体どうするつもりですかッ⁈ 私のことなんか好きじゃないくせにッ! 好きになんてなってくれないくせにッ! こんなのもうヤダッ! 意思を尊重してくれるって言うんなら、今すぐ私を解放してくださいッ!」

 気づいた時には、背後にいたはずの創さんと、涙を零し怒りに打ち震えながらも、私は真っ向から創さんと対峙していたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

ご先祖さまの証文のせいで、ホテル王と結婚させられ、ドバイに行きました

菱沼あゆ
恋愛
 ご先祖さまの残した証文のせいで、ホテル王 有坂桔平(ありさか きっぺい)と戸籍上だけの婚姻関係を結んでいる花木真珠(はなき まじゅ)。  一度だけ結婚式で会った桔平に、 「これもなにかの縁でしょう。  なにか困ったことがあったら言ってください」 と言ったのだが。  ついにそのときが来たようだった。 「妻が必要になった。  月末までにドバイに来てくれ」  そう言われ、迎えに来てくれた桔平と空港で待ち合わせた真珠だったが。  ……私の夫はどの人ですかっ。  コンタクト忘れていった結婚式の日に、一度しか会っていないのでわかりません~っ。  よく知らない夫と結婚以来、初めての再会でいきなり旅に出ることになった真珠のドバイ旅行記。  ちょっぴりモルディブです。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜

湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」 「はっ?」 突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。 しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。 モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!? 素性がバレる訳にはいかない。絶対に…… 自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。 果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。

2人のあなたに愛されて ~歪んだ溺愛と密かな溺愛~

けいこ
恋愛
「柚葉ちゃん。僕と付き合ってほしい。ずっと君のことが好きだったんだ」 片思いだった若きイケメン社長からの突然の告白。 嘘みたいに深い愛情を注がれ、毎日ドキドキの日々を過ごしてる。 「僕の奥さんは柚葉しかいない。どんなことがあっても、一生君を幸せにするから。嘘じゃないよ。絶対に君を離さない」 結婚も決まって幸せ過ぎる私の目の前に現れたのは、もう1人のあなた。 大好きな彼の双子の弟。 第一印象は最悪―― なのに、信じられない裏切りによって天国から地獄に突き落とされた私を、あなたは不器用に包み込んでくれる。 愛情、裏切り、偽装恋愛、同居……そして、結婚。 あんなに穏やかだったはずの日常が、突然、嵐に巻き込まれたかのように目まぐるしく動き出す――

処理中です...