47 / 111
#46 もやる気持ちを置き去りにして ⑴
しおりを挟む『婚約者として、菜々子のことはこの俺が絶対に守る』
あの夜、桜小路さんに言われた言葉が今も、この耳に、心に、しっかりと刻み込まれている。
あの後、桜小路さんに食べさせてもらった、私の大好物のりんごのコンポートの、心に染み入るような、あの優しい甘さと一緒に――。
それはまるで呪いの呪文のように、ことあるごとに鮮やかに蘇ってくる。
あの時、確かにキュンと胸がときめいたし。
恋愛ごとに疎い私でも分かるくらいにハッキリと聞こえた気だってした。
やっぱり桜小路さんの言うように、私は桜小路さんのことを好きになりかけているのかもしれない。
否、もしかしたらもう好きになってるのかもしれない。
といっても、こんなこと初めてでよく分からないっていうのが本音だけど。
仮にそうだとして、それを認めたからって、桜小路さんは私のことを人質としてしか思っていないんだから、この想いが報われることはない。
――それを分かっていて、認められっこない。
これまで通り、人質として、専属のパティシエールとして、自分の役目を果たしていくだけだ。
ただ厄介なのは、あの夜を境に、どういうわけか、ふたりきりになると、桜小路さんの言動までが少し柔らかくなって、本物の婚約者に向けるようなものになっていることだった。
桜小路さん曰く、ご当主や継母の目を欺くための雰囲気作りのため、であり。
自分のことを好きになりかけている私のことをもっともっと好きにさせて、自覚させるため、らしいのだが……。
諸々の事情により、自分の気持ちを認めるわけにはいかない私にとっては、迷惑極まりないことでしかなかった。
その上、無自覚なのかなんなのか、前に言ってたように、使用人に対する独占欲からか、時折不意打ちのように嫉妬を思わせるような言動で、私のことを惑わせもやらせるのだから質が悪い。
胸の内でことあるごとに、そうやって毒づいてはいるものの、私の作ったスイーツを食べている桜小路さんの、あの蕩けるように幸せそうな表情を目の当たりにしてしまうと、どうでも良くなってしまうのだから、困りものだ。
――やっぱりイケメン最強。悔しいけど、敵う気がしない。
こうしてあの夜を境に、寝起きの悪い桜小路さんの無愛想かつ不機嫌極まりない言動が朝限定となってから、もやりにもやっている私のことなんて置き去りにして、早いものでもうすぐ一ヶ月を迎えようとしている。
その間、菱沼さんは、相変わらず毒舌で、私のことを『チビ』呼ばわりだし。
愛梨さんは愛梨さんで。
『早く可愛い孫の顔が見たいわぁ』
『創に似てもメチャクチャ可愛いだろうし。菜々子ちゃんみたいに元気で明るいと、家の中がパーッと明るくなっていいわねぇ』
『もう今からでもいいのよ。頑張ってね、菜々子ちゃん』
私が人質だということも、これが偽装結婚だということも、すっかり忘れて、毎日すっかり浮かれモード。
そのたびに、私は『ハァー』とそれはそれは盛大な溜息を垂れ流していたのだった。
――あれからもう一ヶ月が経つんだぁ。早いなぁ。
なんて、感慨に耽っているような、そんな気分じゃなかった。
何故なら、桜小路家のご当主との顔合わせが明日に迫っているからだ。
その席には、ご当主の奥様である継母は勿論、つい一月前まで、その存在さえも知らなかった、顔も見たことのない父親も立ち会うのだという。
菱沼さんの話によれば、おそらく向こうは、既に私のことを調べ上げていて、何かしらの動きがあるかもしれないということだった。
明日には、この日のために、桜小路さんが私にと見立ててくれた、上品かつ女性らしい柔らかなフレアラインのアイボリーのワンピース(慣れない服)に身を包んで、初めてのご対面。
そう思うと、もう日付も変わろうとしているのに、さっきから何度目を閉じてみても、一向に眠気が訪れてくれないのだった。
どこかのホテルのスイートルームかと思うくらい、だだっ広い寝室の、これまた広くて寝心地のいいキングサイズのベッドの上。
気持ちよさげに眠っている桜小路さんと背中合わせの私は、どうしたものかと、只今絶賛、途方に暮れているところだ。
――これはもう、徹夜だな。
どうしても眠れない時は、瞼を閉じてるだけでも頭と身体を休めることができるとか言ってたっけ。
寝るのを諦めた私が、どこかで耳にした不確かな情報を実行していた時のことだ。
朝にめっぽう弱くて、寝起きも頗る悪いが、寝付くのはほんの数秒という、(アニメのキャラ並みの特技を持つ)桜小路さん。
もうすっかり熟睡して夢の国の住人になっていると思っていた桜小路さんに、気づけば、あっと驚く間も与えられないうちに、後ろから抱き枕の如く抱きしめられてしまっていた。
驚きながらも、寝ぼけてるのかもしれない。そう思った私が、声をかけていいものか思案しているところに。
「……予想はしていたが、やはり不安で眠れないようだな」
ちょうど項の辺りに顔を埋めてきた桜小路さんに、寝起きにしてはやけに優しい柔らかな声音で囁かれてしまい。
不安や緊張感で嫌な音を立てていたはずの胸の鼓動が、今度は違った緊張感に見舞われて、たちまちドックンドックンと忙しなく騒ぎ始めてしまった。
今なら、口から心臓を飛び出させることもできるかもしれない。
なかなか寝付けずにいたせいか、可笑しなテンションの私がバカなことを考えている間に、何を思ったのか、桜小路さんは私の身体をヒョイと持ち上げて。
着地させられたところが、目にもとまらぬ早業で仰向けになった桜小路さんの身体の上だったから驚きだ。
0
お気に入りに追加
289
あなたにおすすめの小説
腹黒御曹司の独占欲から逃げられません 極上の一夜は溺愛のはじまり
春宮ともみ
恋愛
旧題:極甘シンドローム〜敏腕社長は初恋を最後の恋にしたい〜
大手ゼネコン会社社長の一人娘だった明日香は、小学校入学と同時に不慮の事故で両親を亡くし、首都圏から離れた遠縁の親戚宅に預けられ慎ましやかに暮らすことに。質素な生活ながらも愛情をたっぷり受けて充実した学生時代を過ごしたのち、英文系の女子大を卒業後、上京してひとり暮らしをはじめ中堅の人材派遣会社で総務部の事務職として働きだす。そして、ひょんなことから幼いころに面識があったある女性の結婚式に出席したことで、運命の歯車が大きく動きだしてしまい――?
***
ドSで策士な腹黒御曹司×元令嬢OLが紡ぐ、甘酸っぱい初恋ロマンス
***
◎作中に出てくる企業名、施設・地域名、登場人物が持つ知識等は創作上のフィクションです
◆アルファポリス様のみの掲載(今後も他サイトへの転載は予定していません)
※著者既作「(エタニティブックス)俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる」のサブキャラクター、「【R18】音のない夜に」のヒーローがそれぞれ名前だけ登場しますが、もちろんこちら単体のみでもお楽しみいただけます。彼らをご存知の方はくすっとしていただけたら嬉しいです
※著者が読みたいだけの性癖を詰め込んだ三人称一元視点習作です
孕むまでオマエを離さない~孤独な御曹司の執着愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「絶対にキモチイイと言わせてやる」
私に多額の借金を背負わせ、彼氏がいなくなりました!?
ヤバい取り立て屋から告げられた返済期限は一週間後。
少しでもどうにかならないかとキャバクラに体験入店したものの、ナンバーワンキャバ嬢の恨みを買い、騒ぎを起こしてしまいました……。
それだけでも絶望的なのに、私を庇ってきたのは弊社の御曹司で。
副業がバレてクビかと怯えていたら、借金の肩代わりに妊娠を強要されたんですが!?
跡取り身籠もり条件の愛のない関係のはずなのに、御曹司があまあまなのはなぜでしょう……?
坂下花音 さかしたかのん
28歳
不動産会社『マグネイトエステート』一般社員
真面目が服を着て歩いているような子
見た目も真面目そのもの
恋に関しては夢を見がちで、そのせいで男に騙された
×
盛重海星 もりしげかいせい
32歳
不動産会社『マグネイトエステート』開発本部長で御曹司
長男だけどなにやら訳ありであまり跡取りとして望まれていない
人当たりがよくていい人
だけど本当は強引!?
【契約ロスト・バージン】未経験ナースが美麗バツイチ外科医と一夜限りの溺愛処女喪失
星キラリ
恋愛
不器用なナースと外科医の医療系♡純愛ラブ・ストーリー
主人公の(高山桃子)は優等生で地味目な准看護師。 彼女はもうすぐ三十路を迎えるというのに 未だに愛する人を見つけられず、処女であることを嘆いていた。ある日、酔った勢いで「誰でもいいから処女を捨てたい」と 泣きながら打ち明けた相手は なんと彼女が密かに憧れていた天才美麗外科医の(新藤修二) 新藤は、桃子の告白に応える形で 「一夜限りのあとくされのな、い契約を提案し、彼女の初めての相手を務める申し出をする クリスマスの夜、二人は契約通りの関係を持つ たった一夜新藤の優しさと情熱に触れ 桃子は彼を愛してしまうが、 契約は一夜限りのもの 桃子はその気持ちを必死に隠そうとする 一方、新藤もまた、桃子を忘れられずに悩んでいた 彼女の冷たい態度に戸惑いながらも 彼はついに行動を起こし 二人は晴れて付き合うことになる。 しかし、そこに新藤の別れた妻、が現れ 二人の関係に影を落とす、 桃子は新藤の愛を守るために奮闘するが、元妻の一言により誤解が生じ 桃子は新藤との別れを決意する。 怒りと混乱の中、新藤は逃げる桃子を追いかけて病院中を駆け回り、医者と患者が見守る中、 二人の追いかけっこは続きついには病院を巻き込んだ公開プロポーズが成功した。愛の力がどのように困難を乗り越え、 二人を結びつけるのかを描いた医療系感動的ラブストーリー(※マークはセンシティブな表現があります)
再会ロマンス~幼なじみの甘い溺愛~
松本ユミ
恋愛
夏木美桜(なつきみお)は幼なじみの鳴海哲平(なるみてっぺい)に淡い恋心を抱いていた。
しかし、小学校の卒業式で起こったある出来事により二人はすれ違い、両親の離婚により美桜は引っ越して哲平と疎遠になった。
約十二年後、偶然にも美桜は哲平と再会した。
過去の出来事から二度と会いたくないと思っていた哲平と、美桜は酔った勢いで一夜を共にしてしまう。
美桜が初めてだと知った哲平は『責任をとる、結婚しよう』と言ってきて、好きという気持ちを全面に出して甘やかしてくる。
そんな中、美桜がストーカー被害に遭っていることを知った哲平が一緒に住むことを提案してきて……。
幼なじみとの再会ラブ。
*他サイト様でも公開中ですが、こちらは加筆修正した完全版になります。
性描写も予告なしに入りますので、苦手な人はご注意してください。
【R18】男嫌いと噂の美人秘書はエリート副社長に一夜から始まる恋に落とされる。
夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
真田(さなだ)ホールディングスで専務秘書を務めている香坂 杏珠(こうさか あんじゅ)は凛とした美人で26歳。社内外問わずモテるものの、男に冷たく当たることから『男性嫌いではないか』と噂されている。
しかし、実際は違う。杏珠は自分の理想を妥協することが出来ず、結果的に彼氏いない歴=年齢を貫いている、いわば拗らせ女なのだ。
そんな杏珠はある日社長から副社長として本社に来てもらう甥っ子の専属秘書になってほしいと打診された。
渋々といった風に了承した杏珠。
そして、出逢った男性――丞(たすく)は、まさかまさかで杏珠の好みぴったりの『筋肉男子』だった。
挙句、気が付いたら二人でベッドにいて……。
しかも、過去についてしまった『とある嘘』が原因で、杏珠は危機に陥る。
後継者と名高いエリート副社長×凛とした美人秘書(拗らせ女)の身体から始まる現代ラブ。
▼掲載先→エブリスタ、ベリーズカフェ、アルファポリス(性描写多め版)
あの夜をもう一度~不器用なイケメンの重すぎる拗らせ愛~
sae
恋愛
イケメン、高学歴、愛想も良くてモテ人生まっしぐらに見える高宮駿(たかみやしゅん)は、過去のトラウマからろくな恋愛をしていない拗らせた男である。酔った勢いで同じ会社の美山燈子(みやまとうこ)と一夜の関係を持ってまう。普段なら絶対にしないような失態に動揺する高宮、一方燈子はひどく冷静に事態を受け止め自分とのことは忘れてくれと懇願してくる。それを無視できない高宮だが燈子との心の距離は開いていく一方で……。
☆双方向の視点で物語は進みます。
☆こちらは自作「ゆびさきから恋をする~」のスピンオフ作品になります。この作品からでも読めますが、出てくるキャラを知ってもらえているとより楽しめるかもです。もし良ければそちらも覗いてもらえたら嬉しいです。
⭐︎本編完結
⭐︎続編連載開始(R6.8.23〜)、燈子過去編→高宮家族編と続きます!お付き合いよろしくお願いします!!
蕩ける愛であなたを覆いつくしたい~最悪の失恋から救ってくれた年下の同僚に甘く翻弄されてます~
泉南佳那
恋愛
梶原茉衣 28歳 × 浅野一樹 25歳
最悪の失恋をしたその夜、茉衣を救ってくれたのは、3歳年下の同僚、その端正な容姿で、会社一の人気を誇る浅野一樹だった。
「抱きしめてもいいですか。今それしか、梶原さんを慰める方法が見つからない」
「行くところがなくて困ってるんなら家にきます? 避難所だと思ってくれればいいですよ」
成り行きで彼のマンションにやっかいになることになった茉衣。
徐々に傷ついた心を優しく慰めてくれる彼に惹かれてゆき……
超イケメンの年下同僚に甘く翻弄されるヒロイン。
一緒にドキドキしていただければ、嬉しいです❤️
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる