拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。

羽村美海

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#5 本採用じゃなかったんですか!?

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 あんなに悔しい思いまでして応じたというのに……。

 ついさっき、菱沼さんから返ってきた言葉に、私はベッドの上だというのに盛大にずっこけそうになった。

 だって、まさかのまさか。

「それでは早速ですが、本採用の前にもうけます試用期間についての諸々のご説明をさせて頂きたいと思います」

 あんな脅迫まがいなことをやっておいて、『試用期間』なんて言葉が返ってくるなんて思わないじゃない? 普通。

 それも、こうなることを想定してあらかじめ用意していたらしい書類が綴じられている、やたらと分厚い真っ黒なクリアファイルを登場させた菱沼さん。

 どこに隠し持っていたかも気になるとこだけど、それよりも、こうなるように仕向けたっていうのがバレバレですから。

 まぁ、端から隠すつもりもないんだろうけど……。

 そんな感じで、ベッドの上で色々と衝撃を受けている間に、私が死神に見間違えるのも頷ける、漆黒のスーツに身を包んだ背筋をピーンと伸ばして説明を始めた菱沼さん。

 ちなみに、蒼白く見えた顔色に関しては、水槽の蓋の色が反射していたようで、今は普通に肌色だ。

「まず本採用の前に、一週間の試用期間をもうけますので、藤倉菜々子様には住み込みで創様の身の回りの家事をやって頂きます」

「ーーへ!? 住み込みなんですか? それに、家事までやらないといけなんですか?」

 菱沼さんからさっそく気になるワードが飛び出してきたために、私は前のめりになって聞き返していた。

 すると、それも想定内だと言わんばかりに、ふむ、と頷くような素振りを見せた菱沼さんが、「ええ」と答えてから簡潔な説明がなされた。

「藤倉様は今月中に社員寮から退去頂く予定ですので、その方が何かと都合がよろしいかと。

それに、創様がスイーツに目がないことに加えて、藤倉様がたまたまパティシエールだったことから『専属パティシエール』としましたが。

さすがにそれのみとなりますと、報酬もそれなりにしか払えなくなってしまいますしねぇ」

「あぁ、なるほど。……でも、住み込みっていうのはちょっと」

 家事については納得いったものの、住み込みっていうのがどうしても引っかかる。

「あー、気がつきませんで、失礼いたしました。勿論、女性である藤倉様のプライベートはちゃんと配慮しております。設備も最新のものですし、セキュリティーの方も万全ですので、どうぞご安心ください」

 どうやら、男性である菱沼さんはついうっかりしていて、それについての詳細な説明を忘れていただけだったらしい。

「そうでしたか、安心しました」

「それでは、報酬の方に移らせていただいてもよろしいですか?」

「はい」

 ネックになっていた住み込みの件もすぐに解決し。

 菱沼さんの説明も一番気になる報酬へと移り変わっていったため、私の意識も完全にそちらへと移り変わっていき。

 さすがは日本経済に多大なる影響を与える財閥系企業だけのことはあり、報酬の額も申し分なかったどころか、予想以上だった。

 その上、自分で作らなければならないが、食事も住む所まで付いているという、恐縮してしまうほどの好条件だったのだ。

「問題がないようでしたら、こちらの書類にサインで結構ですので……といいましても無理でしょうから、拇印だけ頂戴してもよろしいですか?」

「はい」

 全ての説明を聞き終えた私は、何の躊躇も疑いもなく、菱沼さんの手助けにより数枚の書類に拇印をしっかりと押したのだった。

 私が菱沼さんから説明を受けていた間、桜小路さんと水槽の亀がどうしていたかといえば……

 やけに豪華な病室だと思っていたら、さすがは桜小路グループの御曹司。

 桜小路さんのポケットマネーで、要人などが使用するというVIP専用の個室を手配してもらっていたらしい。

 そんなVIPな個室のベッドの傍に設《しつら》えられているこれまた上質そうな応接セットで優雅にくつろぎつつ、ずっと飽きもせずに、テーブルに置いた水槽の中のカメ吉のことを眺めていた桜小路さん。

 初見が初見だったために今の今までちゃんと見るような余裕なんてなかったけれど。

 見るからに上質そうなおそらくオーダーメイドであろうダークグレーのスリーピーススーツといい。

 マスク越しでもだだ漏れのイケメンフェイスに、おそらくジム通いで鍛えたのだろうスーツ越しでも分かる精悍な体付きをした体躯といい。

 さすがは日本最大の財閥系企業の御曹司。

 少々口と態度は悪いようだけれど、それを除けば、どれをとっても超一流で、たとえるなら歩く上流階級って感じだ。

 生まれてこの方、平々凡々の一般庶民だった私は、御曹司と呼ばれる人と関わり合いになったことなど一度もなかったけれど……。

 これから私の雇い主となる桜小路さんは、どうやら何事もマイペースで、ちょっと変わった人なのかもしれない。

 この時の私は、就活からも住まいの心配からも開放されたせいか、暢気にそんなことを思っていたのだった。

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