7 / 101
鳥籠のお嬢様
鳥籠のお嬢様⑥
しおりを挟むその声に振り返り、長年見慣れた仕事着である、濃い紫の着物に身を包んだ麻美の姿を視認した途端、ホッと胸を撫で下ろした。
「……う、うん。大丈夫。なんでもないから」
対して愼は、邪魔が入ったとばかりに、美桜にだけ聞こえるほど小さなチッという舌打ちを繰り出してすぐ、美桜の背中越しにこちらへ駆け寄ってくる麻美に向き合い、いつもの飄然とした声音を披露している、という変わり身の早さだ。
「相変わらず心配性だなぁ、麻美さんは」
「あら、愼坊ちゃん。まだこんなところにいらしたんですか? 早く支度なさらないと収録に遅れてしまうんじゃありませんか?」
「あっ、やっべぇ。そうだった」
「まぁ、嫌だわ。忘れてらしたんですか? だったら早く支度なさってください。遅れたりしたら、先祖代々築き上げてきた清風の信用が台無しですよ」
「……はい。すぐに支度します」
けれどこれもいつものこと。
麻美はまたかというような顔を隠しもせず、毅然とした態度で、愼にピシャリと苦言を呈し、もちろんお小言も忘れない。
その言葉でテレビ局での収録のことを思い出したらしい愼は、少しバツ悪そうにしながらも時間がないのか、慌てた様子でそそくさとニ階にある自室へと走り去っていく。
今年六十歳を迎える麻美は、前家元で現在は妻の幸代とともに軽井沢の別荘に移り住んでいる、弦一郎の代からこの家の使用人として住み込みで働いてくれている。
なんでも天澤家の遠縁に当たるんだそうだ。
若い頃に嫁ぎ先から訳あって出戻ったはいいが、兄嫁との折り合いが悪かったとかで、実家で肩身の狭い思いをしていたらしい。
ちょうどその頃、弦一郎が法要で麻美の実家に出向いていたことで、見かねた弦一郎の勧めから、使用人としてこの家で働くようになったのだという。
『遠縁というのもあったし、親同士が仲がよかったんですよ。なので弦一郎さんとは幼い頃から年の離れた兄弟のように育ってきたこともあって、不憫で放っても置けなかったんでしょうねぇ』
まだ十代だった自分にそういって麻美が話してくれたが。
当時、住み込みの使用人を探していたらしい弦一郎も赤の他人を家に住ませるのには抵抗があっただろうから、どちらにとっても都合が良かったのだろうし。
おそらく弦一郎は、しっかり者で働き者でもある麻美には、この仕事が向いていると思ったから勧めたのだろう。
実際、他の通いの使用人とは違って、家の細部まで任せられているし、前家元の息のかかった麻美は、誰よりもこの家のことを知り尽くしているといっても過言ではない。
行事事に関しても、麻美のサポートがなければ、成り立たないことは誰の目から見ても、明白だった。
故に、薫も愼も麻美には強く出られない訳である。
美桜にとって麻美は、この家で唯一の味方であり、心の拠り所でもあった。
もちろんそうなるよう麻美に美桜のことを託したのは、弦一郎が自らの指示で引き取ることになった、孫である美桜のことを思ってのことだ。
三年前、弦一郎は脳梗塞を患ったのを機に、隠居し転居する際、美桜も一緒に連れて行こうと考えていたのだが。薫と同じ妻という立場から、幸代にいい顔をされなかったために、それは叶わなかった。
現役の頃は自分の思い通りに振る舞ってきた弦一郎も、隠居して幸代と四六時中一緒に過ごすことを思うと、強くも出られなかったのだろう。
そういう意味では、弦一郎も弦も似た者親子なのかもしれない。
なにはともあれ、愼から解放され、唯一の味方である麻美と一緒に離れでの後片付けを終えることもできた。
その時に、麻美に見合いのことは話したものの、余計な心配をかけないためにも、相手のことは濁し、普段通りを心掛けたが気が晴れることはなく。
夜も更け、いつものように麻美とのふたりきりの夕飯のあと、入浴を済ませて布団に入ってからも、見合いのことを思うと、なかなか寝付くことができず、気づけば翌朝を迎えていたのだった。
0
お気に入りに追加
393
あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
愛し愛され愛を知る。【完】
夏目萌(月嶋ゆのん)
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。
住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。
悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。
特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。
そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。
これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。
※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない
若松だんご
恋愛
――俺には、将来を誓った相手がいるんです。
お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。
――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。
ほげええっ!?
ちょっ、ちょっと待ってください、課長!
あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?
課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。
――俺のところに来い。
オオカミ課長に、強引に同居させられた。
――この方が、恋人らしいだろ。
うん。そうなんだけど。そうなんですけど。
気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。
イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。
(仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???
すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる