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第八章「ダンジョン」

「……このあたり、やたら血痕がついているね」

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 それからも更に先へと進む。
 ふいにオリバーが気がついたように口を開いた。

「……このあたり、やたら血痕がついているね」

 地面を見ると、確かに壁や床に血の流れた跡がついていた。

「ここらへんはオークも出るようになったからなぁ……。そいつらの血だといいんだけど」

 ねちゃ、とまだ新しい血を踏んでしまったピオさんが顔をしかめながら答える。そこから更に行くと、大きな広場に出た。
 やたら広く、大聖堂一つがまるっと入るような場所の中央に、人間の三倍はあろうかという身長の土人形ゴーレムが立っていた。

「……さっきの血は、こいつにやられた血かよ」

 ピオさんがオリバーの魔力を増幅する。オリバーも無詠唱で周囲に光の球を作り出していた。

「……おにいちゃ……」

 ふいに、甲高い少女の声がする。土人形ゴーレムから発せられていた。

「アリス!?」

 イリスさんの顔色が変わる。

「お兄ちゃん……、おにいちゃん……」

 よたよたとアリスの声を出す土人形ゴーレムが歩いてくる。イリスさんが駆け寄ろうとするが、その手をピオさんが掴んだ。

「怪しいだろ!? 本当にアリスだって証拠もねぇ」

「アリスだよ! 声が同じだろ!?」

「サルマネだって同じ声を出せるんだろ!」

 彼の声にピタリと大きくなったアリスが止まる。イリスさんの体が小刻みに震えていた。

「……違う。彼女は私のたった一人の妹なんだ」

 普段の彼ならば、もっと冷静に判断できていただろう。けれど、今はどうしてもピオさんの意見を受け入れられないようだった。

「……アリス。俺のことは覚えているか?」

 ピオさんが土人形ゴーレムに向き直る。

「うん。ピオでしょう? 私の幼馴染で、恋人だった」

 少女のあどけない声が今は不気味だ。ピオさんは彼女を見つめたまま続けた。

「告白の言葉は? どこで言った? 言えるか?」

「……え?」

 アリスは戸惑い、首を傾げる。

「……わからないよ」

「なら、なんでお前は図書館に行くのが好きだった? さすがにこれは答えられるだろ?」

「……なんでって、行くのが好きだからじゃダメなの?」

 土人形ゴーレムは純粋に不思議そうだった。ピオさんはため息をついてイリスさんに向き直る。

「図書館が好きなのは、あそこの庭番が飼っていた子猫に会いに行くためだ。本物のアリスは本になんか興味なかったよ。それでも、お前が行くからついていって、子猫を触って喜んでいたんだ。俺はそれをたまたま見て、知っていた」

 薄紅色の竜人の顔から血の気が引いていく。

「……でも、そんな」

 声が震えていた。

「告白もしてねぇ。恋人でもねぇ。子猫のことでよく話すようになっていたから、お前が勝手にそう思っていただけだ。……あのアリスは全部お前の記憶の中のアリスなんだよ」

 イリスさんの目が細められる。ぽろりと目尻から涙が溢れた。どうりでピオさんはアリスに対して一歩引いた態度を取っていたのか。

「違う……。そんな……」

 イリスさんの顔が青くなっている。悲壮感あふれる表情にこうなるからピオさんはこれまで告げられなかったのだろうと考えた。

「危ない!」

 アリスの手がイリスさんを襲おうとしていたので俺はとっさに間に入り防御魔法を張る。シシリアさんほどではないが、一応物理攻撃なら跳ね返せる。実際、ギィと重い音を立ててアリスの手が跳ね返った。

「……狼のお姉さんだ」

 アリスの第二撃が飛んでくる。慌てて再びシールドを張ろうとしたら、がっちりと俺の体を掴まれた。

「お姉さん。一緒にいきましょう」

 くるりと踵を返すと、アリスは走り出す。奥には扉があり、壊すように開いて部屋から出ていった。

「ウィル!」

「アリス!」

 オリバー達の声が遠ざかる。慌てて逃げ出せないかと土人形ゴーレムの手を叩くが、びくりともしなかった。

「俺をどこに連れて行く気だ!」

「ウェノラちゃんにあげるの。ウェノラちゃん、アナタの体を欲しがっていた」

 ぞ、と背筋が冷える。いっそう俺は彼女の手を叩いた。
 行き着いた先には巨大な穴が広がっていた。

「怖くないよ」

 言いながら飛び降りる。怖いに決まっているだろう。
 先程まで逃げようとしていたのに、今は必死にアリスの手にしがみついていた。

「ウィル!」

 すぐに三人共追いついてくる。底の見えない穴に落ちていく俺を見た瞬間、オリバーはドラゴンに変身した。身につけていたものが全てボロボロに破れていく。
 彼は気にした様子なく底へと飛んでいく。咄嗟にピオさんが飛び乗り、アリスたちを追いかけた。

「オリバー! 魔力を増幅してやるからアイツを壊せ!」

「いいの? 俺は構わないけど」

 ピオさんはオリバーに魔力を送る。彼は周囲に大量の光の玉を作り出した。

「待って! それじゃ、アリスが壊れてしまう!」

 追いついてきた桃色のドラゴンが抗議する。

「あいつはアリスじゃねぇ! さっき証明しただろ!?」

「たまたま忘れているだけかもしれない!」

「いい加減にしろ! お前、そんな聞き分けのねぇやつじゃなかっただろ!」

 ピオさんの声に苛立ちが交じる。オリバーが割って入った。

「ねぇ、申し訳ないけど、ウィルの命がかかってるんだ。攻撃するからね」

 告げると金のドラゴンは土人形ゴーレムに向かって光の玉を発射する。彼の狙いは正確だ。手と足、頭を撃ち抜いた。

「アリス! いやだ! やめてくれ! 彼女は言えばわかってくれるはずだ!」

 悲痛な声でイリスさんが叫ぶ。中身がサルマネである可能性が高いとわかっても、彼にとっては大切な家族なのだ。ただでさえ情に厚い竜人だ。家族としていたものが壊れていくのに精神が耐えられそうになかった。

「お……にい……ちゃ……」

 彼女のか細い声がし、土人形ゴーレムの破片が粉々に崩れていく。

「アリス! アリス……」

 イリスさんはアリスだった破片の胴体を握りしめると、羽から力を抜く。

「あのバカ……っ」

 ピオさんが呟き、オリバーからイリスさんに飛び移った。

「おい、このままアリスと一緒に心中するつもりか!? ちゃんと羽を動かして飛ばないと、下に衝突するぞ」

 けれどイリスさんは瞳をつむり、ピオさんの声を聞き流していた。巨大な穴の底が見えてくる。水が溜まっていたが、深さがわからない。そもそもこんなに長い間落ちていたら、石壁に叩きつけられるほどの衝撃を感じてしまう。いくらイリスさんでも命の保証はないだろう。

「イリス! 俺はオリバーに飛び移らないからな! お前が飛ぼうとしなかったら、一緒に死ぬことになる」

 ピクリ、とイリスさんの体が震える。

「それでもいいなら、アリスを追っかけて水に突っ込め」

 あと少し、数メートルで水面につく、そんな時だった。
 ぶわっ……。
 風が舞い、イリスさんの体が浮く。そのまま何度も羽ばたき、彼はふわりと上昇した。ほぼ同時に水音がし、アリスの破片が落ちていく。

「ウィル!」

 オリバーがイリスさんを避けて水面を探す。イリスさんはそんな金のドラゴンを呆然と眺めながら、背中に語りかけた。

「……ずるいよ」

 飛び上がった時に落としたのだろう、手には何も持っていない。アリスのカケラは全て水底に落ちてしまっていた。
 俺はというと、防御魔法と飛行魔法を組み合わせ、水面直前でシールドを張った上で浮いたので衝撃はほぼなかった。

「……ずっと、私とアリスを疑っていたくせに」

 イリスさんの地を這うような声がする。ピオさんの動向は知っていたのだろう。

「俺じゃねぇよ。お前もアリスも、ずっと警察が疑ってた。シシリアなんかは、お前と会うたびに警戒の目を向けていただろう。……だから俺がお前を調べるって名乗りをあげたんだ」

 ふいに、以前アカデミーの前で彼女と出会った事を思い出した。イリスさんが反論する。

「……それは、結局疑っていたということじゃないのかい」

「俺個人はお前じゃないって思っていた。……思っていたかった。だから、違うって証拠を集めていたんだよ。……なのに、お前はいつだって怪しまれるようなことしかしねぇ」

 ピオさんが吐き捨てる。
 確かに、イリスさんの言動は元警察としても、友人としてもヒヤヒヤしていただろう。
 ピオさんは続ける。

「正直、お前じゃねぇって主張し続けるのは骨が折れたよ。警察のほうじゃ、何とかお前をしょっぴけるネタを探してこいってうるさくてな」

 それでも竜人の声は重い。

「……今更、守っていたとでも言うつもりかい?」

「そうだよ!」

 ピオさんの怒号が穴の中に響き渡る。

「守るに決まってんだろ! たった一人の幼馴染で、親友なんだから」

 イリスさんは首を後ろに向け、ピオさんの方を見た。彼は照れたようにそっぽを向く。

「……しんゆう」

 イリスさんが繰り返す。
 ピオさんは頭をガシガシとかいた。

「そうだ! ……わかったら、ウィルを探すぞ!」

 ドラゴンは再び正面を向く。

「うん……、そうだね。……ありがとう」

 噛みしめるような、それでいて寂しそうな声だった。
 イリスさんがこちらに飛んでくる。オリバーも俺を見つけたようで一直線に向かってきていた。
 彼らに手を振ろうとした時だった。
 足に何かが絡みつき、水底へと引っ張られてしまった。
 
 
 
 
 
 少しの息苦しさの後、気を失ってしまった。

「……っ! ごふっ……」

 意識が戻ると同時に水を吐き出す。石造りの室内にはいくつものランプが灯っており、これまでのダンジョンと一線を画すほどに調度品も整っていた。

「あら、起きた?」

 鈴を転がすような声に、上半身を起こしそちらを見る。
 一段高いところに椅子があり、周囲を複数の土人形が取り囲んでいた。
 中央に金髪の美少女が座っており、悠然とこちらを見下ろしている。彼女の手には本があり、椅子の隣に複数積まれていた。これを読んで時間を潰していたのだろう。

「おはよう、ともちょっと違うわね。体の調子はどうかしら?」

 本を閉じ、肘置きに置くと彼女は立ち上がりこちらに歩いてくる。

「……ウェノラ」

「あら、私の名前を覚えておいてくださったのね。まぁ、ウェノラはこの身体の名前だけど。本当の名前は別にあるけど、可愛くないから教えない。シュタイン様に作り出された三十三番目の魔物、といえばいいかしら」

「……は?」

 目を丸くする。九年前に現れた怪物シュタインは、各地で魔物を生み出していった。田舎に居たために、あまり実感の伴わなかった話だったが、こんなところで実物にお目にかかれるとは思わなかった。

「……まだ、生きていたんだな」

「すっかり全滅したって思っていたでしょ? 違うの。ほかはどうかは知らないけど、私はこの通り。このダンジョンに大量にいたスライムを見たでしょ? あの子達は今、私が魔法で操って魂を集めるようにしてあるの。で、それをもらっているわけ」

「……なんでわざわざスライムから?」
 
 人間や動物から直接貰えばいいのに。彼女は肩をすくめた。

「どういうわけか、私はスライムみたいな単細胞生物からじゃないとエネルギーが供給できなくて。おかげでこのダンジョンから離れられないの」

 シュタインが呼び出した魔物は人間の肉を食べるものから、魂を食べるものまで多種多様だったと聞く。だからシュタインを含め討伐対象になったのだ。
 もしも彼女のこの特性がシュタインの意図したものだったら、きっと棲み分けのためだろう。一つの場所に生み出した魔物が集まり、魔物同士で餌を取り合って殺し合いをしないように。
 そこまで考えて、不意にもしかして、と思う。

「じゃあ、あの日アリスと図書館で会っていたのは……。いや、でも、アリスの中に入っていたのは、お前に魔法をかけられる前にこのダンジョンを出ていったやつじゃ……」

 ウェノラは冷めた視線をよこしてきた。

「あの日私が偶然図書館にいたと思うの? アリスの中にスライムの魂を見つけてから、私に献上するようにしたに決まってるじゃない。お陰で美味しい魂がもらえて助かっていたわ」

 唇を噛む。アリスに与えていたイリスさんの魂の欠片はウェノラのエネルギーになっていたのか。彼に対する同情を禁じ得ない。

「なら、導き様は……」

「ああ、あのオマジナイ?」

 導き様が彼女の考案したものだという証拠はあの書き散らしでしかなかったが、それでも彼女はあっさりと認めた。

「このダンジョンが閉鎖されて、冒険者が来なくなったおかげで魂の供給量が減ったし、冒険者の魂を入れて護衛にしていた土人形ちゃん達は倒されたしで、迷惑していたの。だから、たまたま北の森で出会ったウェノラの体をもらってなりすまして、あのおまじないを使って街から魂を供給し、私の餌になってもらったり、土人形ちゃん達に入れて守ってもらっていたの。スライム達は日の当たる場所では生きられないからね。冒険者が来ない以上、私がなんとかしないといけないじゃない」

 そうして、ウェノラにとっての楽園をここに作り出したということか。俺は周囲を見る。似たような土人形が並んでいた。
 こつ、こつ、とウェノラが近付いてくる。

「最初は、人間に興味なんてなかったけど、オリバーに会って気が変わったわ。あの男をなんとしても手に入れたい。素敵なんだもの」

 一歩後ろに下がろうとしたら、彼女は立ち止まった。

「だから、あなたの体をちょうだい? あの方を手に入れるのには、ウェノラの体より、あなたの体のほうが都合が良さそうなんだもの」

「……何っ」

 急にぐるりと意識が反転したような気がする。眼の前に俺の体があり、俺自身はと言うと、俺の手の中に掴まっていた。

「なんだこれっ……」

 両手を見る。土人形の手だった。どうやら手のひらサイズの土人形に魂を入れられてしまったらしい。

「はぁあああ!?」

「アハハ! 可愛らしい体だこと」

 俺が到底しない笑い方でウェノラは顔を歪める。

「ところで、土人形が壊れると、どうなるか、もう知ってるわよね?」

「……まさか」

 最後まで言い終わる前に、俺は地面に叩きつけられていた。
 それだけでは飽き足らず、更にウェノラの足が降ってこようとする。
 
 シュウウウウ……。
 
 ふいに鳴った音はピアスからだった。

「なにこれ? トランシーバー?」

 ウェノラは動きを止めてピアスを触る。繋がったようで焦ったオリバーの声が聞こえてきた。

「よかった! ウィル! 今どこ!?」

「オ……、オリバー様!? ……じゃなくて、オリバー!」

 ピンと彼女の背筋が正され、耳に両手をつけた。目がキラキラと輝いている。

「あ……、ああ! わかった、すぐに向かう」

 告げると、通話は切れたようで彼女は両手を口に当てて喜びを噛み締めているようだった。

「何この体……。オリバー様の声がいつでも耳に届くの……!? ちょっと素敵すぎるんじゃありませんこと!? 待っていて、オリバー様! すぐに向かいますわ!」

 すっかり舞い上がった彼女は笑顔になり扉の方へと走り出す。意識はあるが、到底助かったとは言えない状況だ。
 ちくしょう、と悔しい気持ちがせり上がってくる。こんな形でオリバーを奪われるだなんて。どんどん意識が混濁していき、呼吸器官がないはずなのに苦しかった。
 バタン、と扉が閉まるとともに彼女の姿が消える。
 ほぼ同時に、再び目の前が真っ暗になった。
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