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第五章「満月の夜」
「あの金のドラゴンが襲いかかってきたの!」
しおりを挟むドン、という衝撃音で目が覚める。人間の姿に戻っていた。
周囲には誰もいない。
「……あれ? イリスさん?」
ふいに窓の外が眩しく光る。裸だったので側に置いてあったローブを纏う。イリスさんのものだったようで、俺にはぶかぶかだった。
窓を開けると、上空からたくさんの光の粒が落ちてくる。見上げると、黄金のドラゴンが桃色のドラゴンを追いかけていた。黄金のドラゴンが息を吸うと同時に光の粒子が口の中に集まり、次の瞬間には球となって桃色のドラゴンを襲う。けれど桃色のドラゴンはまるで魚のようにひらりひらりと夜空を避けて飛んでいた。
「オリバーに、イリスさん!?」
俺は慌てて窓を閉じて外へ出る。
玄関の扉を開けると、ピオさんとアリスが夜空を見上げていた。
「あの、これは一体……」
元警官に話しかける。彼は怯えたアリスの手を握り、呆気にとられたように口をぽかんと開けていた。
「ああ、ウィルか。見たらわかるだろ?」
「オリバーとイリスさんが戦っているようにしか見えません!」
「あの金のドラゴンが襲いかかってきたの!」
アリスが叫ぶように俺に訴える。
「空からいきなり落ちてきて、家を壊そうとしたの!」
見ると、地面が爪の形でえぐれている。
「ウィルを返せってさ。あいつ思い出したのか?」
ピオさんが肩をすくめた。頭の中が疑問符でいっぱいになる。
「そんな……、まさか……」
「それで、お兄ちゃんがああやって引き付けて相手をしているの」
妹の声は泣きそうである。俺はとっさにローブを脱いで狼になる。
ウォオーーン……。
遠吠えをすると、オリバーが俺の方を見る。攻撃を止めて、一直線に地面へ向かって方向を変えた。
ふわり、と少し離れたところに着地する。彼は気まずそうに俺を見つめていた。
すっかり月は沈んでおり、東の空が白くなっている。少し遅れてイリスさんもドラゴンの姿のままピオさんの隣に降り立った。
少しの間、俺とオリバーは無言で見つめ合う。ドラゴンの姿では何を考えているかが分かりづらい。それはあちらも同様だろう。
どうしてここに来たのだろう。
記憶があるのであれば、暴れる理由は理解が出来た。彼は俺の事が大好きだったから。
でも今はというと、ルームメイトに無理やり襲われた被害者でしかない。最後は強引に口を使われたが、先に煽ったのは俺だから俺が襲ったという認識だった。
そ、とオリバーの両手が開かれ、俺に向かって伸ばされる。
こちらに来てもいいと許しをもらえた気分だった。
「あ! 狼さん……」
とてとてとオリバーの方へ歩いていく。後ろでアリスの残念そうな声がした。
あと一歩で黄金のドラゴンの手が届く場所で立ち止まり、注意深く観察をする。オリバーは一歩前に出た。その手が伸ばされたものだから、ぺろり、と彼の指先を舐める。
持ち上げられ、ぎゅうと腕の中に抱きしめられた。鱗の感触が心地いい。
オリバーはイリスさんたちの方に視線を移す。こちらから見ると、彼の家の被害状況がよくわかる。地面は抉れ、郵便受けは倒れていた。玄関ポーチにも爪や魔法で傷つけられた跡が残っている。
「……ごめんなさい。弁償します」
オリバーの声がする。未だドラゴンのままのイリスさんは数度目を瞬かせた。
「今日は、ウィルを連れて帰ります。修理費用はまた今度教えてくれたら払います」
まるで子どものようだった。イリスさんは周囲の被害状況を確認する。
「気にしなくていいよ。こんなの、すぐだから」
彼が呪文を唱えると、まるで時間が巻き戻ったかのように郵便受けや地面、玄関ポーチが数時間前の姿に復元した。
ぺこり、と頭を下げ、オリバーは空に飛び立つ。
「狼さん、また来てね!」
子どもの甲高い声を背に受けながら、俺達は空に向かって飛び立ったのだった。
帰っている間、オリバーはずっと無言だった。
俺も狼の姿なので喋ることが出来ず、黙って彼の腕に抱きかかえられている。そうしてオリバーは庭に着地した。降りながら人間の姿になったので植物を潰すことはなかったが、庭から見る家のほうもイリスさんの家のように抉れていた。
派手にやったものだ。
来る時も庭から来たようで、服が脱ぎっぱなしになって置いてある。オリバーはそれを手に取り着用すると、気まずそうに俺を見た。
「……ごめん、壊しちゃった」
がちゃり、と扉が開く。俺は中に入り、人間の姿に戻ると自分の服を取ってきて着た。これも廊下にそのまま置いてあった。
「大家さんに見つかる前に直すか……」
オリバーは伺うように俺を見つめていた。
「……イリスとも、ああいうことしたの?」
あまりにも真剣に問いかけられ、足が止まる。
「……してない。なんか、抱っこされている間に眠くなったから寝た」
「……健全な意味の方の寝ただよね?」
再び歩き出し、台所に向かう。オリバーをダイニングチェアに座らせると、二人分の湯を沸かす。
「当たり前だろ? ずっと狼の姿だったんだから」
「イリスが狼の方が興奮する性癖だったらどうするの」
緑の瞳が細められる。そ、と俺は自分の腰の後ろを撫でる。違和感はなかった。何度か入れたことがあるが、やはり大きいものが入ったら感触が残る。
「……それはないと思うけど。妹もいたし」
あの木人形を妹と言っていいのかわからないが、彼はいいお兄さんのようだったし、妹、それも小さな妹がいる家で狼を襲うことはしないだろう。
「……ごめん。無理やりしちゃって」
オリバーは肩を丸めて俯いた。ちょうどその時、湯が湧いたので茶葉を入れる。
「無理やりって……、どう考えても俺のほうが襲ったようなもんだろ」
「……でも、口の中に押し込めちゃった」
口調が幼い。俺は茶葉に向き直ると、茶こしを使い二人分のお茶をマグに注いだ。
「我慢できなかったんだろ? 俺だって昔は男だったから衝動が抑えられないのはよくわかる」
オリバー用のマグは青く、俺用は黄色いものだった。青いマグを彼の前に置くと、オリバーは両手で掴んだ。
「おかしいんだ、俺。無理矢理はダメだってわかっているのに、あの時はやたら凶暴な衝動に襲われた。……ウィルが泣けばいいって思ったんだ。苦しめばいいって……。なのに、ウィルは喜んでるし、恋人にこういうプレイも仕込まれたんだろうなって思うとすっごくお腹の奥が気持ち悪くて……」
びくり、と体が震える。
こうして面と向かって嫌悪感を示されるとやはり応える。見ていられなくて俯いてしまった。
「あ、違う……、ウィルが気持ち悪いっていうわけじゃなくて、ウィルの恋人が……っていうか、そいつがいなくなればいいって思って」
ぎょっとしてオリバーを見る。
「……いなくなるのは、困る」
返すと、彼は泣きそうな顔をして視線をそらした。
「……そうだよな。ごめん……。それで、ウィルが出ていった後、しばらく外を探して、見つけられなくて一度家に戻ったら、イリスから連絡が来て……。腕の中で寝てるとか言われた途端に、眼の前が真っ赤になって……、気がついたらドラゴンの姿になって、前にイリスから聞いていた家の特徴を持つ郊外の家を探して、見つけて、窓から中を覗いたらイリスの腕の中に裸の君がいて……」
つらつらと語る言葉に納得をする。
「なるほど……。竜人は同じ種族の竜人相手にはフレンドリーだけど、異種族の竜人に自分の家族を攻撃されたら激昂するって昔話していたもんな」
「……そうなのかな」
オリバーは納得がいっていないようだった。
「イリスさんは南方系のドラゴンだし、ずっと一緒に住んでいて、俺のことを家族として認識してくれていたってことだろ?」
安心させるように微笑むと、伺うような視線を向けてくる。
「……それだけ?」
疑っているようだ。俺は首を傾げる。彼は続けた。
「ウェンディに賭けに使われているって聞いた時はただただ悲しいだけだったけど、ウィルはなんか……、違うんだ。どんな手を使っても、そばにいなきゃって思った。俺からウィルを奪うやつは皆殺すって……」
「……は」
オリバーがあまりにも真剣な瞳だったから、俺はついつい瞬きも忘れて見入ってしまった。
まるで以前の彼みたいだ。心は忘れてしまっても、体は覚えているのだろうか。嬉しくて、けれど表情には出せなくて唇を噛む。
「おかしいんだ。側にいたらうれしいのに、側にいすぎちゃダメだって思って、首の付け根に刃物をつきつけられたような感触になる。初めて一緒に喫茶店に行った時も、ミッシャーの試合を見に行った時も、こんなに人がたくさんいるところにウィルを連れてきちゃいけないって感じてて……」
デートをした夜に、気まずそうに俺の部屋を訪ねてきたオリバーを思い出す。
「あの……、じゃあ、デートのあと俺の部屋を訪ねてきたのは」
「なんでああ感じたのか聞こうとしたんだ」
目を瞬かせる。振られた訳ではなかったのか。オリバーは拗ねたように続けた。
「でも、ウィルはただの友達だって言っていたから、そういうものなんだって……。違和感の正体はそれかなって思ったんだ」
ぽろり、と俺の目から涙がこぼれ落ちる。
昔、散々話し合ってきたことだった。社交的な彼と違い、俺は人と話すのが得意ではない。だから、たくさん人がいるところに行くと疲れてしまい、帰ったら一日中部屋でぐったりと過ごす。そんな俺を見ていたから、オリバーは次第に誘わなくなっていった。その分、夜は二人きりで優しい時間を過ごすようになっていた。
「……ウィル!?」
オリバーが驚いて机越しに俺に近づく。俺は彼の手から逃れて、慌てて立ち上がった。
「悪い、もう寝る」
乱暴に涙を拭ってマグを持って自室へ向かう。
扉を締め、マグを机においてからその場にへたりこんだ。
オリバーの言葉に衝撃を受けていた。俺は今の彼は昔の彼じゃないと思っていた。けれど、あの中に確かにオリバーはいる。以前の、俺のことを大好きだった彼が存在している。
「……うっ……」
喉から嗚咽が漏れ出る。嬉しいような、無くしていたものと数年ぶりに出会えたような安堵感に包まれた。
たくさん泣いて、やっと冷静に考えられるようになった。
あんな態度を取ってオリバーはどう思っただろう。きっと怪訝に思ったに違いない。とはいえ、今の彼は女性を愛するようになっている。いくら以前のオリバーの名残があるとは言え、今の状態で告白するのは今後の生活を考えたら悪手だと思った。
そこまで考え、ふと不思議に思う。
「そういえば俺、オリバーとキスしたよな」
自分の唇に触れる。数時間前の事が思い出された。たしかにこの唇は彼のものとあわさった。なのに、男の体に戻っていない。
どういうことだろうかと頭を傾げる。
とはいえ、悩んでいる時間はもうない。とっくに日が昇っていて、始業時間が迫っている。
俺は服を着替えると、オリバーを呼んで仕事へ向かった。
彼は何かを言いたそうにしていたが、結局無言で俺の隣を歩く。
もう少しで職場につくというところだった。
「……ごめん。いきなり、困るよね」
オリバーが立ち止まり、俺の袖を引っ張った。
「は?」
「昨日、変なこと言って。ウィルには好きな人がいるのにさ」
気まずそうに顔を覗き込まれる。俺は、ああ、と思い出した。
「いや……、俺こそ。変な態度取って悪かった」
「なんで泣いたの? 一晩中考えたけど、やっぱりわからなくて」
それを聞きたかったのだろう。俺は手で口元を隠し、彼の視線から逃れるように一歩前に出た。
「……好きな人のことを思い出してたんだ」
それだけ呟くと、早足で歩き出す。オリバーの顔が見られなかった。少し遅れて彼も足を動かす。
午前中、オリバーは俺を見ようとしなかった。
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