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第五章「満月の夜」
「ウィル君は今私の腕の中だよ」
しおりを挟むとにかく脚を動かして家から離れる。グリークは大きな壁に囲まれた小都市だ。もう門は閉まっていて、通行証がない俺は遠くに行けないが、それでもあそこにいたくなかった。
「あれ?」
大通りに出たところで知っている声がする。
「ウィルか?」
立ち止まり見上げるとピオさんとイリスさんがいた。ピオさんは魔力を増幅してもらうために毎日ミリアさんの家をシシリアさんとともに訪ねてきてくれていた。だから、ピアスをしている狼ということで俺だとわかったのだろう。
イリスさんも覗き込んでくる。
「本当だ、ウィル君の匂いだね。どうしたんだい? こんなところで」
はぁ、はぁと息を切らせている俺にピンときたのか、イリスさんは夜空を見上げた。まんまるの月が頭上に輝いている。
「なるほど。それはきっと、辛いだろうね」
イリスさんはローブの紐を解くと同時にドラゴンの姿になる。
もう夜とはいえ、大通りに通行人がいないわけではない。麗人のいきなりのストリップショーのあとに現れた薄紅色のドラゴンに周囲の視線が集まった。
イリスさんはそんな注目をものともせず、俺を抱きかかえる。
「ピオ、私の服をよろしくね」
告げると彼は空に舞う。飛ぶことには慣れているとはいえ、今の状況だと怖い。イリスさんが俺を離すことはないと思いつつ、彼の鱗に爪を立ててしがみついてしまった。
それから数分でイリスさんの家にたどり着いた。
彼の家は塀の外にあり、少し離れた小高い丘の上の一軒家だった。
ふわりと地面につくと同時に彼は人間の姿に戻り、玄関に向かって呼びかける。
「アリス! 悪いけど、2人分のローブを持ってきてくれないかな」
少しすると、ガチャリと扉が開く。中からは十歳ほどの子供の姿をした木造りの人形が現れた。
「お兄ちゃん、一体どうしたの?」
人形は甲高い声で話しかけてくる。
「満月の夜に外を出歩いている人狼を拾ったんだ。今晩は私のところで保護するつもり」
とことことアリスと呼ばれた人形が近寄ってきて狼を見る。ガラスの瞳がキラキラと輝いていた。腹話術人形のような口が喋る度にカタカタと鳴る。
俺を地面におろし、桃色の竜人はローブを纏う。そして俺にローブをかけてもう一度抱きかかえると、アリスさんともども部屋に入っていった。
イリスさんの部屋らしき一室に入ると、彼はベッドに座る。木造ながらも作りのしっかりしたそこにツバを飲む。こんなお誂え向きな場所で人間に戻ったらと思うと怖かった。
後ろをついてきていたアリスはイリスさんの隣に座り、俺の頭を撫でようと手を伸ばす。顔や手足が木で作られており、子供向けのワンピースを着て、頭は人工の髪の毛で覆われていた。膝までのワンピース・スカートに白くフリルの付いたエプロンがついていることから女の子だとわかる。
「アリス、触っちゃだめだよ。満月の夜の人狼は気が高ぶっているんだ。気になるのはわかるけど、明日まで待とうね?」
たしなめるように兄は告げる。アリスは残念そうに頷いた。
「はぁい。ねぇ、狼さん。何か欲しいものはある? 私に用意できるものだったら、なんでも用意するよ?」
「狼さんは寝かせてほしいと思うよ。さぁ、良い子はもうおやすみなさい」
兄の再三の言葉に、彼女は不満そうにしながらも部屋から出ていった。
「ごめんね。好奇心が旺盛な子なんだ」
俺の毛皮を撫でる。彼の体温が心地いい。オリバーが相手の時は触って欲しいという衝動が押さえきれなかったが、イリスさんが相手だと、膝の上に座り、優しく抱きしめられている今の状況が心地よかった。
シュウウ……、とピアスが光る。オリバーが呼びかけてきているのだろう。びくり、と体を震わせる。謝らなくては、と思うのに、怖くて出られない。
「このピアスの鉱石、トランシーバーだったんだ」
イリスさんがピアスを触ってくる。
「オリバー君が同じ物をつけていたね。相手は彼かな?」
再び彼の手が俺の首あたりの毛皮を撫でてきた。コクリ、と首肯した。
「そっか。心配するかもしれないから、場所だけは教えておこうね」
俺の体がこわばるが、イリスさんはお構いなしにトランシーバーに力を送って通話をつなげた。
『もしもし、ウィル……?』
「ああ、オリバー君かい?」
オリバーの不安そうな声は、イリスさんの気配を察して止まる。
「ウィル君は今私の腕の中だよ」
『……は?』
オリバーの声が低くなった。
「心配しないで。明日には一緒に出勤するから」
『……え』
それだけ告げると、イリスさんは一方的に通話を切る。かけ直されることはなかった。
あの言い方で大丈夫かと思うが、居場所がわかったのだから安心しただろう、と考え直す。あんな状態の俺が外に出て、誰彼構わず襲ってしまい警察に捕まったらと、いくら被害にあったばかりのオリバーでも心配をしてくれたのだろう。
イリスさんが何かを唱えている。彼の声が耳に心地よくて、瞼が重くなり、気がついたら眠ってしまっていた。
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