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第二章「ウェンディ」
「その服、そんなに気に入ってるの……?」
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「その服、そんなに気に入ってるの……?」
翌日、さっそくイリスさんに買ってもらった服に着替えるとオリバーの機嫌が目に見えて悪くなった。
「女物の服は一着しか持っていなかったんだから、助かってるんだよ」
もう冬なのだ。洗った服がその日のうちに乾くわけがなく、冷たいまま着るのは辛かった。
「……だったら俺が買うから、そっち着てよ」
「買ってもらう理由がないだろ。ほら、ウェンディのところに行くぞ」
同居人の言葉を聞き流しながら俺は家の扉を締めて施錠する。予知夢というギャンブル向きの才能のある彼と違って、俺はあまり金を持っていない。だからといって幼馴染から施しを受けるのは嫌だった。無理かもしれなくても、対等な関係でいたいのだ。
オリバーは唇を尖らせながらもついてきた。先程の言葉は、記憶をなくす前の彼なら言いそうな事だったが、今の彼から発せられると何か裏があるのかと勘ぐってしまう。
元男の同居人の女装趣味が嫌なのか、単純に似合っていないのか。
イリスさんは褒めてくれたんだけどな。
心の中でため息をつくと、オリバーは気持ちを切り替えたようで、俺の隣に並んで状況の説明をしてくれた。
「ウェンディの死因は、崖からの飛び降りだね。周囲は暗くてよく見えなかったけど、多分あそこは彼女の通っているセントジョーンズ女子学園の隣にある展望公園だと思う。一連の流れをきっちり追えていたから、他殺の線はない。彼女は自分で飛び降りたんだ」
以前見た少女を思い出す。快活で可愛らしく、自分に自信のありそうな女の子だった。
……まぁ、ある程度自信がないと他人を落とせるかの賭けをしようなんて思わないだろうが。
「普段の彼女らしくなく、やたら無表情で落ち着いていた様子だったんだ。まるで誰かに操られているような、そんな感じもしたな」
「操る……」
ぞくりと背筋が冷える。実際、人を操る才能を持っている人間はいる。
「その場合、厄介だな。どんな魔法がかけられているかわからないし」
「そうなんだよなぁ。夢で見たのはそこだけだったけど、周りに誰もいなかったから遠隔で操れるタイプの魔法かな」
話をしているとウェンディの住んでいる寮についた。このあたりで有名なお嬢様女子校、セントジョーンズ女子学校の学生である彼女は寮生活を営んでいるようだ。
「出身は平民だったんだけど、シャリーっていう女の子の付き人としてこの学校に入って、彼女の世話係をしているんだって」
オリバーは管理室に行き、ウェンディを呼び出してもらうように管理人にお願いをする。四十代くらいの男性で、オリバーとも顔見知りらしく、人の良さそうな笑顔で了承した。
何度か来たことがあるのか。
ずきずきと心臓が痛んでいく。そりゃ、前は付き合っていたんだし、来たことはあるよな、と自分を納得させようとするが、やはり気分が沈んでしまうのだ。
少ししてウェンディが姿を現した。隣には別の少女もいる。
「やぁ、シャリーにウェンディ。元気かい?」
オリバーは二人の少女に話しかける。彼女が先ほど話をしていたシャリーか。
「こんにちは、オリバー様。一体何の御用ですか?」
シャリーは頬を紅潮させて一歩進み出る。彼女もか、とげんなりとした気分になった。輝く瞳に染まった頬、はずんだ声はオリバーのことが好きだと察せられる。
学園の制服を纏い、銀の髪に青い瞳を持つ人間だった。透き通るような白い肌はよく手入れされているとわかる。その隣で複雑そうな顔をしている黒髪をおさげに編んだ碧眼の少女がウェンディだった。
「ウェンディに用事があって来たんだ。少し話せるかい?」
「まぁ、ウェンディに? 何の用事でしょう?」
まるで己のことのようにシャリーは場を仕切り始めた。よほどオリバーと話がしたいのだろう。
「最近ミッシャークラブでも話さなくなったし、元気にしているかなって」
オリバーが返すと、シャリーは頬を膨らませた。
「ウェンディはいつだって元気ですわ。ね、ウェンディ」
彼女が一瞥すると、ウェンディは、淡く微笑んだ。
「はい、シャリー様」
「ほら。ねぇ、それよりもオリバー様、せっかくこちらにいらしたのですから、少しお茶でもしませんこと?」
シャリーはオリバーの腕に自分の両手を巻き付けて門へ向かって歩き出す。外にはこの女子校の生徒を狙ったカフェやレストランが大量にあるので、そこのどこかに入るつもりなのだろう。
「ウェンディ、あなたはそこのお嬢さんのお相手をしておいてくださいませ」
シャリーはそう告げると、俺達に背を向けた。
「ごめん、ウィル」
「えっ?!」
引っ張られていくオリバーは手を立てて謝るポーズをする。そうして二人はレストランに入っていった。高級そうな外見は普段の俺達とは縁のないものである。
「……えっと」
あとに残された俺とウェンディは気まずい顔をしてお互いを見た。以前見たウェンディは快活な少女といったイメージだったが、今の彼女は大人しめの優等生という印象になっている。
俺はひっそりと、何をやってるんだアイツは! と、心の中で罵倒した。とはいえ、他人から見るウェンディの情報も必要だしな、と俺は気持ちを切り替える。
「……おれ……、じゃなくて、私達も一緒にどこか行く?」
一応今は女の姿をしているので、警戒させないように女性になりきって話しかける。彼女はびくりと怯えたように俺を見た。
「あの……、でも」
「一応お茶代くらいなら払えるから……」
「いえ、悪いので、よければ私の部屋に来ませんか? シャリー様はいつもああなんです。オリバーさんの事が好きで、彼の前だとあんな感じで……。きっとしばらく帰ってきませんし、呼びに行けば怒鳴り返されますから」
オリバーと付き合っていた時の彼女とずいぶん印象が違うな、と思いながらもありがたい申し出に彼女の後ろをついていくことにした。再度言うが、オリバーと違って俺はお金がないのだ。
彼女の部屋は俺が昔、魔術学校の寮で暮らしていた時と同じくらいの広さだった。ベッドが一つと、その隣に一人分の勉強机。ベッドの隣に置かれている棚にはミッシャーについての本とトロフィーが飾られていた。トロフィーには『ミッシャー大会子どもの部 準優勝』と書かれた帯が下がっている。
「君、昔はミッシャーのプレイヤーだったのかい?」
彼女に座るようにと言われ、ベッドの端に腰掛ける。彼女は勉強机に座り、膝丈ほどの簡易机の上にお茶とクッキーを用意してくれた。質素ながらももてなしの心を感じるお茶会に、彼女に対する苦手意識が少しずつ消えていく。
「うん。でも、大人になるに従って、女性のミッシャープレイヤーは少なくなっていくから……。特に、この学園の高等部に入ったら、昔から一緒にプレイしてきた子は皆応援側に回っちゃって……」
寂しそうにウェンディはトロフィーを見つめる。
以前、オリバーが彼女がいかにミッシャーが好きかを語ってくれたことを思い出す。元プレイヤーならば、選手のプレイに対して理解もするし、我が事のように応援するのだろう。
「ところでアナタは……、オリバーさんの同居人、さんですよね? 確か男性だったはずじゃ……」
「え!? なんで……」
見破られていた事に驚いて一歩後ずさる。彼女は首を傾げた。
「先ほど、オリバーさんがウィルって呼んでいたじゃないですか」
「ああ……、うん」
肩を落とし、訝しむ彼女に何故俺が女になったかを話す。俺が男だとわかった上で入れてくれたのかと思うと申し訳ないような気持ちになったし、先程一瞬でも女のふりをした己が恥ずかしい。
全て話し終えると、彼女は釈然としないように頷いた。
「……そうなんですね。それは、災難でしたね」
いきなり男が女になったなんて信じられないのだろう。
「……記憶があったころのオリバーさんはアナタのことがすごく好きなようでしたから、もしあの状態で女性になっていたら、すごく喜ばれたでしょうね」
俺は曖昧な笑みを返す。きっと深くは考えていないだろうが、やはり彼女も異性愛至上主義なのだろう。
「あ、もちろん、ちょっと重めの友情という事はわかっていますよ? オリバーさんもそこのあたりはあまり言おうとしませんでしたし……」
それについては俺が箝口令を出していたからだ。男性ながら彼の恋人という色眼鏡で見られたくないし、オリバーだってこの異性愛至上主義の街で男の恋人がいると知られてしまうと面倒だと思ったからだ。
「まぁ、それについてはいいんですよ。それよりも、今日はアナタに聞きたいことがあって来たんです」
話を元に戻す。彼女はきょとん、と首を傾げた。
そうは言っても、予知夢の能力があるオリバーが彼女が自殺する夢を見たから様子を見に来たとは言いづらい。俺は少し考えて、周囲の状況から探ってみることにした。
「オリバーが言うには、最近アナタと話せていないから、近況が気になっているとのことなんです。アナタ、最近何か変わった事はありませんか?」
「……え? オリバーさんが私のことを?」
目を見張る。よほど意外だったのだろう。
彼女は頬に手を当てて、それから少し考えて応えた。
「変わったことはありますよ……。知っているでしょう? 私はミッシャークラブで浮いた存在になってしまいました」
眉尻を下げ、肩を落とす。俺は横目で再びトロフィーを見た。彼女の努力の成果だ。
「そ、そうだよね……。ごめん。あのさ、なんでそもそもオリバーに告白をしようと思ったんだい?」
ふいに、以前イリスさんが不思議がっていた事を思い出す。いくら彼のことが好きでも、失敗した時のリスクを考えられないほど子供でもないだろう。
「……最初は、シャリー様にけしかけられたようなものなんです。あの日の朝、オリバーさんの記憶がなくなっていることをたまたま出会ったミッシャークラブの部員から話を聞いて……。シャリー様は私がオリバーさんにあこがれていると知っていました。だから、今なら恋人だと言っても信じてもらえるんじゃないかって……」
ぎゅ、と彼女は腿の上に置いた両手を握りしめる。
「私も告白するから、一緒にしてみようって……。多分、彼女は最初から私を引き立て役にするつもりだったんだと思います。……でも、彼女はフラれ、私は恋人候補になれた。私の名前がWで始まる名前だったから……」
あ、と思い出す。オリバーは多分だが、俺に渡すために指輪を作っていた。そこに、『OtoW』と刻印されていたことから、Wが恋人の頭文字だと思っているのだ。
「それで、ミッシャーという共通の話題もありますし、オリバーさんは私とよく会ってくださるようになりました」
そこのあたりは覚えている。彼女はよく俺達の家の玄関まで来て、オリバーと楽しそうに会話をしていた。
ウェンディは苦しそうに眉間に皺を作ると、背中を丸めた。
「だから、言い出せなかったんです。私が彼の本当の恋人じゃないって……。その頃には真剣に好きになってしまっていたから、ずっとこのままでいたいと思ってしまったんです」
ぽたり、と涙が一雫流れ落ちる。
彼女の気持ちはわからなくもないし、彼に溺れた人間を見たのはこれが初めてではない。魅力に溢れた彼に触れ、自分のものとしたくて奮闘して玉砕してきた女性は片手の指では数え切れない。そうして涙する女性をたくさん見てきて、その度に逃げ出したい気持ちに駆られていた。
とはいえ、彼が俺に執着をしなくても、一度に一人としか付き合わないと知っているから、申し訳ないと思っても何の解決にもならないこともわかっている。俺がいなくても他に誰かと付き合うだろうし、その『誰か』に選ばれなかった女性が泣くことに変わりない。
「それに、……正直、少しいい気になっていました。シャリー様がオリバーさんの事を好きだって知っていたから」
彼女は口の端を歪める。
「……馬鹿みたいでしょう? 私のわがままでオリバーさんを傷つけて……」
捨て猫のような瞳で見つめられた。目の端がキラリと光っている。
「……すみません、なんと応えていいかわかりません」
俺は困った顔を作って答えた。少し前は彼女が苦手だったが、今は同情をしている。それでもオリバーを傷つけたことは忘れていない。
彼女は目を細めて視線を向けてきた。
「あなただって、そう感じたことはありませんか? あの美しく、才能溢れる人が同居人で、熱い友情を向けてくれることに」
「オリバーと俺は別の人間ですから……。彼が俺の事を好きでいてくれるのは嬉しいですけど、それで俺の価値が変わることはありません」
「でも、周囲は錯覚します。隣にいる人、所属している団体で、その人の価値を見誤ります」
彼女の真剣な瞳に、ぐ、と言葉に詰まる。実際、それは感じていた。あのオリバーが執着する相手なのだからきっとすごい人なのだろうと近寄られ、本来の俺に幻滅して去っていく人を何人も見てきた。
「……そうですね。でも、それでも俺は、彼をアクセサリーやトロフィーにはしたくないんです」
床を見つめながら答える。彼女は、ぐ、と息を呑んだ。
その時だった。
「ちょっと! ウェンディ! そろそろ授業の時間ですわ!」
機嫌の悪そうなシャリーがウェンディの部屋に入ってくる。扉の方を見ると、彼女は目を釣り上げて立っていた。
「早く私のカバンを持ってくださらないこと? 遅刻したらアナタのせいですからね!」
彼女は腕を組んでウェンディを睨みつける。オリバーの前とは別人のようだった。俺は立ち上がる。ウェンディも慌てて椅子から離れ、自分の鞄を手に取った。
「はい。今行きます!」
彼女に促されるように俺も外に出る。シャリーは俺に見向きもしなかった。ウェンディが困ったように振り返って会釈をし、彼女の後ろをついていった。
翌日、さっそくイリスさんに買ってもらった服に着替えるとオリバーの機嫌が目に見えて悪くなった。
「女物の服は一着しか持っていなかったんだから、助かってるんだよ」
もう冬なのだ。洗った服がその日のうちに乾くわけがなく、冷たいまま着るのは辛かった。
「……だったら俺が買うから、そっち着てよ」
「買ってもらう理由がないだろ。ほら、ウェンディのところに行くぞ」
同居人の言葉を聞き流しながら俺は家の扉を締めて施錠する。予知夢というギャンブル向きの才能のある彼と違って、俺はあまり金を持っていない。だからといって幼馴染から施しを受けるのは嫌だった。無理かもしれなくても、対等な関係でいたいのだ。
オリバーは唇を尖らせながらもついてきた。先程の言葉は、記憶をなくす前の彼なら言いそうな事だったが、今の彼から発せられると何か裏があるのかと勘ぐってしまう。
元男の同居人の女装趣味が嫌なのか、単純に似合っていないのか。
イリスさんは褒めてくれたんだけどな。
心の中でため息をつくと、オリバーは気持ちを切り替えたようで、俺の隣に並んで状況の説明をしてくれた。
「ウェンディの死因は、崖からの飛び降りだね。周囲は暗くてよく見えなかったけど、多分あそこは彼女の通っているセントジョーンズ女子学園の隣にある展望公園だと思う。一連の流れをきっちり追えていたから、他殺の線はない。彼女は自分で飛び降りたんだ」
以前見た少女を思い出す。快活で可愛らしく、自分に自信のありそうな女の子だった。
……まぁ、ある程度自信がないと他人を落とせるかの賭けをしようなんて思わないだろうが。
「普段の彼女らしくなく、やたら無表情で落ち着いていた様子だったんだ。まるで誰かに操られているような、そんな感じもしたな」
「操る……」
ぞくりと背筋が冷える。実際、人を操る才能を持っている人間はいる。
「その場合、厄介だな。どんな魔法がかけられているかわからないし」
「そうなんだよなぁ。夢で見たのはそこだけだったけど、周りに誰もいなかったから遠隔で操れるタイプの魔法かな」
話をしているとウェンディの住んでいる寮についた。このあたりで有名なお嬢様女子校、セントジョーンズ女子学校の学生である彼女は寮生活を営んでいるようだ。
「出身は平民だったんだけど、シャリーっていう女の子の付き人としてこの学校に入って、彼女の世話係をしているんだって」
オリバーは管理室に行き、ウェンディを呼び出してもらうように管理人にお願いをする。四十代くらいの男性で、オリバーとも顔見知りらしく、人の良さそうな笑顔で了承した。
何度か来たことがあるのか。
ずきずきと心臓が痛んでいく。そりゃ、前は付き合っていたんだし、来たことはあるよな、と自分を納得させようとするが、やはり気分が沈んでしまうのだ。
少ししてウェンディが姿を現した。隣には別の少女もいる。
「やぁ、シャリーにウェンディ。元気かい?」
オリバーは二人の少女に話しかける。彼女が先ほど話をしていたシャリーか。
「こんにちは、オリバー様。一体何の御用ですか?」
シャリーは頬を紅潮させて一歩進み出る。彼女もか、とげんなりとした気分になった。輝く瞳に染まった頬、はずんだ声はオリバーのことが好きだと察せられる。
学園の制服を纏い、銀の髪に青い瞳を持つ人間だった。透き通るような白い肌はよく手入れされているとわかる。その隣で複雑そうな顔をしている黒髪をおさげに編んだ碧眼の少女がウェンディだった。
「ウェンディに用事があって来たんだ。少し話せるかい?」
「まぁ、ウェンディに? 何の用事でしょう?」
まるで己のことのようにシャリーは場を仕切り始めた。よほどオリバーと話がしたいのだろう。
「最近ミッシャークラブでも話さなくなったし、元気にしているかなって」
オリバーが返すと、シャリーは頬を膨らませた。
「ウェンディはいつだって元気ですわ。ね、ウェンディ」
彼女が一瞥すると、ウェンディは、淡く微笑んだ。
「はい、シャリー様」
「ほら。ねぇ、それよりもオリバー様、せっかくこちらにいらしたのですから、少しお茶でもしませんこと?」
シャリーはオリバーの腕に自分の両手を巻き付けて門へ向かって歩き出す。外にはこの女子校の生徒を狙ったカフェやレストランが大量にあるので、そこのどこかに入るつもりなのだろう。
「ウェンディ、あなたはそこのお嬢さんのお相手をしておいてくださいませ」
シャリーはそう告げると、俺達に背を向けた。
「ごめん、ウィル」
「えっ?!」
引っ張られていくオリバーは手を立てて謝るポーズをする。そうして二人はレストランに入っていった。高級そうな外見は普段の俺達とは縁のないものである。
「……えっと」
あとに残された俺とウェンディは気まずい顔をしてお互いを見た。以前見たウェンディは快活な少女といったイメージだったが、今の彼女は大人しめの優等生という印象になっている。
俺はひっそりと、何をやってるんだアイツは! と、心の中で罵倒した。とはいえ、他人から見るウェンディの情報も必要だしな、と俺は気持ちを切り替える。
「……おれ……、じゃなくて、私達も一緒にどこか行く?」
一応今は女の姿をしているので、警戒させないように女性になりきって話しかける。彼女はびくりと怯えたように俺を見た。
「あの……、でも」
「一応お茶代くらいなら払えるから……」
「いえ、悪いので、よければ私の部屋に来ませんか? シャリー様はいつもああなんです。オリバーさんの事が好きで、彼の前だとあんな感じで……。きっとしばらく帰ってきませんし、呼びに行けば怒鳴り返されますから」
オリバーと付き合っていた時の彼女とずいぶん印象が違うな、と思いながらもありがたい申し出に彼女の後ろをついていくことにした。再度言うが、オリバーと違って俺はお金がないのだ。
彼女の部屋は俺が昔、魔術学校の寮で暮らしていた時と同じくらいの広さだった。ベッドが一つと、その隣に一人分の勉強机。ベッドの隣に置かれている棚にはミッシャーについての本とトロフィーが飾られていた。トロフィーには『ミッシャー大会子どもの部 準優勝』と書かれた帯が下がっている。
「君、昔はミッシャーのプレイヤーだったのかい?」
彼女に座るようにと言われ、ベッドの端に腰掛ける。彼女は勉強机に座り、膝丈ほどの簡易机の上にお茶とクッキーを用意してくれた。質素ながらももてなしの心を感じるお茶会に、彼女に対する苦手意識が少しずつ消えていく。
「うん。でも、大人になるに従って、女性のミッシャープレイヤーは少なくなっていくから……。特に、この学園の高等部に入ったら、昔から一緒にプレイしてきた子は皆応援側に回っちゃって……」
寂しそうにウェンディはトロフィーを見つめる。
以前、オリバーが彼女がいかにミッシャーが好きかを語ってくれたことを思い出す。元プレイヤーならば、選手のプレイに対して理解もするし、我が事のように応援するのだろう。
「ところでアナタは……、オリバーさんの同居人、さんですよね? 確か男性だったはずじゃ……」
「え!? なんで……」
見破られていた事に驚いて一歩後ずさる。彼女は首を傾げた。
「先ほど、オリバーさんがウィルって呼んでいたじゃないですか」
「ああ……、うん」
肩を落とし、訝しむ彼女に何故俺が女になったかを話す。俺が男だとわかった上で入れてくれたのかと思うと申し訳ないような気持ちになったし、先程一瞬でも女のふりをした己が恥ずかしい。
全て話し終えると、彼女は釈然としないように頷いた。
「……そうなんですね。それは、災難でしたね」
いきなり男が女になったなんて信じられないのだろう。
「……記憶があったころのオリバーさんはアナタのことがすごく好きなようでしたから、もしあの状態で女性になっていたら、すごく喜ばれたでしょうね」
俺は曖昧な笑みを返す。きっと深くは考えていないだろうが、やはり彼女も異性愛至上主義なのだろう。
「あ、もちろん、ちょっと重めの友情という事はわかっていますよ? オリバーさんもそこのあたりはあまり言おうとしませんでしたし……」
それについては俺が箝口令を出していたからだ。男性ながら彼の恋人という色眼鏡で見られたくないし、オリバーだってこの異性愛至上主義の街で男の恋人がいると知られてしまうと面倒だと思ったからだ。
「まぁ、それについてはいいんですよ。それよりも、今日はアナタに聞きたいことがあって来たんです」
話を元に戻す。彼女はきょとん、と首を傾げた。
そうは言っても、予知夢の能力があるオリバーが彼女が自殺する夢を見たから様子を見に来たとは言いづらい。俺は少し考えて、周囲の状況から探ってみることにした。
「オリバーが言うには、最近アナタと話せていないから、近況が気になっているとのことなんです。アナタ、最近何か変わった事はありませんか?」
「……え? オリバーさんが私のことを?」
目を見張る。よほど意外だったのだろう。
彼女は頬に手を当てて、それから少し考えて応えた。
「変わったことはありますよ……。知っているでしょう? 私はミッシャークラブで浮いた存在になってしまいました」
眉尻を下げ、肩を落とす。俺は横目で再びトロフィーを見た。彼女の努力の成果だ。
「そ、そうだよね……。ごめん。あのさ、なんでそもそもオリバーに告白をしようと思ったんだい?」
ふいに、以前イリスさんが不思議がっていた事を思い出す。いくら彼のことが好きでも、失敗した時のリスクを考えられないほど子供でもないだろう。
「……最初は、シャリー様にけしかけられたようなものなんです。あの日の朝、オリバーさんの記憶がなくなっていることをたまたま出会ったミッシャークラブの部員から話を聞いて……。シャリー様は私がオリバーさんにあこがれていると知っていました。だから、今なら恋人だと言っても信じてもらえるんじゃないかって……」
ぎゅ、と彼女は腿の上に置いた両手を握りしめる。
「私も告白するから、一緒にしてみようって……。多分、彼女は最初から私を引き立て役にするつもりだったんだと思います。……でも、彼女はフラれ、私は恋人候補になれた。私の名前がWで始まる名前だったから……」
あ、と思い出す。オリバーは多分だが、俺に渡すために指輪を作っていた。そこに、『OtoW』と刻印されていたことから、Wが恋人の頭文字だと思っているのだ。
「それで、ミッシャーという共通の話題もありますし、オリバーさんは私とよく会ってくださるようになりました」
そこのあたりは覚えている。彼女はよく俺達の家の玄関まで来て、オリバーと楽しそうに会話をしていた。
ウェンディは苦しそうに眉間に皺を作ると、背中を丸めた。
「だから、言い出せなかったんです。私が彼の本当の恋人じゃないって……。その頃には真剣に好きになってしまっていたから、ずっとこのままでいたいと思ってしまったんです」
ぽたり、と涙が一雫流れ落ちる。
彼女の気持ちはわからなくもないし、彼に溺れた人間を見たのはこれが初めてではない。魅力に溢れた彼に触れ、自分のものとしたくて奮闘して玉砕してきた女性は片手の指では数え切れない。そうして涙する女性をたくさん見てきて、その度に逃げ出したい気持ちに駆られていた。
とはいえ、彼が俺に執着をしなくても、一度に一人としか付き合わないと知っているから、申し訳ないと思っても何の解決にもならないこともわかっている。俺がいなくても他に誰かと付き合うだろうし、その『誰か』に選ばれなかった女性が泣くことに変わりない。
「それに、……正直、少しいい気になっていました。シャリー様がオリバーさんの事を好きだって知っていたから」
彼女は口の端を歪める。
「……馬鹿みたいでしょう? 私のわがままでオリバーさんを傷つけて……」
捨て猫のような瞳で見つめられた。目の端がキラリと光っている。
「……すみません、なんと応えていいかわかりません」
俺は困った顔を作って答えた。少し前は彼女が苦手だったが、今は同情をしている。それでもオリバーを傷つけたことは忘れていない。
彼女は目を細めて視線を向けてきた。
「あなただって、そう感じたことはありませんか? あの美しく、才能溢れる人が同居人で、熱い友情を向けてくれることに」
「オリバーと俺は別の人間ですから……。彼が俺の事を好きでいてくれるのは嬉しいですけど、それで俺の価値が変わることはありません」
「でも、周囲は錯覚します。隣にいる人、所属している団体で、その人の価値を見誤ります」
彼女の真剣な瞳に、ぐ、と言葉に詰まる。実際、それは感じていた。あのオリバーが執着する相手なのだからきっとすごい人なのだろうと近寄られ、本来の俺に幻滅して去っていく人を何人も見てきた。
「……そうですね。でも、それでも俺は、彼をアクセサリーやトロフィーにはしたくないんです」
床を見つめながら答える。彼女は、ぐ、と息を呑んだ。
その時だった。
「ちょっと! ウェンディ! そろそろ授業の時間ですわ!」
機嫌の悪そうなシャリーがウェンディの部屋に入ってくる。扉の方を見ると、彼女は目を釣り上げて立っていた。
「早く私のカバンを持ってくださらないこと? 遅刻したらアナタのせいですからね!」
彼女は腕を組んでウェンディを睨みつける。オリバーの前とは別人のようだった。俺は立ち上がる。ウェンディも慌てて椅子から離れ、自分の鞄を手に取った。
「はい。今行きます!」
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