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第一章「記憶喪失」
「いや、そこは人によると思うけどな」
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「いや、そこは人によると思うけどな」
次の日、オリジン医療室にて調子を聞かれた俺は昨日落ち込んだ話をして、イリスさんにあっさりと返されたのだった。
「君は近くに竜人と言えば彼しかいなかったんだろう? たった一つのサンプルで種族はそういうモノって決めるのは無理があるよ。……とはいえ、竜人がねちっこいという点については私も同意するけどね」
ナチュラルにオリバーのことをサンプルと言ってしまう彼に苦笑が漏れる。彼からすると周囲の事象はすべて観察対象なのではないかと思うことがある。
「そうなんですか? イリスさんはいろんなものに対してあっさりしている感じがしますけど……」
「そうでもないよ。こう見えて、好きな相手には一途なんだ」
俺は目を瞬かせる。
「好きな相手がいるんですか?」
「うん。もうずっと片思いをしている。でも、相手は俺に興味がないから抑えられているだけ。もし手に入れば、きっと一日中一緒にいたいと思うだろうし、相手の全てを知りたいし、束縛したくなると思う」
真顔で告げられ、二の句がつけられなくなる。
俺にとってイリスさんは理知的な大人という印象だった。オリバーが俺に執着を見せていた時は子供っぽいと感じていたぶん、このイリスさんでもオリバーのように誰かに執着をし、蛇のように求めてしまうのかと思うと不思議な心地がした。
彼は美麗な顔でにっこりと笑う。
「まぁ、何事も外から見える世界だけがすべてじゃないってことだね」
「はい……、でも、やっぱり今のオリバーはまるで別人のように思えてしまいます」
しょんぼりと肩を丸める。イリスさんは納得したように頷いた。
「そうだろうねぇ。性格は記憶が作っていくから」
「記憶が性格を作っていく?」
ピンとこない言葉に俺は首を傾げた。
「例えば、一人の人間が居て、その人には妹がいるとしよう。そうすると、親はその人間に兄、または姉として振る舞えと言うだろう?」
「あ、ああ……そうですね」
「周囲がその人を兄、もしくは姉として接するようになると、そういった振る舞いにより差別が生まれる。妹がほしいと言ったものを無条件で与えなければいけない環境が続き、何かを欲しがる子供ではなくなっていく。周囲から見ると、我慢強い性格に育ったように見えるよね」
「ああ……、なるほど」
納得しつつも、もやりと心臓がざわめく。イリスさんが続けた。
「オリバー君は北方系のドラゴンだよね。北国の場合は更に竜人同士の絆が強固になる。協力しあわないと死んでしまうからね。だから、他人に優しく、と教えられるし、執着するのは当たり前だと言われる。それはそうだよね。もし群れから個体が迷い出てしまったけれど、皆が見過ごしてしまえばその個体は死んでしまう。これは私の見解だけど、北方系の竜人が執念深いと言われるのはそうした環境由来のものもあるんじゃないのかと思う。そうして子供の頃からずっと竜人なのだから執念深く、一人の人を大切にしなさいと育てられてきて、たまたますぐそばに君が居た」
ぐさり、と体にナイフが刺されたような心地がした。わかっていたが、やはり他人から指摘されると辛い。
「……つまり、以前のオリバーは周囲の教育と、子供の友愛を恋愛感情とはきちがえてずっとそばにいてくれていた、と言いたいんでしょうか?」
声が重い。眼の前の竜人はううん、と困ったように眉尻を下げた。
「はきちがえているかどうかは以前の彼にしかわからないよ。そもそも思春期の恋愛なんて、数年したら全て間違いになるかもしれないんだ」
「……………………」
俺は唇を尖らせる。何の慰めにもならない。イリスさんはぽつりと呟いた。
「私もそうだからね……。私は南方系だけど、やはり集団で子育てをするのに都合がいいように作られた教育を幼少期に施されている。今の私の執着が、竜人由来のものなのか、私がもとから持ち合わせていた気質によるものなのか、この年になってもわからないんだ」
イリスさんはピオさんと同い年らしく、現在二十八歳だった。
「だから、今、その記憶がなく、教育も受けていない竜人がどう振る舞うのか、私は少し興味があるんだ」
イリスさんは顎に手を当てて遠くを見る。オリバーの記憶喪失は観察対象なのか、と半眼で彼を見た。すぐにそんな俺に気がついて、イリスさんは眉尻を下げる。
「……でも、君からしたら辛いよね。女の子になったまま、元に戻れないし。私の方も早めに魔法の解析を進めるから、もう少し待ってくれるかい?」
告げると、イリスさんは優しく微笑む。こういうところがピオさんも憎みきれないところなんだろうな、と俺は首を縦に振ったのだった。
過去の記憶がないオリバーがどうなるか、というと相変わらず男女問わず優しくて、困っている人がいたら助ける好青年だった。
そこからただ、俺への恋情がなくなっただけ。
今は記憶がないのだから仕方ないとわかっていながらも、まるで知らない人に対するような態度に寂しさが募る。
彼は名乗りをあげた順番にデートをしてみることに決めたらしく、俺は一番最後だった。
一日目はミッシャークラブのマネージャーのウェンディさん。
帰ってきたオリバーは楽しそうで、休日を一緒に過ごす事に違和感がなかったと話していた。それはそうだろう。事実、彼は休日の、日の出ている時間をほぼミッシャークラブで過ごしていたのだから。
オリバーはクラブでエースをしているらしく、次は都市対抗戦に出るのだと語ってくれていたっけ。共通の話題も豊富だし、きっと良い時間を過ごせただろう。
二日目、三日目ときて、四日目にワンダさんだった。
ワンダさんは話していて楽しいし、ユーモアもセンスもある。オリバーは上機嫌で帰ってきていた。
最後が俺だが、デートプランなんて全く練れていなかった。普段は、図書館で借りてきた本を読んだり、薬学や魔術を研究するといった、一人でできる時間を楽しんでいる。
改めて考えても、オリバーと共通の趣味なんてほぼないんだな、と悲しくなってきた。
当日、オリバーは俺のために一日空けてくれた。他の子が仕事終わりの数時間だったのに対し、俺はちょうど休日に重なったのだった。
「俺と君がよく行っていたところはどこ?」
オリバーは家を出る前に笑顔で尋ねてくる。そうは言っても、休日を一緒に過ごしていたことはほぼない。以前ミッシャーの試合に応援に行ったことはあるが、人気スポーツであるミッシャーには大量の観客が押し寄せ、人酔いしてしまってからはむしろオリバーが『無理しなくていいよ』と言ってくれ、言葉に甘えさせてもらっていた。
「……家、とか」
「お家デートってやつ?」
きょとん、とオリバーは目を瞬かせる。活動的な彼からしたら信じられないのだろう。
そうは言っても、何とかオリバーを楽しませたい。でないと、恋人と名乗りをあげた四人と比べられて捨てられてしまう。焦燥感から記憶を探った。
「……カフェとかも行ったことある」
片手の指で数えられる程度だが。
オリバーはホッとした顔をする。一日中家にいたくなかったのだろう。
「わかった! じゃあ、一緒に出かけよう」
けれど結果は散々だった。
一緒にカフェでお茶をしている間、何であんなイケメンがあんな地味なのと? という視線で散々見られ、しんどい気持ちが募っていく。以前であれば気にならなかった。オリバーの隣で堂々と胸を張っていられた。
けれどそれは、男の姿だったからだと今更気がついた。
女になった途端に、オリバーの隣にいて観察されるようになったのだ。あの美男子が連れている女はどれほどのものだろう、と。俺もオリバーも別の人間だし、恋人は獲得物やトロフィーじゃないのでイケメンの隣を歩いているからと言ってジャッジされるいわれはない。けれど、女性の姿でオリバーと一緒に歩くということがこんなにしんどいとは思っていなかった。中には聞えよがしに釣り合っていないと口に出す子もいて、ぐさりと心臓が抉られるような心地がしていた。
最後は特にやることが思い浮かばずミッシャーの試合を見に行ったが、俺はどうしても楽しむことができず、それどころかミッシャー界隈ではオリバーは人気者だったようで、結局周囲の視線から逃れられずその日は終わったのだった。
疲れた。
部屋に帰り着くなり、俺は布団に倒れ込む。
同時に、俺は自分の陰キャぶりを実感していた。オリバーみたいに知らない人に話しかけられても笑顔で会話することはできない。
今日一日オリバーはどう感じていただろう。
一緒につれて歩いている女に気を使い、エスコートしていた様子はいつもの彼だったが、内心でつまらないと思っていたのではないだろうか。
だって今や俺はオリバーにとって幼馴染補正のないただの人狼の女だ。それも口下手で内気で、共通の話題は仕事のことだけ。趣味を一緒に楽しめるわけでもない。
視界が滲む。気がついたら涙が流れていた。
「………………」
ああ、嫌だ。このままじゃ、オリバーは別の人のものになってしまう。
やっと覚悟が決まったのに。ライバルが多く、自分以外の選択肢が大量にある彼とともに生きていく覚悟が。
けれど、今の彼と一緒にいる自分のことをどうしても好きになれなかった。
自己嫌悪でいっぱいだ。記憶を忘れた彼を憎らしく思い、距離を置きたいとすら考えた。
だめだ。きっとそうしたら記憶が戻った時の彼が悲しむ。
もう少し頑張ろう。そう思い起き上がると、コンコン、とドアがノックされた。
「ウィル、起きてる?」
オリバーの声がする。俺はベッドから飛び降り、ドアを開けた。
オリバーは瞠目する。俺の目尻に溜まっていた涙を見つけたのだろう。申し訳無さそうな、悲しそうな表情を見て、俺は悟ってしまった。
きっと彼は俺をフるつもりでこの扉を叩いたのだろう、と。
俺はとっさに笑顔を作る。
「ごめん、寝てたから」
「あ、ああ……、そうなんだ」
俺から視線をそらし、なんと言っていいか迷っているようだった。昔から、彼の表情には敏い俺は、続きを言わせないようにと自分から切り出した。
「ごめんな、今日一日。実は、最初に言った冗談を取り消せないままだったんだ」
「冗談?」
オリバーは目を瞬かせる。
「そう。本当は恋人じゃないんだ。ただのルームメイト。友だちだよ」
「え……、あ、そうなの?」
あからさまにホッとしたような顔をするかつての恋人に胸が痛む。きっと断らなくてもよくなったと安心したのだろう。
「そう。だから、ほんと悪かった! 今日一日を無駄にさせちゃったな」
「いや、俺も楽しかったよ。じゃあ、俺と君はただの友達なんだね。あれ、じゃあ、男に戻るのって……」
「好きな相手とキスしたら男に戻るのは本当。……他に好きな人がいるんだけど、そいつは今会えないくらい遠くにいるんだ」
ウソを付くのは心が痛むが、とはいえこの状況で恋人はお前だったと言い通す強さはもてなかった。
「そっか……。うん、おかしいと思っていたんだ。ほら、ウィルが戻ったら男同士だろ? まさか俺が男とつきあってるとは思えなくてさ……」
えへへ、とオリバーは笑う。ちくちくと胸が痛い。
人間関係の記憶だけが消えているということは、常識や慣習は覚えているということだろう。
この国では同性愛に対して差別が根強く、同性愛者だと知られてしまえば後ろ指をさされてしまう。更には獣人は異性愛至上主義者が多い。各々の体の特性は妊娠、出産をして子種を残していくことを主軸に作られていると日々実感して暮らしているから、子供を残せない同性愛を異物とみなすのだ。
もともとオリバー達竜人の世話焼きグセも集団で子育てをするからと培われたもので、子供を作れない同性間での恋愛には意味をなさないはずのものである。
では異種族での異性間恋愛はどうなのかというと、これもあまり好まれてはいないが、異種間でも男女であれば子供自体は作れるため容認されている状態だった。
だからだろうか、俺への想いが消えた今、彼は男は対象外になってしまっているらしい。
オリバーはそれでも気遣わしげに眉尻を下げる。
「何か力になってあげらればいいんだけど」
「いいって! 気にしなくて……。そんなことより、これからも友だちでいてくれるか?」
せめて、と聞いてみる。オリバーはホッとしたように微笑んだ。
「うん! 同居も続けたいな。この家は好立地だし、引っ越すのも大変だし……」
確かに、オリバーがこの家を気に入って、ここにしようとゴリ押しされたのだ。俺は過去の彼の幻影を追い払う。
「そうだな。じゃあ、また明日」
告げるとオリバーも手を振って扉を締めた。
完全に締め切り、向かいの扉が閉まった気配を感じてから俺はその場に崩れ込む。
じわじわと涙が溢れ出してきた。
やっぱり、と思った。
幼馴染補正のなくなった俺はオリバーに見向きもされないんだ。過去の楽しかった思い出が頭をよぎり、必死に首を振った。泣いちゃだめだ。目が腫れる。目ざといあいつならきっと気がつく。
俺は魔法で指先に氷をつくると、布で巻いて瞼を冷やした。
次の日、オリジン医療室にて調子を聞かれた俺は昨日落ち込んだ話をして、イリスさんにあっさりと返されたのだった。
「君は近くに竜人と言えば彼しかいなかったんだろう? たった一つのサンプルで種族はそういうモノって決めるのは無理があるよ。……とはいえ、竜人がねちっこいという点については私も同意するけどね」
ナチュラルにオリバーのことをサンプルと言ってしまう彼に苦笑が漏れる。彼からすると周囲の事象はすべて観察対象なのではないかと思うことがある。
「そうなんですか? イリスさんはいろんなものに対してあっさりしている感じがしますけど……」
「そうでもないよ。こう見えて、好きな相手には一途なんだ」
俺は目を瞬かせる。
「好きな相手がいるんですか?」
「うん。もうずっと片思いをしている。でも、相手は俺に興味がないから抑えられているだけ。もし手に入れば、きっと一日中一緒にいたいと思うだろうし、相手の全てを知りたいし、束縛したくなると思う」
真顔で告げられ、二の句がつけられなくなる。
俺にとってイリスさんは理知的な大人という印象だった。オリバーが俺に執着を見せていた時は子供っぽいと感じていたぶん、このイリスさんでもオリバーのように誰かに執着をし、蛇のように求めてしまうのかと思うと不思議な心地がした。
彼は美麗な顔でにっこりと笑う。
「まぁ、何事も外から見える世界だけがすべてじゃないってことだね」
「はい……、でも、やっぱり今のオリバーはまるで別人のように思えてしまいます」
しょんぼりと肩を丸める。イリスさんは納得したように頷いた。
「そうだろうねぇ。性格は記憶が作っていくから」
「記憶が性格を作っていく?」
ピンとこない言葉に俺は首を傾げた。
「例えば、一人の人間が居て、その人には妹がいるとしよう。そうすると、親はその人間に兄、または姉として振る舞えと言うだろう?」
「あ、ああ……そうですね」
「周囲がその人を兄、もしくは姉として接するようになると、そういった振る舞いにより差別が生まれる。妹がほしいと言ったものを無条件で与えなければいけない環境が続き、何かを欲しがる子供ではなくなっていく。周囲から見ると、我慢強い性格に育ったように見えるよね」
「ああ……、なるほど」
納得しつつも、もやりと心臓がざわめく。イリスさんが続けた。
「オリバー君は北方系のドラゴンだよね。北国の場合は更に竜人同士の絆が強固になる。協力しあわないと死んでしまうからね。だから、他人に優しく、と教えられるし、執着するのは当たり前だと言われる。それはそうだよね。もし群れから個体が迷い出てしまったけれど、皆が見過ごしてしまえばその個体は死んでしまう。これは私の見解だけど、北方系の竜人が執念深いと言われるのはそうした環境由来のものもあるんじゃないのかと思う。そうして子供の頃からずっと竜人なのだから執念深く、一人の人を大切にしなさいと育てられてきて、たまたますぐそばに君が居た」
ぐさり、と体にナイフが刺されたような心地がした。わかっていたが、やはり他人から指摘されると辛い。
「……つまり、以前のオリバーは周囲の教育と、子供の友愛を恋愛感情とはきちがえてずっとそばにいてくれていた、と言いたいんでしょうか?」
声が重い。眼の前の竜人はううん、と困ったように眉尻を下げた。
「はきちがえているかどうかは以前の彼にしかわからないよ。そもそも思春期の恋愛なんて、数年したら全て間違いになるかもしれないんだ」
「……………………」
俺は唇を尖らせる。何の慰めにもならない。イリスさんはぽつりと呟いた。
「私もそうだからね……。私は南方系だけど、やはり集団で子育てをするのに都合がいいように作られた教育を幼少期に施されている。今の私の執着が、竜人由来のものなのか、私がもとから持ち合わせていた気質によるものなのか、この年になってもわからないんだ」
イリスさんはピオさんと同い年らしく、現在二十八歳だった。
「だから、今、その記憶がなく、教育も受けていない竜人がどう振る舞うのか、私は少し興味があるんだ」
イリスさんは顎に手を当てて遠くを見る。オリバーの記憶喪失は観察対象なのか、と半眼で彼を見た。すぐにそんな俺に気がついて、イリスさんは眉尻を下げる。
「……でも、君からしたら辛いよね。女の子になったまま、元に戻れないし。私の方も早めに魔法の解析を進めるから、もう少し待ってくれるかい?」
告げると、イリスさんは優しく微笑む。こういうところがピオさんも憎みきれないところなんだろうな、と俺は首を縦に振ったのだった。
過去の記憶がないオリバーがどうなるか、というと相変わらず男女問わず優しくて、困っている人がいたら助ける好青年だった。
そこからただ、俺への恋情がなくなっただけ。
今は記憶がないのだから仕方ないとわかっていながらも、まるで知らない人に対するような態度に寂しさが募る。
彼は名乗りをあげた順番にデートをしてみることに決めたらしく、俺は一番最後だった。
一日目はミッシャークラブのマネージャーのウェンディさん。
帰ってきたオリバーは楽しそうで、休日を一緒に過ごす事に違和感がなかったと話していた。それはそうだろう。事実、彼は休日の、日の出ている時間をほぼミッシャークラブで過ごしていたのだから。
オリバーはクラブでエースをしているらしく、次は都市対抗戦に出るのだと語ってくれていたっけ。共通の話題も豊富だし、きっと良い時間を過ごせただろう。
二日目、三日目ときて、四日目にワンダさんだった。
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最後が俺だが、デートプランなんて全く練れていなかった。普段は、図書館で借りてきた本を読んだり、薬学や魔術を研究するといった、一人でできる時間を楽しんでいる。
改めて考えても、オリバーと共通の趣味なんてほぼないんだな、と悲しくなってきた。
当日、オリバーは俺のために一日空けてくれた。他の子が仕事終わりの数時間だったのに対し、俺はちょうど休日に重なったのだった。
「俺と君がよく行っていたところはどこ?」
オリバーは家を出る前に笑顔で尋ねてくる。そうは言っても、休日を一緒に過ごしていたことはほぼない。以前ミッシャーの試合に応援に行ったことはあるが、人気スポーツであるミッシャーには大量の観客が押し寄せ、人酔いしてしまってからはむしろオリバーが『無理しなくていいよ』と言ってくれ、言葉に甘えさせてもらっていた。
「……家、とか」
「お家デートってやつ?」
きょとん、とオリバーは目を瞬かせる。活動的な彼からしたら信じられないのだろう。
そうは言っても、何とかオリバーを楽しませたい。でないと、恋人と名乗りをあげた四人と比べられて捨てられてしまう。焦燥感から記憶を探った。
「……カフェとかも行ったことある」
片手の指で数えられる程度だが。
オリバーはホッとした顔をする。一日中家にいたくなかったのだろう。
「わかった! じゃあ、一緒に出かけよう」
けれど結果は散々だった。
一緒にカフェでお茶をしている間、何であんなイケメンがあんな地味なのと? という視線で散々見られ、しんどい気持ちが募っていく。以前であれば気にならなかった。オリバーの隣で堂々と胸を張っていられた。
けれどそれは、男の姿だったからだと今更気がついた。
女になった途端に、オリバーの隣にいて観察されるようになったのだ。あの美男子が連れている女はどれほどのものだろう、と。俺もオリバーも別の人間だし、恋人は獲得物やトロフィーじゃないのでイケメンの隣を歩いているからと言ってジャッジされるいわれはない。けれど、女性の姿でオリバーと一緒に歩くということがこんなにしんどいとは思っていなかった。中には聞えよがしに釣り合っていないと口に出す子もいて、ぐさりと心臓が抉られるような心地がしていた。
最後は特にやることが思い浮かばずミッシャーの試合を見に行ったが、俺はどうしても楽しむことができず、それどころかミッシャー界隈ではオリバーは人気者だったようで、結局周囲の視線から逃れられずその日は終わったのだった。
疲れた。
部屋に帰り着くなり、俺は布団に倒れ込む。
同時に、俺は自分の陰キャぶりを実感していた。オリバーみたいに知らない人に話しかけられても笑顔で会話することはできない。
今日一日オリバーはどう感じていただろう。
一緒につれて歩いている女に気を使い、エスコートしていた様子はいつもの彼だったが、内心でつまらないと思っていたのではないだろうか。
だって今や俺はオリバーにとって幼馴染補正のないただの人狼の女だ。それも口下手で内気で、共通の話題は仕事のことだけ。趣味を一緒に楽しめるわけでもない。
視界が滲む。気がついたら涙が流れていた。
「………………」
ああ、嫌だ。このままじゃ、オリバーは別の人のものになってしまう。
やっと覚悟が決まったのに。ライバルが多く、自分以外の選択肢が大量にある彼とともに生きていく覚悟が。
けれど、今の彼と一緒にいる自分のことをどうしても好きになれなかった。
自己嫌悪でいっぱいだ。記憶を忘れた彼を憎らしく思い、距離を置きたいとすら考えた。
だめだ。きっとそうしたら記憶が戻った時の彼が悲しむ。
もう少し頑張ろう。そう思い起き上がると、コンコン、とドアがノックされた。
「ウィル、起きてる?」
オリバーの声がする。俺はベッドから飛び降り、ドアを開けた。
オリバーは瞠目する。俺の目尻に溜まっていた涙を見つけたのだろう。申し訳無さそうな、悲しそうな表情を見て、俺は悟ってしまった。
きっと彼は俺をフるつもりでこの扉を叩いたのだろう、と。
俺はとっさに笑顔を作る。
「ごめん、寝てたから」
「あ、ああ……、そうなんだ」
俺から視線をそらし、なんと言っていいか迷っているようだった。昔から、彼の表情には敏い俺は、続きを言わせないようにと自分から切り出した。
「ごめんな、今日一日。実は、最初に言った冗談を取り消せないままだったんだ」
「冗談?」
オリバーは目を瞬かせる。
「そう。本当は恋人じゃないんだ。ただのルームメイト。友だちだよ」
「え……、あ、そうなの?」
あからさまにホッとしたような顔をするかつての恋人に胸が痛む。きっと断らなくてもよくなったと安心したのだろう。
「そう。だから、ほんと悪かった! 今日一日を無駄にさせちゃったな」
「いや、俺も楽しかったよ。じゃあ、俺と君はただの友達なんだね。あれ、じゃあ、男に戻るのって……」
「好きな相手とキスしたら男に戻るのは本当。……他に好きな人がいるんだけど、そいつは今会えないくらい遠くにいるんだ」
ウソを付くのは心が痛むが、とはいえこの状況で恋人はお前だったと言い通す強さはもてなかった。
「そっか……。うん、おかしいと思っていたんだ。ほら、ウィルが戻ったら男同士だろ? まさか俺が男とつきあってるとは思えなくてさ……」
えへへ、とオリバーは笑う。ちくちくと胸が痛い。
人間関係の記憶だけが消えているということは、常識や慣習は覚えているということだろう。
この国では同性愛に対して差別が根強く、同性愛者だと知られてしまえば後ろ指をさされてしまう。更には獣人は異性愛至上主義者が多い。各々の体の特性は妊娠、出産をして子種を残していくことを主軸に作られていると日々実感して暮らしているから、子供を残せない同性愛を異物とみなすのだ。
もともとオリバー達竜人の世話焼きグセも集団で子育てをするからと培われたもので、子供を作れない同性間での恋愛には意味をなさないはずのものである。
では異種族での異性間恋愛はどうなのかというと、これもあまり好まれてはいないが、異種間でも男女であれば子供自体は作れるため容認されている状態だった。
だからだろうか、俺への想いが消えた今、彼は男は対象外になってしまっているらしい。
オリバーはそれでも気遣わしげに眉尻を下げる。
「何か力になってあげらればいいんだけど」
「いいって! 気にしなくて……。そんなことより、これからも友だちでいてくれるか?」
せめて、と聞いてみる。オリバーはホッとしたように微笑んだ。
「うん! 同居も続けたいな。この家は好立地だし、引っ越すのも大変だし……」
確かに、オリバーがこの家を気に入って、ここにしようとゴリ押しされたのだ。俺は過去の彼の幻影を追い払う。
「そうだな。じゃあ、また明日」
告げるとオリバーも手を振って扉を締めた。
完全に締め切り、向かいの扉が閉まった気配を感じてから俺はその場に崩れ込む。
じわじわと涙が溢れ出してきた。
やっぱり、と思った。
幼馴染補正のなくなった俺はオリバーに見向きもされないんだ。過去の楽しかった思い出が頭をよぎり、必死に首を振った。泣いちゃだめだ。目が腫れる。目ざといあいつならきっと気がつく。
俺は魔法で指先に氷をつくると、布で巻いて瞼を冷やした。
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