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第15話 「じゃあ、アンタはどうしたいの?」*

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 朝、省吾は起き上がろうとして、体が重かった。風邪を引いているのかもしれない。午前中時間があったので彼はノアのところに行くことにした。
 
 
「風邪の引き始めってところかなぁ~。異世界人でもこっちの人と同じような症状が出るんだねぇ」

 ノアは聴診器を外しながら告げる。省吾はノアの研究室で胸を出し、心音と熱を測られたあとそう告げられた。

「唾液と血液をもらえるかなぁ? 省吾が元気だった時と数値がどう変わっているか見てみたいしねぇ」

 何事かをノアはノートに書きながら言う。

「おー……」

 朦朧とした頭で省吾は答えた。ノアは満足そうに頷くと注射器と試験管を取りに席を立つ。相変わらず床ではラーリ達が走り回っていた。
 待っているとコンコン、とドアがノックされ、男が一人入ってきたのでノアが応対に出る。恰好から料理番の一人なのだと伺い知れた。
 その間暇だったので省吾は何気無く机の上に広げられた帳簿を一つ手に取り見てみる。この頃には簡単な本なら読めるようになっていたが、まだ専門用語はわからないから読んでも意味はないだろうと思った。しかし、中に繰り返し出てくる文字列が見知ったものだったので省吾は首をかしげる。
 文字はミロと読める。薬を渡した人間を記録しているようで、記録されている日付はお勤めの日がほとんどだった。
 何故か嫌な予感がする。ミロの名前はわかるのだが、その横に書いてある文字列が何のことかわからなかった。

「なぁ、ラーリ」

 ひっそりと省吾は近くを歩いていたスライム妖精に話しかける。

「紙とペン貸してくれないか?」

 ちらりとノアのほうを見る。話が長引いているようで二人とも楽しそうに談笑していた。

 ラーリは省吾のほうを向き、すたたた、と奥のほうに歩いていくと、メモ用紙とペンを持ってきた。ペンは水鳥の羽で作られており、ノアのものというよりは、このラーリの私物のようだった。

 インクに浸し、ミロの隣に記入されていた文字を書き写す。この文字列も毎回同じものだった。ティキーニと発音できるそれが何を指すのかは省吾には見当もつかなかった。

 書き終わり、ラーリに渡したところでノアと料理番の男が話を終えたらしく、扉が閉まる音を聞き慌てて省吾はメモを隠す。何故、ノアに知られないようにしようとしたのか自分でもわからなかった。

「ごめんねぇ、お待たせぇ~」

 ノアはニコニコと笑いながら戻ってくる。話していた間に先ほどのラーリによって注射と試験管の準備は終わっていた。

「いや……、知り合いか?」
「うん。最近たまにお菓子を作ってわけてくれるんだぁ」

 そう言うノアの手にはクッキーの入った皿があった。ナッツの入ったクッキーは素朴な外見ながらおいしそうだ。

「ふーん。愛されてるんだな」
「そうかなぁ~」

 ニコニコしながらもノアは返す。きっと彼の人生はこうしていろんな人にものをもらうのが当たり前だったのだろうな、と省吾は思った。

 脳裏に母の姿がちらつく。省吾が風邪を引いても彼女は看病などしなかった。そもそも風邪を引いていること自体知らない事のほうが多い。

 その間、省吾の看病をしてくれていたのは蓮だった。学校終わりにバイトして得た金で風邪薬やおかゆのパックを買ってきてくれた彼を思い出す。彼の事を考えてももう胸は痛まなくなっていた。

 血を抜かれ、唾液を提供し薬をもらって退出する。
 今日から三日間は鍛錬に行かず絶対安静にするようにと厳重注意された。
 



 
「ちょっとアンタ、風邪引いたんですって?」

 ノアの研究室から帰って眠っているとサイが尋ねてきた。
 ジェドに渋い顔をされたらしいが、ちょうど省吾が目を覚まし、彼を中に入れるように願ったのでしぶしぶジェドは彼を通す。

「うん。こっちでも風邪ってあるんだな」
「そりゃあるでしょ。体質そのものは変わっていないんだから」

 言いながらサイは持ってきた袋から本を取り出す。

「はい、これ。約束していた本」

 受け取った本は軽く、あちらの世界の洋書みたいに簡素なつくりだった。

「ああ、王妃とヒジリ様の……」
「そうそう。王室図書館にはこんな本おいてないでしょ?」

 ぱちん、とサイは片目をつむる。省吾は以前ジェドに案内された図書館を思い出す。重厚なつくりの本が多く、難しい内容のものばかりだったので省吾はあまり近寄っていない。

「うん……。この世界にはこういう本もあるんだな」
「何代か前のヒジリ様が本が好きな人でね。彼女の要請で当時の召喚士が安く大量に作れる紙を考案して誰でも自費出版で本が出せるようになったのよ。で、こういう下世話な本が作られるようになったってわけ」

 まだ印刷技術としては拙いようで、ガリ版印刷の要領で刷られているようだった。

「この本なら辞書さえあれば読めるでしょ」

 本は表紙に手書きの文字で「愛の軌跡」と書かれており、中身も誰かの手書きの文字を印刷したようだった。

「うん、ありがとう。眠れないときに読ませてもらう」

 省吾は本を枕元に置きながら、今日書き写したメモのことを思い出した。

「そういえば、これ何のことか意味わかるか?」

 省吾はメモをサイに渡す。サイは受け取り紙に目を通した。

「汚い字ねぇ。……これ、どうしたの?」

 サイの眉根にシワが寄せられている。

「今日ノアのところに薬をもらいにいった時に帳簿みたいなのを見つけて、ミロの文字の横に書いてあって……」
「帳簿ってなら日付も書いてあったでしょ? どのくらいの頻度で記入されてた?」
「……お勤めのある日だから、毎週一回」

 はぁ~、とサイは納得したようなため息を漏らす。

「なるほどねぇ」
「どうしたんだ?」
「これはね、精力剤の名前。あんたを抱く時毎回ミロが飲んでいたようね」
「え」

 がつん、と頭を何かで殴られたような気になった。

「精力剤って……」
「そりゃ、お勤めの日に勃ちませんでした、なんて洒落にならないものねぇ」

 サイの言葉に泣きそうな気持になる。
 自分で気持ちよくなっているとばかり思っていた。男相手ではあっても、興奮してくれているのだろうと。
 それもすべて薬の力だったのだ。

「にしても、強い薬使ってんのねぇ。副作用とかないのかしら」

 サイは呆れたように続ける。

「副作用……」
「処方してんのがノアならまず大丈夫だと思うけど」

 がんがんと頭が痺れていく。うまく考えられない。それほどショックだった。

「わからない話でもないわねぇ。国の防衛がかかってるんだもの。これくらいするわよ。私だってノアと同じ立場に立ったら処方するし、ミロの立場になったら飲むもの」
「……そう、だよな」

 ミロは本来異性愛者である。

 わかっていたことなのに、こうして突きつけられると辛い。本当にまったくミロは自分に興味がなかったのだ。そんな省吾を見てサイは珍しく慌てたように省吾の肩に手を置いた。

「……あのさぁ、私が言っちゃったのが悪いとは思うんだけど、気にしなくていいわよ。だって、省吾は完全に巻き込まれてんじゃない。いきなり別の世界に連れてこられて、セックスをしろだなんて」
「うん……、でも、あっちの世界に戻りたいわけじゃないし」

 放っておいたら自殺しかねない精神状態だったのだ。元の世界に未練があるわけではない。

「…………」

 サイはじ、と真顔で省吾を見る。

「じゃあ、アンタはどうしたいの?」

 問われた言葉に省吾はサイを見つめ返す。

「元の世界に帰りたいわけじゃないのは、こちらとしてはありがたいわよ。アンタのおかげで魔獣が来ないんだから。でも、アンタはこの世界で今後どうなりたいの? どういう生き方がしたいの? このままずっとヒジリ様を続けていれば満足なの?」
「…………」

 ひゅ、と喉がつかえる。

 これまで省吾は今後自分がどうしたいのかを考えてこなかった。あちらの世界にいた時もそうだった。

 中学時代に何か部活に所属しなさいと言われサッカー部を選び、高校に入ると友人からまたもサッカー部に誘われたから入った。

 その高校も、安くて家から近いという理由で選んだ。就職の際も金がなかったということと、大学でやりたいこともなかったから働く道を選んだ。

「……俺は」

 言葉が出ない。サイはしばらく省吾の返事を待ち、それからため息をついた。

「ごめん、私が悪かったわ。忘れなさい。第一、こっちの仕組みも知らないのにどうしたいか聞かれても困るわよね」
「…………」

 彼のやさしさに省吾は黙って首を振った。

「やりたいことなんて人それぞれよ。今から探せばいいわ。それに、今のアンタには知識が足りないから、本を読んだり色んなものを見て知識を増やしていけばいいのよ」

 ふわり、とサイの手が頭を撫でる。
 そして彼はおやすみなさい、と告げて部屋を出て行った。
 
 



 どうやって生きていきたいか。
 そんなことを言われても、そもそも望めるのかどうかもわからない。

 何ともなしに省吾はサイから貸してもらった本を手に取る。多少誇張はされているのだろうが、同性同士で愛を手に入れた先達の物語だ。

 辞書を引きながらも本を読む。平易でわかりやすい言葉で書かれたそれはティーン向けなのだろう、あっさりと省吾はその後3日の間に読むことが出来た。
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