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第四章
由加の過去
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あれは五年前、由加が派遣先で契約満了したときのことだった。
派遣社員は、派遣先の企業に期間を定められて派遣される。優秀な人は契約延長をされることが多く、由加の派遣先も契約延長によって二年以上派遣され、頼りにされている人がいた。
でも、由加は当初の予定通り、六か月で契約満了。
前の企業も、その前の企業もそうだった。つまり、どの会社に派遣されても当初の契約期間でしか働けていない。
(また、認めてもらえなかった)
何者でもない自分。何者にもなれない自分。そんな立派な思考は持ち合わせていないと思っていた。気楽に、生きていけるだけのお金を稼げればいい。それ以外は、ぼーっと生活して、いつかは猫や犬を飼って静かに暮らせればいいなんて思っていたのに。
最短での契約満了を三回も突き付けられ、由加はふさぎこんだ。次の派遣先も、すぐに決まらず待機期間という名の無職になってしまった。
『空きが出たら、ご連絡いたします』
派遣会社からのメールを何度も見るが、進展はせずメールも届かない。
大学まで出て、このありさま。
両親に申し訳ない。
当時、二十四歳。大企業の正社員になって高収入の同僚と交際しているキラキラした同級生に嫉妬した。
それだけじゃない。
生きるために必死で奨学金を返しながら働いている人、子育てをしている人、病気と戦っている人、親の介護をしている人。すべてがまぶしかった。みんな、生きている。必死で生きている。
でも自分は、役立たずのもぬけの殻。がんばらなくても生きていける。今はそれでいいけど、親がいなくなったら?
あの頃は、ぼーっとして、不安に押しつぶされて、またぼーっとして、自分以外のすべての人に嫉妬していた。
父の修は仕事に出ているものの、母朋子は当時専業主婦でずっと家にいた。だから、待機期間として家にずっといると仕事をしていないことがばれるし、心苦しかった。
由加は、朋子に待機期間であるとは告げずに、毎朝同じ時間に出社しているふりをして定時に帰宅する生活をすることにした。
行先はインターネットカフェ、隣町の図書館、知らない街まで電車で行ってぼんやりすごすなど。なるべくお金のかからない場所で時間を潰した。とはいえ、収入がないのに毎日いくらかのお金が出ていくばかり。
貯金が少しずつ減る恐怖心。働いていないことへの罪悪感。本当のことを家族に言えない窮屈さ。派遣会社からの連絡を二十四時間待ち続ける焦燥感。
一週間、二週間と時間が経つごとに、心が疲弊していった。どうしようどうしようと焦るばかり。
今思えば、朋子に言ったところで「あ、そう」で終わった気がする。けれど、あの時の由加にそんな余裕はなかった。
待機期間に資格を取ろう、派遣ではなく正社員になろう。
頭では分かっていても、勉強に身が入らない。図書館で本とノートを広げても、なにも頭に入らない。焦るばかりでなにも身につかない。なにもしていないのに、あっという間に一日が終わり、また時間を無駄にする一日が始まる。
起きて、朋子の作る朝食を食べ、身支度をする。ずいぶん暑くなってきて、出勤用のスーツの着心地を不快に感じるようになってきた。
「いってきます」
父・修はすでに家を出ている。由加は、台所にいる朋子の背中に声をかけた。
「待って」
いつもと違う様子で、引き留められた。
バレた? と思って思わず背筋が凍る。
しかし朋子は、笑顔だった。
「たまには、お弁当持っていきなさい」
朋子が、昔由加が使っていたお弁当箱をずいと差し出した。
「……なんで」
朋子が言わんとしていることが分からず、由加はお弁当箱を受け取らずに朋子の顔を見た。
「いいじゃない。気が向いたのよ」
ほら、と朋子がお弁当箱を押し付けてくる。
「あ、ありがとう……」
「はい、いってらっしゃい」
朋子はまた、由加に背を向けて洗い物を始めた。
真意がわからなかったけど、受け取らないわけにもいかない。由加は一度部屋に戻って使わなくなったランチトートをひっぱりだし、持っていくことにした。
電車に乗り、海沿いの街にやってきた。
人が多いところに行くと、自分という人間が埋没できて良い。でも、その分幸せそうな人をたくさん見かけてしまい、落ち込みもする。
あてもなく街を散策し、ようやく午前十一時。時間って、潰そうと思うとまったく時が進まなくて困る。
人気のない公園を見つけ、ベンチに腰かける。
朋子から受け取ったお弁当に目をやる。
開けてしまうのが怖いような気がして、ここまで蓋をあけることはなかった。でも、小腹も空いたし、天気が良すぎて暑いから傷むのも心配だし。
思い切って、見てみることにした。
ランチトートから取り出してひざの上に乗せ、恐る恐る蓋をあけてみる。
「おにぎりセット……」
おにぎりがふたつに、からあげがみっつ。ミニトマトがふたつ。お弁当箱の中、所狭しと詰め込まれていた。
学生時代は、質素な朋子のお弁当が苦手だった。キャラ弁みたいにかわいくもないし、カフェごはんみたいにおしゃれでもない。同級生が色とりどりのお弁当を食べる中、由加は慌ただしく胃の中におさめることが多かった。
でも、今はなんだかホッとする。いつもの、変わらない朋子の愛情を感じてしまう。
「いただきます」
おにぎりを口にしてみると、具材がしそ梅だと分かった。しそ梅は、梅干しとシソを細かく刻んで具材にしている。梅干しの酸味を中和してくれるしそのおかげで食べやすい。
もうひとつはこんぶだ。どちらも、傷みにくい食材を選んでくれたのだとわかる。
おかずのからあげも食べる。つまようじに刺さったからあげは脂っこさがなく、冷めても美味しいのは朋子のからあげの特徴だ。
最後にミニトマトを食べ、お弁当箱の蓋を閉じる。
「ごちそうさまでした」
由加は、慌ただしくランチトートにお弁当箱をしまうと、立ち上がって駅に急いだ。
すぐに家に帰ろう。本当のことを言おう。悪いことをしているみたいに、コソコソと隠れているのはよくない。
派遣社員は、派遣先の企業に期間を定められて派遣される。優秀な人は契約延長をされることが多く、由加の派遣先も契約延長によって二年以上派遣され、頼りにされている人がいた。
でも、由加は当初の予定通り、六か月で契約満了。
前の企業も、その前の企業もそうだった。つまり、どの会社に派遣されても当初の契約期間でしか働けていない。
(また、認めてもらえなかった)
何者でもない自分。何者にもなれない自分。そんな立派な思考は持ち合わせていないと思っていた。気楽に、生きていけるだけのお金を稼げればいい。それ以外は、ぼーっと生活して、いつかは猫や犬を飼って静かに暮らせればいいなんて思っていたのに。
最短での契約満了を三回も突き付けられ、由加はふさぎこんだ。次の派遣先も、すぐに決まらず待機期間という名の無職になってしまった。
『空きが出たら、ご連絡いたします』
派遣会社からのメールを何度も見るが、進展はせずメールも届かない。
大学まで出て、このありさま。
両親に申し訳ない。
当時、二十四歳。大企業の正社員になって高収入の同僚と交際しているキラキラした同級生に嫉妬した。
それだけじゃない。
生きるために必死で奨学金を返しながら働いている人、子育てをしている人、病気と戦っている人、親の介護をしている人。すべてがまぶしかった。みんな、生きている。必死で生きている。
でも自分は、役立たずのもぬけの殻。がんばらなくても生きていける。今はそれでいいけど、親がいなくなったら?
あの頃は、ぼーっとして、不安に押しつぶされて、またぼーっとして、自分以外のすべての人に嫉妬していた。
父の修は仕事に出ているものの、母朋子は当時専業主婦でずっと家にいた。だから、待機期間として家にずっといると仕事をしていないことがばれるし、心苦しかった。
由加は、朋子に待機期間であるとは告げずに、毎朝同じ時間に出社しているふりをして定時に帰宅する生活をすることにした。
行先はインターネットカフェ、隣町の図書館、知らない街まで電車で行ってぼんやりすごすなど。なるべくお金のかからない場所で時間を潰した。とはいえ、収入がないのに毎日いくらかのお金が出ていくばかり。
貯金が少しずつ減る恐怖心。働いていないことへの罪悪感。本当のことを家族に言えない窮屈さ。派遣会社からの連絡を二十四時間待ち続ける焦燥感。
一週間、二週間と時間が経つごとに、心が疲弊していった。どうしようどうしようと焦るばかり。
今思えば、朋子に言ったところで「あ、そう」で終わった気がする。けれど、あの時の由加にそんな余裕はなかった。
待機期間に資格を取ろう、派遣ではなく正社員になろう。
頭では分かっていても、勉強に身が入らない。図書館で本とノートを広げても、なにも頭に入らない。焦るばかりでなにも身につかない。なにもしていないのに、あっという間に一日が終わり、また時間を無駄にする一日が始まる。
起きて、朋子の作る朝食を食べ、身支度をする。ずいぶん暑くなってきて、出勤用のスーツの着心地を不快に感じるようになってきた。
「いってきます」
父・修はすでに家を出ている。由加は、台所にいる朋子の背中に声をかけた。
「待って」
いつもと違う様子で、引き留められた。
バレた? と思って思わず背筋が凍る。
しかし朋子は、笑顔だった。
「たまには、お弁当持っていきなさい」
朋子が、昔由加が使っていたお弁当箱をずいと差し出した。
「……なんで」
朋子が言わんとしていることが分からず、由加はお弁当箱を受け取らずに朋子の顔を見た。
「いいじゃない。気が向いたのよ」
ほら、と朋子がお弁当箱を押し付けてくる。
「あ、ありがとう……」
「はい、いってらっしゃい」
朋子はまた、由加に背を向けて洗い物を始めた。
真意がわからなかったけど、受け取らないわけにもいかない。由加は一度部屋に戻って使わなくなったランチトートをひっぱりだし、持っていくことにした。
電車に乗り、海沿いの街にやってきた。
人が多いところに行くと、自分という人間が埋没できて良い。でも、その分幸せそうな人をたくさん見かけてしまい、落ち込みもする。
あてもなく街を散策し、ようやく午前十一時。時間って、潰そうと思うとまったく時が進まなくて困る。
人気のない公園を見つけ、ベンチに腰かける。
朋子から受け取ったお弁当に目をやる。
開けてしまうのが怖いような気がして、ここまで蓋をあけることはなかった。でも、小腹も空いたし、天気が良すぎて暑いから傷むのも心配だし。
思い切って、見てみることにした。
ランチトートから取り出してひざの上に乗せ、恐る恐る蓋をあけてみる。
「おにぎりセット……」
おにぎりがふたつに、からあげがみっつ。ミニトマトがふたつ。お弁当箱の中、所狭しと詰め込まれていた。
学生時代は、質素な朋子のお弁当が苦手だった。キャラ弁みたいにかわいくもないし、カフェごはんみたいにおしゃれでもない。同級生が色とりどりのお弁当を食べる中、由加は慌ただしく胃の中におさめることが多かった。
でも、今はなんだかホッとする。いつもの、変わらない朋子の愛情を感じてしまう。
「いただきます」
おにぎりを口にしてみると、具材がしそ梅だと分かった。しそ梅は、梅干しとシソを細かく刻んで具材にしている。梅干しの酸味を中和してくれるしそのおかげで食べやすい。
もうひとつはこんぶだ。どちらも、傷みにくい食材を選んでくれたのだとわかる。
おかずのからあげも食べる。つまようじに刺さったからあげは脂っこさがなく、冷めても美味しいのは朋子のからあげの特徴だ。
最後にミニトマトを食べ、お弁当箱の蓋を閉じる。
「ごちそうさまでした」
由加は、慌ただしくランチトートにお弁当箱をしまうと、立ち上がって駅に急いだ。
すぐに家に帰ろう。本当のことを言おう。悪いことをしているみたいに、コソコソと隠れているのはよくない。
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