1 / 20
1.婚約、とは
しおりを挟む
ああ、またはじまったわ……。
クロエ・マリンは気付かれないように小さく溜息を吐いた。
「だからさ、クロエ。結婚しよう」
熱っぽく見つめる彼は、クロエの恋人であるウェス・ジェームズだ。彼との交際期間はもうすぐ八年になる。
この台詞を聞いたのが初めてだったら、すぐに舞い上がっていたことだろう。それからすぐに"喜んで"と返事をしたと思う。
「ええ、そうね」
曖昧に笑うクロエに、ウェスは不満そうな表情を浮かべている。
「エイダンの奴、すごく幸せそうだったよ。奥さんと二人でこのまま田舎に引っ越すんだってさ。いいよな、自給自足で暮らしていくのも」
先月は田舎暮らしなんてまっぴら、華やかな町で暮らしたい、だなんて言っていたくせに。
エイダン・フォードはウェスの幼馴染だ。実家が田舎の方だという奥さんの為に、町を出て彼女の家業を手伝うとのことだった。エイダンは男爵家の五男で、特に周囲の反対もなく、すんなりと決まったことだったらしい。
ウェスによると、美人で料理上手な奥さんだという話だ。
さぞ惚気話をたくさん聞いてきたに違いない。クロエは他人の惚気話を聞くことが好きなので、本当はもっと話を聞いてみたいという気持ちがあった。だが、これから先に待ち受けることを思うと、話をすぐに切り上げた方が良さそうだ。クロエはそう判断した。
「本当、幸せそうね。おめでとう」
誤魔化すようにウェスの頬を両手で包んでキスをする。ウェスはその手をしっかりと掴んで離さない。真っ直ぐに目を見て、拗ねるように問い掛ける。
「クロエ、君は俺の何が不満なんだ?」
ウェスの目は真剣そのものだった。
「私は貴方になんの不満もないわ」
不満なんてひとつもない。だが、クロエにはもうわかっているのだ。
明日の今頃、彼はこの話をすっかり忘れている。
これまで八年間、結婚に関する話題は何度も出ていた。
最初の頃はクロエの方が乗り気だったのだ。いずれカントリーハウスを仕切ることになる彼を支えようと尽くしていた。
『女は気楽でいい。美しくいれば簡単に幸せになれる』
自分と付き合うことは幸せなことなのだと、クロエに自慢げに何度も言って聞かせていた。ブランディーユ国では名の知れた伯爵家の長男であるウェスは、いつも自信に満ち溢れていた。がっしりとした体格に、万人受けするような整った容姿、いつも高級そうな物を身に着けて、金持ちであることを隠そうともしない。
クロエは今まで出会ったタイプとは正反対の彼に戸惑い、最初は交際を断っていた。だが、何度も情熱的に愛の言葉を贈ってくれた彼に根負けしたという形で交際をはじめた。
真っ直ぐに愛を語る彼は優しくて、クロエのことを一途に愛してくれる。ユーモアがあって朗らかな彼を、クロエはすぐに愛おしく思った。
そろそろ結婚の話を……と思った頃だった。彼の友人の一人が、『結婚はしない宣言』をしたらしいのだ。その理由に激しく同意した彼は、きっぱりとクロエに言ったのだ。
『結婚が全てではない、俺は結婚なんてしない』
その夜、クロエは少しだけ泣いた。だが、翌日にはケロッと結婚の素晴らしさについて語り始めた。
『結婚しよう、クロエ』
涙ながらに頷いたクロエだったが、指輪もない、クロエの両親に正式な挨拶をしたこともない。
ーーそう、一向に進展がないのだ。
あのプロポーズは何だったのか、と問うと、「だって、いずれは俺たち結婚するだろう?」と悪びれもなく言った。口先だけの言葉だったのだ。
それからというもの、彼はことごとく「結婚しよう」と言った。誰かの結婚式に参加したとき、彼の両親や親戚にせっつかれたとき、友人に恋人ができたとき、さみしくなったとき……。
極め付きがこれだった。
「俺のことを愛していないのか?」
愛しているならできるはず、愛しているなら許してくれるはず。
これは彼の友人の入れ知恵だろう。こうやって愛情を試されるのもあまりいい気分ではなかった。
彼はいつも幼馴染だという四人組でよく飲んでいるのだが、その内の一人が結婚をしたのだ。親しい人間が結婚したのだから、今回は尚更情熱的になっている。こうなると厄介だった。
昔は彼の言葉に一喜一憂していたのに、ただうんざりするばかりだった。今ではクロエの方が、"結婚が全てではない"という気持ちになっていた。
彼は本当に流されやすい。クロエはその流れについていくのに疲れてしまっていた。
「愛してるわ、もちろん……」
これだけ言っても、まだウェスは不満そうな表情を浮かべている。数え切れないほどのプロポーズの言葉に、いちいち感動なんてしていられない。それを、彼はわかっていないのだ。
いつか結婚をするなら、相手は彼以外考えられない。八年も一緒にいたのだから、それなりに二人で苦難を乗り越えてきた。相性だって悪くない。笑うタイミングも、食事の好みだってバッチリだ。良いことも悪いことも、二人で分かち合ってきた。
だが、口先ばかりで流されやすい彼に、最近ふと疑問に思うことがあるのだ。
ーー私は、本当に彼と幸せになれるの?
クロエ・マリンは気付かれないように小さく溜息を吐いた。
「だからさ、クロエ。結婚しよう」
熱っぽく見つめる彼は、クロエの恋人であるウェス・ジェームズだ。彼との交際期間はもうすぐ八年になる。
この台詞を聞いたのが初めてだったら、すぐに舞い上がっていたことだろう。それからすぐに"喜んで"と返事をしたと思う。
「ええ、そうね」
曖昧に笑うクロエに、ウェスは不満そうな表情を浮かべている。
「エイダンの奴、すごく幸せそうだったよ。奥さんと二人でこのまま田舎に引っ越すんだってさ。いいよな、自給自足で暮らしていくのも」
先月は田舎暮らしなんてまっぴら、華やかな町で暮らしたい、だなんて言っていたくせに。
エイダン・フォードはウェスの幼馴染だ。実家が田舎の方だという奥さんの為に、町を出て彼女の家業を手伝うとのことだった。エイダンは男爵家の五男で、特に周囲の反対もなく、すんなりと決まったことだったらしい。
ウェスによると、美人で料理上手な奥さんだという話だ。
さぞ惚気話をたくさん聞いてきたに違いない。クロエは他人の惚気話を聞くことが好きなので、本当はもっと話を聞いてみたいという気持ちがあった。だが、これから先に待ち受けることを思うと、話をすぐに切り上げた方が良さそうだ。クロエはそう判断した。
「本当、幸せそうね。おめでとう」
誤魔化すようにウェスの頬を両手で包んでキスをする。ウェスはその手をしっかりと掴んで離さない。真っ直ぐに目を見て、拗ねるように問い掛ける。
「クロエ、君は俺の何が不満なんだ?」
ウェスの目は真剣そのものだった。
「私は貴方になんの不満もないわ」
不満なんてひとつもない。だが、クロエにはもうわかっているのだ。
明日の今頃、彼はこの話をすっかり忘れている。
これまで八年間、結婚に関する話題は何度も出ていた。
最初の頃はクロエの方が乗り気だったのだ。いずれカントリーハウスを仕切ることになる彼を支えようと尽くしていた。
『女は気楽でいい。美しくいれば簡単に幸せになれる』
自分と付き合うことは幸せなことなのだと、クロエに自慢げに何度も言って聞かせていた。ブランディーユ国では名の知れた伯爵家の長男であるウェスは、いつも自信に満ち溢れていた。がっしりとした体格に、万人受けするような整った容姿、いつも高級そうな物を身に着けて、金持ちであることを隠そうともしない。
クロエは今まで出会ったタイプとは正反対の彼に戸惑い、最初は交際を断っていた。だが、何度も情熱的に愛の言葉を贈ってくれた彼に根負けしたという形で交際をはじめた。
真っ直ぐに愛を語る彼は優しくて、クロエのことを一途に愛してくれる。ユーモアがあって朗らかな彼を、クロエはすぐに愛おしく思った。
そろそろ結婚の話を……と思った頃だった。彼の友人の一人が、『結婚はしない宣言』をしたらしいのだ。その理由に激しく同意した彼は、きっぱりとクロエに言ったのだ。
『結婚が全てではない、俺は結婚なんてしない』
その夜、クロエは少しだけ泣いた。だが、翌日にはケロッと結婚の素晴らしさについて語り始めた。
『結婚しよう、クロエ』
涙ながらに頷いたクロエだったが、指輪もない、クロエの両親に正式な挨拶をしたこともない。
ーーそう、一向に進展がないのだ。
あのプロポーズは何だったのか、と問うと、「だって、いずれは俺たち結婚するだろう?」と悪びれもなく言った。口先だけの言葉だったのだ。
それからというもの、彼はことごとく「結婚しよう」と言った。誰かの結婚式に参加したとき、彼の両親や親戚にせっつかれたとき、友人に恋人ができたとき、さみしくなったとき……。
極め付きがこれだった。
「俺のことを愛していないのか?」
愛しているならできるはず、愛しているなら許してくれるはず。
これは彼の友人の入れ知恵だろう。こうやって愛情を試されるのもあまりいい気分ではなかった。
彼はいつも幼馴染だという四人組でよく飲んでいるのだが、その内の一人が結婚をしたのだ。親しい人間が結婚したのだから、今回は尚更情熱的になっている。こうなると厄介だった。
昔は彼の言葉に一喜一憂していたのに、ただうんざりするばかりだった。今ではクロエの方が、"結婚が全てではない"という気持ちになっていた。
彼は本当に流されやすい。クロエはその流れについていくのに疲れてしまっていた。
「愛してるわ、もちろん……」
これだけ言っても、まだウェスは不満そうな表情を浮かべている。数え切れないほどのプロポーズの言葉に、いちいち感動なんてしていられない。それを、彼はわかっていないのだ。
いつか結婚をするなら、相手は彼以外考えられない。八年も一緒にいたのだから、それなりに二人で苦難を乗り越えてきた。相性だって悪くない。笑うタイミングも、食事の好みだってバッチリだ。良いことも悪いことも、二人で分かち合ってきた。
だが、口先ばかりで流されやすい彼に、最近ふと疑問に思うことがあるのだ。
ーー私は、本当に彼と幸せになれるの?
0
お気に入りに追加
190
あなたにおすすめの小説
悪女の私を愛さないと言ったのはあなたでしょう?今さら口説かれても困るので、さっさと離縁して頂けますか?
輝く魔法
恋愛
システィーナ・エヴァンスは王太子のキース・ジルベルトの婚約者として日々王妃教育に勤しみ努力していた。だがある日、妹のリリーナに嵌められ身に覚えの無い罪で婚約破棄を申し込まれる。だが、あまりにも無能な王太子のおかげで(?)冤罪は晴れ、正式に婚約も破棄される。そんな時隣国の皇太子、ユージン・ステライトから縁談が申し込まれる。もしかしたら彼に愛されるかもしれないー。そんな淡い期待を抱いて嫁いだが、ユージンもシスティーナの悪い噂を信じているようでー?
「今さら口説かれても困るんですけど…。」
後半はがっつり口説いてくる皇太子ですが結ばれません⭐︎でも一応恋愛要素はあります!ざまぁメインのラブコメって感じかなぁ。そういうのはちょっと…とか嫌だなって人はブラウザバックをお願いします(o^^o)更新も遅めかもなので続きが気になるって方は気長に待っててください。なお、これが初作品ですエヘヘ(о´∀`о)
優しい感想待ってます♪
悪役令嬢とバレて、仕方ないから本性をむき出す
岡暁舟
恋愛
第一王子に嫁ぐことが決まってから、一年間必死に修行したのだが、どうやら王子は全てを見破っていたようだ。婚約はしないと言われてしまった公爵令嬢ビッキーは、本性をむき出しにし始めた……。
婚約者は迷いの森に私を捨てました
天宮有
恋愛
侯爵令息のダウロスは、婚約者の私ルカを迷いの森に同行させる。
ダウロスは「ミテラを好きになったから、お前が邪魔だ」と言い森から去っていた。
迷いの森から出られない私の元に、公爵令息のリオンが現れ助けてくれる。
力になると言ってくれたから――ダウロスを、必ず後悔させてみせます。
言いたいことは、それだけかしら?
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【彼のもう一つの顔を知るのは、婚約者であるこの私だけ……】
ある日突然、幼馴染でもあり婚約者の彼が訪ねて来た。そして「すまない、婚約解消してもらえないか?」と告げてきた。理由を聞いて納得したものの、どうにも気持ちが収まらない。そこで、私はある行動に出ることにした。私だけが知っている、彼の本性を暴くため――
* 短編です。あっさり終わります
* 他サイトでも投稿中
【完結】婚約破棄からの絆
岡崎 剛柔
恋愛
アデリーナ=ヴァレンティーナ公爵令嬢は、王太子アルベールとの婚約者だった。
しかし、彼女には王太子の傍にはいつも可愛がる従妹のリリアがいた。
アデリーナは王太子との絆を深める一方で、従妹リリアとも強い絆を築いていた。
ある日、アデリーナは王太子から呼び出され、彼から婚約破棄を告げられる。
彼の隣にはリリアがおり、次の婚約者はリリアになると言われる。
驚きと絶望に包まれながらも、アデリーナは微笑みを絶やさずに二人の幸せを願い、従者とともに部屋を後にする。
しかし、アデリーナは勘当されるのではないか、他の貴族の後妻にされるのではないかと不安に駆られる。
婚約破棄の話は進まず、代わりに王太子から再び呼び出される。
彼との再会で、アデリーナは彼の真意を知る。
アデリーナの心は揺れ動く中、リリアが彼女を支える存在として姿を現す。
彼女の勇気と言葉に励まされ、アデリーナは再び自らの意志を取り戻し、立ち上がる覚悟を固める。
そして――。
あなたは愛を誓えますか?
縁 遊
恋愛
婚約者と結婚する未来を疑ったことなんて今まで無かった。
だけど、結婚式当日まで私と会話しようとしない婚約者に神様の前で愛は誓えないと思ってしまったのです。
皆さんはこんな感じでも結婚されているんでしょうか?
でも、実は婚約者にも愛を囁けない理由があったのです。
これはすれ違い愛の物語です。
捨てられたなら 〜婚約破棄された私に出来ること〜
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
長年の婚約者だった王太子殿下から婚約破棄を言い渡されたクリスティン。
彼女は婚約破棄を受け入れ、周りも処理に動き出します。
さて、どうなりますでしょうか……
別作品のボツネタ救済です(ヒロインの名前と設定のみ)。
突然のポイント数増加に驚いています。HOTランキングですか?
自分には縁のないものだと思っていたのでびっくりしました。
私の拙い作品をたくさんの方に読んでいただけて嬉しいです。
それに伴い、たくさんの方から感想をいただくようになりました。
ありがとうございます。
様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。
ただ、皆様に楽しんでいただけたらと思いますので、中にはいただいたコメントを非公開とさせていただく場合がございます。
申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。
もちろん、私は全て読ませていただきますし、削除はいたしません。
7/16 最終部がわかりにくいとのご指摘をいただき、訂正しました。
※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる