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4.支度

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「おい、支度は出来たか? 」

 容赦なく扉を叩く音がする。まったくロイドときたら……昔から意外とせっかちなのよね。

「待ってよ……まあいいわ、入って」

「なんだお前……まだ着替えの途中じゃないか」

 慌てて部屋を出て行こうとするロイドを、慌てて引き止めた。

「待って待って……ねえ、後ろのリボン結んでよ」

「ああ、もう……!」

 ぱっくりと開いた背中を向けると、ロイドは狼狽えていた。半分ずつ交互に目を閉じながら、あたふたとリボンを結んでくれているけど、何も今更照れることはないのに。

「このドレス可愛いわね、もしかしてロイドが選んでくれたの?」

「まさか、依頼主が贈ってくれたんだよ」

 真夏の海のような深い青色のドレスに、水色の糸で細やかなツタの刺繍が施されている。背中が大きく開いていて、それを水色の大きなリボンで結ぶのは今流行のデザインだ。同じ色の靴は所々がシルバーで細工されていて星が輝いてるようにも見える。

 伊達にスプリング家の使用人をやっていない。ローラ様は流行り物が大好きだったし、私も憧れていた。

「……でも、これは俺から」

 ロイドがさっと、首にかけてくれたのは真珠の首飾りだった。

「まあ、これ……本物?」

「当たり前だろ。盗んだものでもない」

「ありがとう」

 開いた胸元が華やかになった。顔色をぱっと輝かせてもくれる。

「久しぶりの大仕事だからな、二人の記念に」

「ロイド……」

 ロイドはふっと微笑んだ。柔らかそうな栗色の髪に、同じ色の柔らかい瞳。この日の為に彼もきちんとした正装だった。胸元には、以前私が贈った猫の仮面のブローチがついていた。それがミスマッチでもあるが、可愛らしいアクセントにもなっている。
 顔立ちが整っているから、こうして黙っていると品の良い好青年に見える。

「と、いうのは冗談。依頼主からのアドバイスでな、もし渋ったらこれで気を引けって」

 そんなに渋らないだろうと思ったけど、と楽しそうに笑っている。

「何よ……もう」

「報酬の前払いだよ、お嬢さん」

 だから、今まで上手くやってこれたのよね。

 彼は依頼を遂行する腕もいいが、それよりもこの容姿と甘い言葉で女性も男性も味方につけてしまう。

「でも素敵ね、本当に。ちゃんと良いところのお嬢さんに見える? 髪は上げた方がいい?」

 顔を鏡に左右に写す。化粧は上手くいっていると思う。今日の為に昨夜しっかりと睡眠を取ったから、肌ツヤも抜群にいい。

「下ろしていた方がいい。その方が美人だ……うん、似合ってる」

 ロイドは真剣な表情で頷いた。

「ありがとう。でも、本当に大丈夫? 平民の小娘だと気付かれてしまったせいで処刑、なんてことないでしょうね?」

 一番恐ろしいのはそれだ。第一、同じサマー姓だがアリシアなんて女性は知らないし、どんなに遡っても、どんなに遠くても、そんな親戚はいない。
 第一、彼女が何故亡くなったのかもまだ聞かされていない。

「それは大丈夫、依頼主がどうにかしてくれるよ。それにこの国はサマー姓が多いから、怪しまれることもないだろう」

「……その依頼主のこと、信用出来るの? 」

「まぁな、古い付き合いだから。……それより問題なのは他のご令嬢たちだよ」

「そう? 喧嘩なら負けないと思うわ」

 お金の為なら何でもする。

 それを諌めるように、ロイドは後ろから優しく肩に手を置いた。

「彼女たちはライバルを蹴落とすためならなんでもする。一人欠員が出たのもそういうことだ。ジゼルに限ったことではないが、参加者は全員命懸け……大丈夫か?」

 ロイドは鏡越しにしっかりと視線を合わせてくる。私が怖がっていないのか、心配してくれている。

「ええ、もちろんよ。今更後には引けないわ」

「本当は従者を連れていけないというルールがあるんだが、お前は特別に許可されている。病弱で繊細だから、特別に」

「私が病弱……?」

「という設定。だから、あまり暴れ回られては困るかな」

 とんだ設定にしてくれたものだ。

「だから安心しろ、俺がしっかり守ってやる。終わったらスプリングさんに金を渡して、二人で美味いものを食いに行こう。どこでもいい、俺が連れて行ってやる」

 ジゼルは静かに立ち上がった。自然に背筋が伸びる。

「ええ、そうね。それに、もしかしたら王子様のハートも射抜いてしまうかもしれないわ」

 冗談だろ、とロイドは肩をすくめ、ジゼルにそっと手を差し出した。

「それでは、参りましょうか。ジゼルお嬢様」
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