上 下
10 / 28

10.二人は友だち?

しおりを挟む

 リチャードが隣の女性に声を掛けられている隙に、シェリーはそっと舞踏室から抜け出した。

 ずっと踊り続けてくたくただった。近くの令嬢たちと同じように足を曲げたり伸ばしたりしながら長椅子に腰掛けていると、アランが冷えたレモネードを手にやって来た。

「シェリー、良かったら一緒に休まない?」

「アラン……! さっきはごめんね。リチャード、誰かと間違えていたみたいで……」

「いいんだよ、人が大勢いるからね」

 どんな女の子かと期待して振り返った先に、誰もいなかったあの瞬間を思い出すと、実は腹が立って仕方がない。だが、アランは精一杯のふんわりとした笑顔を作って見せた。
 
「ところでリチャードは?」

「さっきまでそこにいたんだけど……」

 彼女が指差す方向に、リチャードの姿はない。辺りを見回しても、それらしき姿はなかった。

 胸元を大きく開けた女性はどうやら熱心にリチャードを誘っているようだった。

(何かしら、このざわざわした感じ……)

 上手く言葉にできないが、あの女性といるリチャードを見た時にすごく嫌な気持ちになった。

 シェリーはその嫌な気持ちを振り払うように、アランから受け取ったレモネードを一口啜った。蜂蜜の甘い香りと、レモンの皮のほのかな苦味で頭がすっきりする。そこの方は少し凍ってシャーベット状になっていた。

「これ、すごく美味しいわね」

 シェリーは後からくる酸っぱさにきゅっと顔を顰めた。それを見たアランも同じような顔をして頷いた。

「シェリーはそれ好きだと思った。林檎ジュースと迷ったんだよ」

「好き、ありがとう」

 そうシェリーが答えると、アランも嬉しそうに笑った。

 シェリーの好きなものなら何でも知っているつもりだ、嫌いなものも、全部。

「ところで、いいお相手は見つかりそう?」

 この社交界シーズン中に結婚相手を探そうとリチャードが張り切っている……シェリはそのことを思い出してまた少し憂鬱な気持ちになった。

「ダンスに夢中でそれどころじゃなかったわ。やっぱりね、貴方が上手だったから上手く踊れたのよ。さっきの方は大丈夫だったかしら、脛に痣が出来ていないといいけど……」

 シェリーに蹴られた脛を摩りながら、その場に倒れ込んでしまった青年のことを思い出すと、また気の毒に思えた。

「アランはどうだった? 女の子たちの方が貴方を放っておかないんじゃない?」
 
「そんなことないよ。……そうだ、少し夜風に当たらない? そこのテラスならリチャードにも叱られないよ」

 舞踏室のテラスはグレーゾーンだ。人目を避けることはできるけれど、完全に二人きりになる訳でない。最初にこのルールを作った人とは天才だと、アランは感謝した。

「ええ、そうね」

 シェリーの手をとり、共犯者めいた笑みを浮かべてテラスへと向かう。

「風が気持ちいいわ、星も綺麗ね」
 
 月明かりのない夜空に、無数の星が散らばっている。遠く聞こえる室内の音楽が、余計にこの密やかで甘美なムードを盛り上げていた。

 シェリーの頬はほのかに上気していた。少し潤んだ瞳に、赤く濡れたような唇。丁寧に纏めた髪が僅かに乱れ、白い頸に掛かっていた。

 社交界デビューすれば、当然多くの人と関わることになるだろう。そうすれば、自分だけのシェリーではなくなってしまう。

 シェリーは魅力的な女性だ、そして彼女の内面の優しさを知れば尚のこと、世の男性が放っておくはずがない。

(他の誰かに奪われてしまう前に、それは今しかない)

 アランはとうとう、覚悟を決めた。

「……シェリー、僕じゃだめかな」

 シェリーはきょとんとした表情でアランを見つめている。

「君の結婚相手に、僕は相応しくないかな?」

 シェリーも手にそっと触れる。

「アラン、あの……」

 シェリーは突然のことに戸惑っていた。アランが何を言い出したのか、瞬時に理解することが出来ずにいた。何か答えなくてはいけないとわかっているのに、上手く言葉が出てこない。

 冗談よね、と口には出せないが、頭の中では何度も思っていた。

 アランはいつになく真剣な眼差しでシェリーを見つめている。目を逸らすことも答えになってしまいそうで、シェリーも真っ直ぐに見つめ返した。彼を傷付けることはしたくない。
 
ーー私たちはずっと友だちだった、はずなのに。

「君を愛してる」

 二人の関係は、今夜はっきりと変わってしまった。

 アランのことは大好きで愛しているけれど、それはナタリーのことを思う気持ちと同じだった。それが彼の求めている"愛している"という言葉の重さとは違うことも、シェリーは理解している。

「返事は待つよ。……でも、あんまり長くは待てないかも。君の気持ちを早く知りたい」

 アランは固まったまま動けないシェリーの頬に優しく触れると、唇に触れるか触れないかほどの場所にそっとキスをした。

 隣では若い男女が体をぴったりと寄せ合って、遠く聞こえる音楽に合わせて体を揺らしている。

 残されたシェリーは一人、その場にただ立ち尽くすばかりだった。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

会うたびに、貴方が嫌いになる

黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
長身の王女レオーネは、侯爵家令息のアリエスに会うたびに惹かれた。だが、守り役に徹している彼が応えてくれたことはない。彼女が聖獣の力を持つために発情期を迎えた時も、身体を差し出して鎮めてくれこそしたが、その後も変わらず塩対応だ。悩むレオーネは、彼が自分とは正反対の可愛らしい令嬢と親しくしているのを目撃してしまう。優しく笑いかけ、「小さい方が良い」と褒めているのも聞いた。失恋という現実を受け入れるしかなかったレオーネは、二人の妨げになるまいと決意した。 アリエスは嫌そうに自分を遠ざけ始めたレオーネに、動揺を隠せなくなった。彼女が演技などではなく、本気でそう思っていると分かったからだ。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

好きだった人 〜二度目の恋は本物か〜

ぐう
恋愛
アンジェラ編 幼い頃から大好だった。彼も優しく会いに来てくれていたけれど… 彼が選んだのは噂の王女様だった。 初恋とさよならしたアンジェラ、失恋したはずがいつのまにか… ミラ編 婚約者とその恋人に陥れられて婚約破棄されたミラ。冤罪で全て捨てたはずのミラ。意外なところからいつのまにか… ミラ編の方がアンジェラ編より過去から始まります。登場人物はリンクしています。 小説家になろうに投稿していたミラ編の分岐部分を改稿したものを投稿します。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

処理中です...