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1.プロローグ
しおりを挟む整えられた芝生はいい香りがする。庭では自慢の薔薇が満開に咲いていた。遠くの方で子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる。
美味しい紅茶、クッキー、のんびりと楽しいおしゃべり。理想的な暮らしがここにはある。リーゼ・ブレアムはそう遠くはない未来の生活を想像して、頬を緩ませた。
すれ違う人はみんな彼女の美貌を讃え、恭しく挨拶をする。どうやら歓迎されているようだ。
初顔合わせ、という名目が隠れたガーデンパーティーは想像以上に首尾良く進み、大成功だったと思う。
きゃっ、と小さな悲鳴と共に、近くのテーブルの足に何かがぶつかった。その所為でテーブルが大きく揺れ、載せられた紅茶のカップがガシャンと溢れた。
「あら……」
すっかり生温くなった紅茶は、リーゼのドレスに大きな染みを作った。持っていたハンカチで汚れた箇所を叩いて汚れを落とそうとすると、足元にボールが転がっているのが見えた。
「ああ、リーゼ様……申し訳ありません」
夫人の顔がみるみる青ざめる。未来の公爵夫人、という噂を聞いていたらしい。
「私の方こそごめんなさい。……貴方のドレスは大丈夫かしら?」
もしかしたら跳ねが上がったかもしれない。そう思ったが、ぱっと見るだけではどうやら大丈夫そうだ。
リーゼはほっと胸を撫で下ろした。その後ろで小さな子どもが震えていた。母親のただならぬ様子に怯えを感じ取ってしまったようだ。
「ごめんなさい……」
母のスカートを握り締めながら、小さく震える声で言った。母親に良く似た色の瞳を潤ませている。
「私は大丈夫よ、ちゃんと謝れて偉いね」
足元の転がったボールを優しく手渡すと、ようやく子どもがはにかんだように笑った。
「ありがとう」
夫人は落ち着きを取り戻しながらも、まだ青ざめた顔をしていた。
「リーゼ様、本当に申し訳ありません。あの……弁償致します」
「いいんです、私もボーっとしていたから。あのぐらい、本当ならさっと避けられなくちゃいけないわ」
そう言って笑うと、夫人はようやく笑ってくれた。それじゃあ、とその場をゆっくり離れる。
弁償してもらおうとは思っていないが、さすがに大きな染みを作ったままではいられない。侍女のペリを探そうと、リーゼは城の中に戻ることにした。確か飲み物の支度を手伝うと言っていたからだ。
「ペリー?」
広い城の中はひんやりとしていて人の気配がない。ほとんどの使用人も外にいるわけだから当然だが、あまりの静けさにリーゼは薄寒さを感じていた。
「……なるほど……は、…………」
微かに人の声がする。入り口のすぐ横にある重厚な扉が僅かに開いている。男性が二人、小さな声で密談しているようだった。
リーゼ、と自分の名前が聞こえたような気がした。それに、二人にうちの一人の男性の声が婚約者によく似ているようだった。
リーゼは忍び足で扉に近付くと、二人の会話に耳をそば立てた。
「……ただの成り上がり令嬢じゃないか」
ゾッとするほどの冷たい声だった。
「ですが、レーヴ国の、それもブレアム家の御令嬢であれば申し分はありません」
納得させるように話しているのは、恐らく彼にぴったりと付き従っていた男だ。
「……理想の女とはほど遠い。もう少し華やかな女性かと思っていたが、少々地味ではないか?」
「しかし……」
「ああ、婚約は破棄してしまうおうか」
「エリオット様……」
「なに、冗談だ。リドリー家として、父もこの結婚を望んでいた。それに、どうせ後には引けないさ」
二人は声を上げて笑っていた。扉の向こうにリーゼがいることも知らずに。
リーゼは震える手を押さえて、荒くなる呼吸を必死に押さえた。
ーーさっきまで、あんなに楽しく話をしていたのに。
初めて会ったとは思えない、彼は上品に笑って私の手にキスをした。
"私の婚約者だよ"
嬉しそうに周囲の人間に話してくれていたのに。
後に引けないのは、リーゼだって同じことだ。
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