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第2章

ページ13 差し入れ

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 ゴールデンウィークもいよいよ最終日に突入して、俺は原稿の進捗状況を確かめる。

 執筆はおおむね順調だった。

 これなら、今日一日くらいはのんびりしてもいいのかもしれない。

 渚さんとのデートの後、家に帰ったら、琴葉はベッドの上でふんぞり返っていた。

 パジャマじゃなかったから、着替えていたのだろう。

 お土産に遊園地限定のストラップを渡そうとしたら、正座させられた。

 その後1時間、琴葉は足でぐいぐいと俺の頭を踏んでいた。

 渚さんとのことを思い出して顔が締まらなかったのが余計に琴葉を刺激したせいか、が時々顔面に当たったりする。

 ご褒美のようなお仕置きであった。



 おびただしい足音。

 琴葉か。

 そう言えば、ゴールデンウィークの初日に琴葉に悪いことをしたな。

 償いじゃないけど、今日は琴葉に付き合ってどっかに遊びに行ったりしてもいいかもね。

「雅先輩!」

 ドアを勢いよく開けられて、そこには1人の美少女が立っていた。

「おはようございます!」

 こめかみを抑えて、状況整理をする。

 なぜ楪ちゃんは俺の家の場所を知っているんだ。

 そして、なぜお母さんは俺になんも言わずにそのまま楪ちゃんを部屋に通したんだろう。

「挨拶の前に、答えて欲しいことがある」

「……答えられることなら、答えます」

 なぜか楪ちゃんはもじもじしだした。

「楪ちゃんはなんで俺の住所を知っていて、そして俺の部屋まで直行出来たのを50文字以内に説明してください」

「国語のテストですか!?」

「では、お願いします」

「えっと、住所は琴葉先輩に聞いたんです。先輩が執筆に励んでいると聞いて差し入れしに来ました。お母さんにそう伝えたら、喜んで先輩の部屋の場所を教えてくれました。あっ、これって50文字以内に収まってるんですか?」

 えっ? ごめん。数えてないんだけど。

 冗談で言ったつもりなのに、楪ちゃんってもしかしてすごい真面目なのか。

 楪ちゃんに迫られた記憶しかないから、イメージとかなりの齟齬そごが生じて、困惑する。

 でも、一つだけ分かったことがある。うちの母さんにファイアウォールの役割は期待できなさそうだ。

「ごめん、数えてなかった」

 素直にぶちまけた。

「えっ! 先輩が50文字以内にって! 私頑張ってまとめたのに……」

「まあまあ、どうせ超えてるでしょう」

「先輩って酷いです! 私のことは遊びだったのですか?」

「人聞き悪いよ! 冗談だよ、冗談」

「腑に落ちないです」

 楪ちゃんが難しい言葉を使うのに、多少の違和感を感じる。

「あっ、いま先輩楪のことばかな子だって思ってるんでしょう!」

 ギクッ。

 エスパーかなにかかな、楪ちゃんは。

「そ、そんなことないよ?」

「先輩の顔にそう書いてました」

「気のせいじゃないかな?」

「そうですか? それならいいですけど」

 楪ちゃんは宣言通り、腑に落ちない顔をしているが、この際は気にしないことにしよう。

「一つ聞いても良いかな」

「なんですか、先輩」

「楪ちゃんは琴葉となんかの勝負をしていて、ライバルなんだよね」

「その勝負の内容は先輩なんですけどね……」

「うん?」

「あっ、なんでもないです」

「琴葉の性格を考えて、ライバルの楪ちゃんに俺の家の住所を教えるのはちょっと考えにくいんだけど」

 楪ちゃんはブツブツなにか呟いてたけど、本人はなんでもないって言うなら気にすることもないだろう。

「電話で琴葉先輩に『ほんとは雅先輩の家知らないんでしょう?』って言ったら、全部話してくれましたよ? 先輩の作品が書籍化して、ゴールデンウィークに執筆を頑張っていたことも含めて」

 琴葉、ちょろい……

 名状しがたい感情が込み上げてくる。

 自分の幼なじみがそこまでちょろいと自分もいたたまれなくなる。

 2人の電話の内容は知らないが、今の状況を作り上げたのは間違いなく琴葉のチョロさだ。

 楪ちゃんは悪くない。多分。

「ところで、差し入れって?」

「先輩、何言ってるんですか?」

 俺って変なこと言ったかな。

 確かに自分から聞くのは図々しいかもしれない。

 でも、明らかに楪ちゃんは手ぶらだし、差し入れの「さ」の字もない。

 「差し入れがあるなら早く出せ」という意味じゃなくて、「差し入れに来たのになんでなにも持ってないの?」という疑問から口が開いたのだが。

「差し入れは楪だよ?」

「え?」

「えぇっ!!」

 華奢な体からは想像できないような腕力によって、俺は楪ちゃんにベッドの上に押し倒された。

「ゆ、楪ちゃん、なにしてるのかな」

「……分かんないんですか?」

 分からない。分かりたくもない。

 ベッドの上で男女2人きり。

 これが何を意味しているのか知ってはいるが、理解はしたくない。

 いつもの制服姿と違って、今日の楪ちゃんは私服。

 可愛いリボンの付いてるピンク色のシャツにふわふわなスカート。

 理性を持っていかれそうな可愛さ。

「楪ちゃん、一旦落ち着こう? ねえ?」

「今度は逃げられませんね」

「はい?」

「今は先輩の部屋だし、誰も来ませんから」

「お母さん!!」

「無駄ですよ? お母さんは楪が来たら、来客用の茶菓子を買いに行きました」

「それならまだあるはずだよ!」

「楪ちゃんが上目遣いでチーズケーキ食べたいな~ って言ったら買いに行ってくれました」

 うちの母さん、ちょろい! ちょろすぎる!

 にしても、楪ちゃんはほんとに侮れないな。

 そうこう考えているうちに、胸のところに違和感を覚えた。

「その、楪ちゃん当たってる……」

「当ててるんです!」

 楪ちゃんの胸はどちらかと言うと琴葉と白雪さん程じゃないが、それなりにボリュームのあるものだった。

 ちなみに、渚さんはそのひょろりと引き締まった体つきからは想像もできないほどの豊満なものを持っている。

「な、なんでそんなに俺にこだわるのかな」

 情けない。

 腕力じゃ負けていないはずなのに、男のさがゆえに俺は楪ちゃんを振りほどけずにいる。

 なので、言葉で退かせるしかなかった。

「一目惚れでした! 文芸部に入部したのも雅先輩がいたからです!」

「俺のどこがいいんだよ!」

 このピンチから脱するために発せられた言葉ではあるものの、俺は若干悲しくなった。

 実際、俺は自分のいいところを知らない。

「一目惚れに理由なんてありません」

 確かに、一目惚れに根拠などないのだ。

 えりこがデビューした当初、まだ今ほど人気のなかった時、俺はテレビに映ってる彼女に憧れてしまった。

 それは一目惚れとは別のものなんだろうが、元を辿れば一緒かもしれない。

 そこに理由なんてなかった。

 ただ、彼女が眩しく見えた。

 強いて理由を挙げると、それだけだった。

「いい加減に諦めてくださいよ! 先輩」

「……諦めるってなにを?」

 答えは薄々気づいていた。

 でも、それは俺の思い違いかもしれない。

 だから、俺は恐る恐る楪ちゃんに確認した。

「先輩の純潔です」

 やはり……

 普通、こういうのって逆じゃないかな。

 男が女にいうセリフじゃないかな。

 一般常識は俺をおいてけぼりにして勝手に進化しているのだろうか。

「そういうのは女の子がいうことじゃないよ」

 いや、俺は間違っていない。

 この子が積極的すぎるだけなはずだ。

「いいじゃないですか? 減るものじゃありませんし。どちらかというと楪の方が減っちゃいます」

 理解不能だ。

 減るってなにが。

 混乱する俺をよそに、楪ちゃんは上半身を起こして、俺の上に馬乗りになり、シャツのボタンを外し始めた。

 楪ちゃんのリボンがほろりと俺の胸の上に落ちて、首に付けている10円玉がまっすぐにぶら下がった。

 差し入れが自分だなんて、楪ちゃんらしいな。

「なんで俺の純潔を奪えると思ってるの?」

 最後の抵抗をしてみた。

「先輩って童貞なんでしょう?」

「違うって言ったら?」

「え?」

 楪ちゃんの顔から動揺と戸惑いの色が窺える。

 俺の勝ちだ。

 見栄を張って、それが俺自身にもダメージを与えているが、予想以上に楪ちゃんを牽制できたようだ。

「……琴葉先輩とですか?」

「違う! 琴葉とはそんな関係じゃない」

「じゃ、白雪先輩!?」

「何考えてるんだよ! 俺と白雪さんはただの友達だから」

「じゃ、誰ですか……」

「……」

 口は災いの元。

 何も言わなければ、嘘だってバレることも無い。

 後になって、見栄を張ったことで悶絶することになるだろうが、今はこのピンチから脱せられればいいんだ。

「……上書きしてあげます」

「え?」

 そう言って、楪ちゃんは俺の上着をたくしあげて、ゆっくり俺の肌を手で直接なぞった。

 ぞくぞくするような感触。

「すべすべ……」

 楪ちゃんはうっとりした目で俺を見つめている。

 もはや、止まらない。最後の切り札をも使ったというのに。

 誰か、助けて……

 俺はただ祈るしかなかった。

「何してるのよ!?」

「……こ、琴葉」

「琴葉先輩!?」

 よかった。

 助かった。

 にしても、うちのセキュリティがガバガバなのは今になって少し気になった。
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