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第二章

第十二話 夢咲結月との過去

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 俺は勇気を出して、夢咲結月を校舎裏に呼び出した。

 ほかにも告白する場所はあったと思うけど、恋愛初心者の俺にはここしか思いつかなかった。

 そして、練りに練ったセリフを言おうとした。

「あの……初めて……」

 なぜかうまくいかない。昨日はすごく練習したのに。

「落ち着いて、秋月くん、ゆっくりでいいよ」

「俺の名前を覚えててくれたんだ……」

「クラスメイトの名前は覚えるでしょう。おかしな人~」

 彼女は少し笑った。名前を覚えててくれたことが俺を勇気づけた。

「好きです! 付き合ってください!」

「はい」

 とっさに考えていたセリフと違う言葉が出た。

「えっ? 今なんて?」

「はいって言ったよ」

 まさか彼女の口からはいが出ると思わなかった。きっと振られるものかとばかり思っていた。

「これからよろしくね、秋月くん」




 俺と夢咲結月の交際が始まった。俺は今までの人生で一番幸せな気持ちになった。二年越しの恋が実るなんて夢にも思わなかった。

「秋月くんの『月』と私の結月の『月』は一緒だね」

 彼女の言葉で俺は泣きそうになった。恋人との共通点ってこんなに幸せなものなんだと実感した。しかも彼女がこの共通点を見つけてくれた。

 彼女に見合うための男になりたいって、俺は必死に勉強した。成績も上がって、はるととれんがびっくりした。芽依もなぜか前より優しくなった。なにもかもうまくいっているように見えた。




 ある日、彼女が切り出した。

「百円をもらえないかな」

 たかが百円だから、俺は簡単に財布を取り出して、彼女に渡した。

 それから、俺らの関係が少しずつ変化していった。

 彼女は毎日俺に金を要求してきた。最初は100円、500円、そして1,000円に変わっていった。

「こんなの絶対おかしいって」

「そうだよ、いくら彼氏でも毎日金をあげるのは違うと思う」

「……」

 はるととれんに言われなくても、分かっている。でも彼女を信じたいんだ。きっと彼女にはなんかの事情があったんだ。

 でも、彼女は変わった。
 
 遊園地に行って俺が体調崩しても、彼女は携帯を弄っているだけだった。

 ほかの男子が2,000円出してくれたら、彼女はその男子についていった。

 俺が彼女を好きな男子に殴られても、彼女は傍観していた。

 そして、電話越しに聞こえてくるいやらしい男の声。

 それでも、信じたいと思った。彼女は新入生代表で、昔すれ違ったときも笑顔で会釈してくれた。俺との共通点を見つけて子供のように喜んだ。だから、きっと事情があるはずなんだ。俺は毎日自分にそう言い聞かせていた。

「はると、れん、金貸してくれないか」

「……」

「ほらよ」

 はるととれんは嫌な顔をせずに俺に金を貸してくれた。

 でも、たかが中学生。俺ら3人のお小遣いをもってしても彼女の要求に応えることができなかった。

 芽依は泣いた。俺が彼女のことで苦しんでいるのを見て、芽依も辛かった。

「もう別れようよ、夢咲さんと……」

「俺は彼女を信じているんだ。きっと事情があるはずだ」

 芽依に答えるというより、自分に言い聞かせているに近かった。




 そして、その日がやってきた。

「秋月くん、私たち別れよう」

「なんで? もう金が払えないから? ちょっと待ってよ、来月になったらまたお小遣いがもらえるから、はるととれんだって来月になったら……」

「もういいんだ、別れよう」

 俺自身でも「払う」という言葉を使ったのが驚きだった。俺はいつの間にか彼女を雇っている気持ちになっていたんだ。

 俺の抵抗を許さずに、彼女はそう言って、俺の前から去っていった。はるととれんへの借金以外なにも残らなかった。

 家に帰ると、俺は母ちゃんの膝の上で泣きじゃくっていた。何時間も、涙が枯れるまで泣いた。母ちゃんはなにも言わずにただ俺の頭を撫でてくれた。理由も聞かずに。

 多分、それがきっかけで、俺は困ったときに心の中で母ちゃんを呼ぶようになった。俺の壊れかけた心を繋ぎとめてくれる大切な存在。




 あれから、俺はだれも信じなくなった。芽依にも少し冷たくなった。いつも一緒に登下校するのに、俺は芽依の言葉に適当な返事しか返せなかった。それでも、芽依は一生懸命に話しかけてくれるし、弁当も作ってくれる。それだけが救いだった。

 でも、心の痛みが消えなかった。俺と夢咲結月が別れたのを聞いて、告白してくれた女の子が何人かいた。でも、信じれなかった。きっと俺の心を弄んで楽しむつもりなんだろうって思った。だから、ことごとく断った。これでいい、もうお前らに弄ばれてたまるか。

 2年間の片思いと何か月かの恋が最悪の形で終わってしまった。

 そして、高校に入って、芽依との距離も遠のいた。

 もう窓を叩いてくれない。もう遊ぼうって誘ってくれない。もう弁当作ってくれない。ただ、毎日一緒に登下校するだけだった。

 はるととれんは俺と同じ高校を受験して、運よく同じクラスになった。この高校はクラス替えとかないから、3年間もはるととれんと一緒にいれることが俺を元気づけてくれた。芽依も同じクラスで、昼食はまたいつも4人で食べていた。いつの間にか葵という女の子も俺らのグループに入って、五人で他愛もない高校生活を送っていた。

 そして、このクラスにはものすごい美人がいる。姫宮愛だ。

 姫宮は瞬く間に学校一の美少女と呼ばれるようになった。そのせいか、たくさんの男子が彼女に告白した。だが、彼女はいつも辛辣な言葉で告ってくる男子をことごとく振っていった。そのせいか、彼女は見た目はいいけど、性格は最悪の「魔王」と呼ばれた。

 できればかかわりたくない。普通の女子でも俺をおもちゃとして弄ぼうと告白してくるのだから、「魔王」なんかと関わったら、俺の心はたやすく壊れてしまうだろう。

 こうして、俺はあの罰ゲームの日まで姫宮と会話したことがなかった。




 目の前に立っている夢咲結月を見て、封印していたはずの過去の記憶がとめどなくあふれ出して、俺の心をえぐってくる。
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