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「ではナディア。前に出なさい。あなたの番です」

シスターに言われて、ナディアは一歩進み出る。
教会の中には静謐で清浄な空気が満たされていて、自然とナディアの表情も引き締まった。

聖歌隊に入れるか否かが、今日決まるのだ。
教会の孤児院で育った少女たちにとって、聖歌隊に入ることは数少ない希望のひとつだった。

「神に捧げる歌です。心を込めて歌うように」

だからナディアは歌う。
心を込めて。
自分の大好きな歌を。

透き通った声は柔らかで、それ自体が祈りのようだった。

同じ聖歌隊希望の子たちも、シスターも、司祭様でさえ。
ナディアの美しい歌声にうっとりと聞き惚れた。

異変はすぐに起きた。

教会内に飾られていた花々が、意志を持ったように上を向き始めた。
閉じていたつぼみが開き、枯れかけていた花がみずみずしさを取り戻し、色を濃くしていく。

気づいたのは試験官をしていたシスターだけ。

けれどナディアの運命を決定づけるのは、それだけで十分だった。


◇◇◇


「じゃあ行ってくるわねナディア。また後で」
「ありがとうロージー。いつもごめんね」

侍女のロザリンドに礼を言う。
彼女は「いいってことよ」と大輪の薔薇のような笑顔を残して、ナディアの部屋を出ていった。

一人残されたナディアは、フカフカのソファにそっと身を沈めた。

王宮の離れの一室であるこの部屋には、五年経つ今も少しも慣れることがない。
物心つく前から教会の孤児院で育ったナディアにとって、ここはあまりにも豪華で広すぎるのだ。

「はぁ、どうしてこんなことに……」

もう何千回目かもわからないため息をつく。

十歳の聖歌隊入隊試験で、好きな歌を歌えと言われた。
それが「聖歌の中で」ということだとは思わず、ナディアは本当に大好きな歌を歌ってしまったのだ。

それはずっと頭の中で聞こえていた歌だった。

大人たちが話す難しい言葉とも違うその不思議な歌詞は、誰に教わらなくても意味が理解できた。

お天気の歌や植物の歌。
それに心を落ち着かせる歌や、傷を癒やす歌も。

ナディアが雨を願って歌えば雨が降り、晴れを願えば太陽が顔を覗かせる。
擦り傷程度であればすぐに血は止まったし、泣いている友達に歌えば、すぐに笑顔になった。

それが当たり前だったし、歌にはそういう力があるのだと思っていた。

だからその歌を、ナディアはシスターの前で歌ったのだ。
言われた通り心を込めて、神様に祈るように。

植物の歌を選んだのは、その日教会に飾られていた花に元気がなかったから。
いつも以上に心を込めて歌うと、しおれた花々が息を吹き返し、つぼみまでが活き活きと花を咲かせ始めた。

歌い始めてすぐに怖い顔になったシスターに歌を止められて、ナディアは聖歌隊への入隊を諦めなければいけないのだと絶望した。
けれど神官長様の部屋に連れていかれたナディアは、まさかそのまま王宮に住むことになるとは思っていなかった。

その歌が「精霊の歌」というもので、その歌で奇跡を起こす人間は「聖女」と呼ばれ、王宮で保護される。
そう知ったのは、ロザリンドがここに来てくれた時だ。

同じ施設で姉妹同然に育ったロザリンドは、ナディア付きの侍女として立候補してくれたらしい。
王宮で泣き暮らす聖女様を理解して慰められるのは自分だけだと。

実際、彼女は小さい頃からしっかり者で、姉のような頼れる存在だった。

孤児が聖女の侍女をするなど前代未聞らしいが、どんなに宥めても怯えて歌うことを拒絶するナディアを懐柔するために、仕方なく許可が出たらしい。

「あんたってホント、あたしがいないとダメなんだから」

孤児院でいつも言われていたセリフを聞いた瞬間、ナディアは泣きながらロザリンドに飛びついた。

聖女しか入ることを許されていない祈りの間も、ロザリンドが一緒じゃないと歌わないと駄々をこねた結果、渋々ながらも受け入れられた。
彼女が幼い頃からナディアと仲が良く、精霊の歌をすでに知っていたというのも大きかったようだ。

ナディアの存在は秘匿されている。
ナディアにつけられた家庭教師たちも、彼女の身分もここで暮らす理由も知らされていない。

だからロザリンドのようにナディアの過去を知りつつも外部に秘密を洩らさない人間は貴重なのだ。

以来ナディアは、ロザリンドに身の回りの世話をしてもらいながらここで暮らしている。
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