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[優しい世界]《1》
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コロコロと、どこかへ転がっていくビール缶を眺める。先ほど自分が蹴ったものだ。無性にやるせなくなり、空いていたベンチに腰を下ろした。風が少し冷たいが、あまり気にならなかった。
上を見上げれば変な色をした空が広がっていて、まるで誰かが作ったような不自然さがあった。目の前を流れる黒い川には、ビニール袋のゴミが流れている。
クソみたいだと呟いた。この世は誰にも優しくない。どこに行こうとも自分の居場所なんてない。そんな誰かを羨む日々は荒んでいった。
「はぁ……」
投げ出した足の先がぽつりと鳴った。頬にも冷たい粒がぺたっと落ちてきた。
「最悪だ……」
あっという間に強くなってきた雨が全身を濡らす。そのまま動く気にもなれず、ぼたぼたと落ちてくる雨を受け止めていた。
こんな世界に生きる価値なんてあるのかと、瞳を閉じる。
──ふわっと心地の悪い浮遊感があった。
ジェットコースターの落ちてから二秒後、ブランコの前へ漕いだとき、トランポリンの最中、それらに似ているようで似ていない……。
どこかに投げ出された。大きな手で摘まみ上げられて、ぺっと落とされたような感じだ。
強い衝撃を覚悟したが、そこまでではなかった。多少の痛みはあるけど。
目の前を見ると、そこは今までいた場所とは違っていた。
ちらちらと横切るのは、奇妙な仮面をつけた人々。目と口だけにっこりと笑ったようにくり抜かれている、全員同じの白い仮面。
今俺がぺたりと座り込んでいる道と思われるところは、カーペットのような柔らかい素材でできていた。
空は澄み切った水色で、穏やかな風が頬を撫でた。
「……どこだここ」
こんな場所、見たことも聞いたこともない。流行りには疎いが、こんな風に仮面をつけて集まるイベントがあるのかもしれない。
この柔らかい床はどこまで続いているのだろう。それが終わった先はいつもの日常か?
この場所は隔離されたところなのかもしれない。珍しい風習のある集落で、ここの情報のことは一切漏らさずにいた。そう考えると大分変だが、有り得ない話でもないかもしれない。
そんなことを考えていると、一つの仮面がこちらを見ていることに気づいた。その仮面は別の仮面に耳打ちをしている。辺りを見渡すと、そんな視線をあちこちから向けられていた。だんだんと仮面は増えていき、わらわらと気味の悪い仮面数十人に見下ろされていた。
「……なんだよ?」
一人を睨むように見上げると、そいつはびくっと体を揺らした。それから落ち着かない様子で、周りをキョロキョロと眺めている。
なんとなく腹が立ち、そいつの胸元を締め上げていた。仮面を剥ぎ取ってやろうかと思い、顔に手をかけた時……聞き覚えのあるサイレンの音が響き渡った。
俺はあっという間に、警官服を着た仮面三人に捕まっていた。
「おいっ、離せよ!」
自分はただこの変な場所に迷い込んだだけだと、いくら言っても聞き入れてくれる様子はなかった。
「お願いだっ、離してくれ……もう出て行くから……っ」
なんの反応もせず、ただ俺を連行している仮面を見ていたら、恐ろしくなってきた。こいつらは本当に人間なのか? 改めて異常な世界に来てしまったのだと思うと不安が増し、最後は涙声で懇願していた。
ドラマなんかで見る取り調べ室や、もしかしたら檻の中に入れられるのかと思ったが、連れてこられたのは綺麗な会議室のような場所だった。
一人用ソファーにそっと下ろされると、奥から出て来た仮面がお茶を置く。その対面の椅子に座って、それを進めてきた。
訳が分からないまま何もしないでいると、前の男はそのままお茶を飲み始めた。仮面の空いている部分に合わせて飲むのは難しそうだが、男は一滴も零さずに飲んでいる。
恐る恐る口に含んだのはただのほうじ茶で、慣れ親しんだ味に少し落ち着きを取り戻した。
「貴方は仮面を無くした、もしくは壊してしまったのかと思いましたが、そうではないようですね」
仮面のせいで少しこもっているが、丁寧な口調の人だ。声からして年は若そう。
「ここはどこだ?」
「貴方が住んでいた所と近い場所です。でも貴方が過ごしていた所とは少し違います」
「どういうことだ」
「我々は研究の為に集められました。今度新たな制度を作ろうとしています。大々的に発表する前にサンプルを取りたいということで、この街ができたのです。本来ならば選ばれた人間以外立ち入る事ができないのですが……貴方のような特殊な事態に我々も戸惑っています。今までこんなことはありませんでしたので。しかし制度上、こうしなければと判断致しました。あの場で説明できず、すみません。乱暴してしまったことをお許し下さい」
「まぁそれはいいから……その制度ってなんなんだ」
仮面は机の中からファイルを取り出した。
「──優しさ制度です。ここでは思いやりを持って人と接しないと、罰が下されます」
優しさ制度と大きく書かれた下には、細かい文字がびっしりと並んでいた。
「つまり簡単に言いますと、この世界は優しさが全てなんです。先ほどの貴方の行為は暴行罪と、大声を出した罪に当たります」
「……はっ。それをした奴をわざわざ捕まえて金でも毟り取ろうって?」
「いえ。それでは優しくありませんから、まずはこうして話し合いです。どんな人間でも言い分を尊重しなければなりません。反省しないようでしたらここに住んでもらいますし、お咎めなしの場合もあります」
「お咎め有りなら何をさせられるんだ?」
「掃除……などですかね」
「じゃあ優しさなんかじゃ測れない……殺人なんか起こったらどうなるんだ?」
「まだそんな事態は起こってませんが、外には出せないと思います」
「それならこっちの死刑制度と変わらないな」
「……最終的には同じになるのかもしれませんが、それまでの生活は違うかもしれません」
「まぁいいや。それであんたらのその仮面も優しさが原因なの?」
「顔で判断されることは優しくありませんから、皆同じにしようということになったんです」
「だったらみんな、全部一緒にしたら丸く収まるな」
「ある程度同じにしたところから、個性を尊重すればいいんです。人間などほとんど同じです。違いなど、僅かなのです」
「そうかねぇ……ま、ここのことは分かった。それで、俺は帰れるのか?」
「貴方が望めば」
「……っ」
帰ろうかと思ったが、思ったより面白そうな所だ。この仮面男も中身はちゃんと人間らしいし、丁重なもてなしをしてくれる。あっちの世界よりマシかもしれない。
もう少し様子を見てみようと仮面に向き合う。
「もうちょっとここにいてもいいか? どう来たかは知らないがせっかく来れたんだ。他にも色々見てみたいから、教えて貰えると嬉しい。……お金とか持ってないんだけど、泊まれるところとかあるか? その分何かで返せっていうなら、俺にできることならするからさ」
罰といっても掃除させられるぐらいなら大したことじゃない。返事を待っていると、くり抜かれた口の下が微笑んでいるように見えた。
「いえ、貴方は特別なお客様です。良ければ我々の方で面倒を見させて頂きます」
「いいのか? ……どうも」
「では、こちらについてきて頂けますか」
部屋から出ると、本当にただの会社のようだった。綺麗だし広いから結構な大手っぽいが。そういえばある企業に勤めた友人も綺麗なオフィスを自慢していたな。……今はもう友人とは言えないが。
「こちらでいかがでしょうか」
壁の向こうは、元々があの檻だとは分からないほど綺麗な空間になっていた。いくつかの檻をくっつけて、簡易の家のようにしているらしい。隣同士ほとんど隙間なく繋がっているが、プライベートな空間はちゃんと確保されているようだ。その中に誰が住んでいるのかは、見た目だけでは分からない。
上を見上げれば変な色をした空が広がっていて、まるで誰かが作ったような不自然さがあった。目の前を流れる黒い川には、ビニール袋のゴミが流れている。
クソみたいだと呟いた。この世は誰にも優しくない。どこに行こうとも自分の居場所なんてない。そんな誰かを羨む日々は荒んでいった。
「はぁ……」
投げ出した足の先がぽつりと鳴った。頬にも冷たい粒がぺたっと落ちてきた。
「最悪だ……」
あっという間に強くなってきた雨が全身を濡らす。そのまま動く気にもなれず、ぼたぼたと落ちてくる雨を受け止めていた。
こんな世界に生きる価値なんてあるのかと、瞳を閉じる。
──ふわっと心地の悪い浮遊感があった。
ジェットコースターの落ちてから二秒後、ブランコの前へ漕いだとき、トランポリンの最中、それらに似ているようで似ていない……。
どこかに投げ出された。大きな手で摘まみ上げられて、ぺっと落とされたような感じだ。
強い衝撃を覚悟したが、そこまでではなかった。多少の痛みはあるけど。
目の前を見ると、そこは今までいた場所とは違っていた。
ちらちらと横切るのは、奇妙な仮面をつけた人々。目と口だけにっこりと笑ったようにくり抜かれている、全員同じの白い仮面。
今俺がぺたりと座り込んでいる道と思われるところは、カーペットのような柔らかい素材でできていた。
空は澄み切った水色で、穏やかな風が頬を撫でた。
「……どこだここ」
こんな場所、見たことも聞いたこともない。流行りには疎いが、こんな風に仮面をつけて集まるイベントがあるのかもしれない。
この柔らかい床はどこまで続いているのだろう。それが終わった先はいつもの日常か?
この場所は隔離されたところなのかもしれない。珍しい風習のある集落で、ここの情報のことは一切漏らさずにいた。そう考えると大分変だが、有り得ない話でもないかもしれない。
そんなことを考えていると、一つの仮面がこちらを見ていることに気づいた。その仮面は別の仮面に耳打ちをしている。辺りを見渡すと、そんな視線をあちこちから向けられていた。だんだんと仮面は増えていき、わらわらと気味の悪い仮面数十人に見下ろされていた。
「……なんだよ?」
一人を睨むように見上げると、そいつはびくっと体を揺らした。それから落ち着かない様子で、周りをキョロキョロと眺めている。
なんとなく腹が立ち、そいつの胸元を締め上げていた。仮面を剥ぎ取ってやろうかと思い、顔に手をかけた時……聞き覚えのあるサイレンの音が響き渡った。
俺はあっという間に、警官服を着た仮面三人に捕まっていた。
「おいっ、離せよ!」
自分はただこの変な場所に迷い込んだだけだと、いくら言っても聞き入れてくれる様子はなかった。
「お願いだっ、離してくれ……もう出て行くから……っ」
なんの反応もせず、ただ俺を連行している仮面を見ていたら、恐ろしくなってきた。こいつらは本当に人間なのか? 改めて異常な世界に来てしまったのだと思うと不安が増し、最後は涙声で懇願していた。
ドラマなんかで見る取り調べ室や、もしかしたら檻の中に入れられるのかと思ったが、連れてこられたのは綺麗な会議室のような場所だった。
一人用ソファーにそっと下ろされると、奥から出て来た仮面がお茶を置く。その対面の椅子に座って、それを進めてきた。
訳が分からないまま何もしないでいると、前の男はそのままお茶を飲み始めた。仮面の空いている部分に合わせて飲むのは難しそうだが、男は一滴も零さずに飲んでいる。
恐る恐る口に含んだのはただのほうじ茶で、慣れ親しんだ味に少し落ち着きを取り戻した。
「貴方は仮面を無くした、もしくは壊してしまったのかと思いましたが、そうではないようですね」
仮面のせいで少しこもっているが、丁寧な口調の人だ。声からして年は若そう。
「ここはどこだ?」
「貴方が住んでいた所と近い場所です。でも貴方が過ごしていた所とは少し違います」
「どういうことだ」
「我々は研究の為に集められました。今度新たな制度を作ろうとしています。大々的に発表する前にサンプルを取りたいということで、この街ができたのです。本来ならば選ばれた人間以外立ち入る事ができないのですが……貴方のような特殊な事態に我々も戸惑っています。今までこんなことはありませんでしたので。しかし制度上、こうしなければと判断致しました。あの場で説明できず、すみません。乱暴してしまったことをお許し下さい」
「まぁそれはいいから……その制度ってなんなんだ」
仮面は机の中からファイルを取り出した。
「──優しさ制度です。ここでは思いやりを持って人と接しないと、罰が下されます」
優しさ制度と大きく書かれた下には、細かい文字がびっしりと並んでいた。
「つまり簡単に言いますと、この世界は優しさが全てなんです。先ほどの貴方の行為は暴行罪と、大声を出した罪に当たります」
「……はっ。それをした奴をわざわざ捕まえて金でも毟り取ろうって?」
「いえ。それでは優しくありませんから、まずはこうして話し合いです。どんな人間でも言い分を尊重しなければなりません。反省しないようでしたらここに住んでもらいますし、お咎めなしの場合もあります」
「お咎め有りなら何をさせられるんだ?」
「掃除……などですかね」
「じゃあ優しさなんかじゃ測れない……殺人なんか起こったらどうなるんだ?」
「まだそんな事態は起こってませんが、外には出せないと思います」
「それならこっちの死刑制度と変わらないな」
「……最終的には同じになるのかもしれませんが、それまでの生活は違うかもしれません」
「まぁいいや。それであんたらのその仮面も優しさが原因なの?」
「顔で判断されることは優しくありませんから、皆同じにしようということになったんです」
「だったらみんな、全部一緒にしたら丸く収まるな」
「ある程度同じにしたところから、個性を尊重すればいいんです。人間などほとんど同じです。違いなど、僅かなのです」
「そうかねぇ……ま、ここのことは分かった。それで、俺は帰れるのか?」
「貴方が望めば」
「……っ」
帰ろうかと思ったが、思ったより面白そうな所だ。この仮面男も中身はちゃんと人間らしいし、丁重なもてなしをしてくれる。あっちの世界よりマシかもしれない。
もう少し様子を見てみようと仮面に向き合う。
「もうちょっとここにいてもいいか? どう来たかは知らないがせっかく来れたんだ。他にも色々見てみたいから、教えて貰えると嬉しい。……お金とか持ってないんだけど、泊まれるところとかあるか? その分何かで返せっていうなら、俺にできることならするからさ」
罰といっても掃除させられるぐらいなら大したことじゃない。返事を待っていると、くり抜かれた口の下が微笑んでいるように見えた。
「いえ、貴方は特別なお客様です。良ければ我々の方で面倒を見させて頂きます」
「いいのか? ……どうも」
「では、こちらについてきて頂けますか」
部屋から出ると、本当にただの会社のようだった。綺麗だし広いから結構な大手っぽいが。そういえばある企業に勤めた友人も綺麗なオフィスを自慢していたな。……今はもう友人とは言えないが。
「こちらでいかがでしょうか」
壁の向こうは、元々があの檻だとは分からないほど綺麗な空間になっていた。いくつかの檻をくっつけて、簡易の家のようにしているらしい。隣同士ほとんど隙間なく繋がっているが、プライベートな空間はちゃんと確保されているようだ。その中に誰が住んでいるのかは、見た目だけでは分からない。
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