サファイアの雫

膕館啻

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Hush, baby, my dolly

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手に取った赤色の布を見て、声を上げた。
「それを使うの? こっちの方がいいんじゃない」
横にあった紫色の布を手に取る。ピンク色に近い、綺麗な色だ。
「これだと裾がふわってなって、ドレスにぴったりだ。赤のも綺麗だけど、裾は広がらない。大人っぽいドレスになるけど、この子に似合うのはこっちじゃないかな」
金色の髪を巻いて、こちらを見つめる女の子の目が、期待に揺れているように見えた。
「はは、確かにそうかもね。いつの間にそんなに詳しくなったんだい。これではあっという間に抜かれてしまいそうだ」
「伯父さんが世界で一番だよ。僕は弟子だからね」
「弟子なんて、そんな大層なものをとったつもりはないんだけどねぇ。あとおじさんっていうのもやめて。関係性としては正しいけど、自分が爺さんになったような気分になるから」
「じゃあ師匠」
「うーん。こんなにアンティークの家具に囲まれているのに、柔道着が眼に浮かぶよ……まぁいいや。今日はドレスのデザインを三つは考えなくちゃいけない。一つはこれを使って、あの子は青と決めているんだ。もう一人が……」
「黄色はどう? 師匠そういう明るい色使わないから、黄色のドレスを着た子が全然いないよ」
「確かに……言われてみれば。じゃあちょっと丈を短くして、可愛い感じのドレスにしよう。となると靴は……あ、足にリボンを巻きつけようか」
魔法のように、あっという間に少女達がお姫様に変わる。彼の手で作り上げられた芸術に、僕は酔いしれた。
師匠が作る子達は本当に綺麗で、特に目が凄い。見つめていると、星空の中へ迷い込んだような気分になる。
魂を込めて作っているから、一人一人表情が違う。今にも話しかけてきそうな愛らしさだ。
僕は彼が世界で一番凄い人物だと、心の底から思っていた。そして、皆がこの美しい芸術を愛していると。
でも世間は、僕以外の家族は、彼に冷たかった。
男が女の子の人形を作るなんて気持ち悪い。現実の女の子にも、いつか手を出すのではないか。あれに近寄ってはいけない、きっと貴方にも手を出す。
母に言われた時、理解ができなかった。この世の何よりも美しい存在が、気持ち悪い? 
僕は彼女の目が、世間の目が濁っているのだと、そこで知った。
そんな時に人形達の目を見ると、宝石のように輝いていた。この世界で輝くものは、これしかないのだと思った。この芸術を愛せない者たちは、なんと不幸なのだろう。
それから数年後、彼は死んだ。どうして亡くなったのかは知らない。遠い地へ飛び立ってしまったから。
最後まで世間に認められず、異常者と呼ばれ続けていた。僕はそんな彼の呪いを背負って、人形師になった。


【Humpty Dumpty】
窓際に座っている彼の背中に羽が見えた。膝を立て、横向きに世界を見つめている。そこから生えているのは黒い大きな羽。
ジャック、君はどこへ飛び立つの。
「俺の体、飽きちゃった?」
見ていることに気づいたジャックが振り返る。もうそこにいる彼には羽が見えない。あんなに似合っているのだから、本当に生やせばいいのに。
馬鹿な考えを止めて、ジャックの言葉を繰り返す。
「飽きたって?」
「だって先生、この頃全然俺に構ってくれてないじゃーん。もう飽きちゃったのかと思った」
「飽きるはずないだろう。君の体は……」
ジャックが服をはだけさせた。私が思い描いていたのよりも、リボンの数が明らかに増えている。
「あれ、そんなに作ったっけ」
「忘れちゃったのぉ? ひどいわぁ、あんなに愛を注いでくれたのにぃ」
「……すまない、本当に記憶にないんだ。君が自分でやったとかじゃないよね」
「こんなとこ、自分でできる?」
後ろを向くと、背中の広い場所に大きくリボンが通してあった。その美しさに思わず近づいて触れると、ジャックが笑った。
「先生すぐ夢中になっちゃうからなぁ。覚えてないのも、トーゼンじゃん?」
「まぁそうかもしれないが……しかし、これはもう増やすべきではないな。これ以上作るとバランスが崩れる。とりあえずはこれで完成かな」
〝完成〟 その言葉を呟いた瞬間、ジャックの顔が変わった。目を見開き、笑みは消え、驚いたような表情だ。彼にしては珍しい表情なので心配になり、顔を覗き込む。
「ジャック……どうしたの」
体は微かに震え、そこに恐ろしいものがあるかのような顔で空を見つめている。
「完成、した……?」
「えっ」
「終わりか? 俺は……俺の、相手はもう、終わり、か……?」
「い、いや確かに今はバランスよく仕上がっているけど、時間が経てばまた直したい箇所も出てくるだろう。君が飽きたら服もまた新しく作るし……」
「終わり、じゃない?」
こんなに弱々しい声が出せるのかと、心配よりも驚きが勝っていた。彼がこんなに怖がるものがあったのか。
「……ああ、それに見た目が完成しても、中身は終わりがないだろう? 関係性は常に変化するものだ」
まさかジョーカー? 彼との急な別れがトラウマになっている?
「私は急にいなくなったりしないだろう? 消え方も分からないし、恐らくジョーカーは私を狙わない」
その言葉は的外れだったのか、ジャックの顔はまだ晴れない。
「この世界は思っているよりも薄い。薄い膜が重なって、なんとか支えている状態だ。壊そうと思えばいつでも壊せる。でも、割れたものは元に戻せない。それだけは何があろうと、絶対に戻すことができない」
「……どうしたの、ジャック」
「俺達は脆い。脆すぎる。でもそんな状態でも成り立っているのなら……続けるしかない。世界が壊れないように」
「君は何か知っているの?」
彼は無言でこちらに近づくと、手で顔を包んできた。顔が触れそうなほど近い距離で叫ぶ。
「想像してくれ、感じるか。俺の熱を、この手の熱さをっ」
「……ああ、分かるよ」
「ちゃんと目を見てくれ! こうして動いて、涙だって出してみせる。ほら、先生……っ」
私の手を取り、自分の胸元に触れさせた。
「ここ動いているだろ? 分かるか? ちゃんと触って確かめてくれ! これが、俺がここにいる証だ」
どうして急に彼がこんなことを言い始めたのかは分からないが、この必死な形相を見ていると、こちらも胸が熱くなってきた。いつもは飄々としている彼だが、ちゃんと生きている証を残したい、一人の人間だったんだ。
「分かる……分かるよ、ジャック……君の熱さが、君の……思いが……っ、伝わってきて」
そう伝えるとホッとしたのか手を離して、急に悪かったと笑った。
私は彼にバレないように、そっと微笑む。
ひとつだけ嘘をついてしまった。
確かに一瞬熱を感じることができた……が、その後はいくら彼に触っても、熱さも鼓動も感じることはできなかった。
そこで私は彼が守ってきたもの、この脆い世界の正体が少し分かってしまった。まだ完全に理解したわけではないが。
恐らく彼らは、もうこの世にはいない者達なのだ。それは私も含めて。
そのことを分かってしまったら、自分達で今の平穏を崩してしまったら、壊れてしまうのだろう。それは単純に魂がどこかで留まっているということか? 天国にも地獄にも導かれず、こんな空間で。
我々は同じ使命、同じ運命を背負った者同士。
彼らは私よりも長くこの空間にいて、自分達が認めてしまったら、死んだことに気づいてしまう。だから私にバレないようにしている……。
いや、彼らが気づいているのであれば、私が気づいたところで、それだけでは壊れはしないのだろう。何かきっかけ、トリガーのようなものがあるのか? それがジョーカーに関係している?
もしかして、気づいた者がジョーカーという名の死神に連れていかれ、この世界から姿を消した……。
私に記憶がないのだから、当然死の記憶も存在しない。それを思い出した時が終わりの時? ならば大丈夫か、私は何も思い出していない。このままなら、ずっと彼らと……。
この選択が正しいのかは分からないが、彼らと過ごしてきて情が移ってしまった。あの子達が望むのなら、私もそうしようじゃないか。
私にはきっと天国や地獄よりも、この場所が似合う。
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