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第六話
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一筋涙が流れていた。窓から外を眺めると、不意に頭に顔が浮かんだ。自分に言い寄ってきた者も多少いた。ただの憧れから愛憎の混じったようなものまで。しかしそれらを排除していた。そんなものにうつつを抜かすほど余裕がなかったからだ。あの中の誰か一人でも選んでいたら、待っていてくれたのか?
「……っ」
足音が聞こえた気がして身を縮めた。彼女か?
思えば僕は、彼女にはあまりこだわってこなかった。怪しいという思いが初めからあって。
ここへ少年を連れてくる手口や、裏で何かをしているという、そんなはっきりとはしていないが黒い噂が蔓延っていた。まぁ真相が明らかになってもならなくても、彼女の敵にならなければいいだけだ。一部は彼女の為に生きていたようだが、僕はそんなことを思ったことはない。
ゆっくり振り返った。一本道の廊下、その奥に黒い塊が見える。
多少なりとはあったかもしれないが、可哀想な人を救う為だけにこんなことをした訳ではない。貴方は人形遊びをしているだけだ。
「……まだ、残ってるんですよね。誰か」
十五メートル程の距離に近づいたが、何かを話す様子はない。足以外が動かないのでおかしいと思い、もう少し近づいた。
「マダム?」
恐る恐る布を掴んだ。スルスルと落ちる黒から現れたのは。
「……そんな」
顔がぐちゃぐちゃだった。目は皮膚に埋もれて見えない。顔と認識できるパーツはもうなかった。
ああ、彼女は……人間をやめてしまった。あの騒動で不安になったのか、自らを無理に弄ったのだろう。言葉が通じる様子もなかった。いつまでもこうして、家の中を徘徊しているだけなのか。
「ごめんなさい……さよなら」
廊下を抜けると、急にバタバタとした足音が聞こえてきた。
「……君達!」
自分を呼ぶ声が聞こえる。いつもはきちんとした服装と決まっていたから、普段見ることのない格好で並んだ仲間がいた。
「ごめんな、ツカサ。一人で戻ったっていうからびっくりしたぜ。それも押すの大変だったろ? もっと俺たちを頼っていいのに」
「……うん。ありがとう」
自分が笑うと相手は少し驚いたようだった。それから近づいてきて、後ろのハンドルを握る。
「じゃあ行こうか」
「行くあてはあるのか? ……それと」
後ろを振り向くと、言いたいことが分かったようだ。苦い顔をしながら、あれはもう手遅れだと呟いた。
「せめてこの家で終われるようにしておくか」
鍵を閉めて上を見上げる。初めと変わらない白くて美しい家。それを囲む花々は枯れていた。まるで自分達のようだと、自嘲した笑みが零れた。
「前の生活に戻ったやつ、恋人同士二人でどっか行っちゃったやつ、あとは……おこぼれの俺たちはみんなでまとまってる。ただ……マダムが作ったあいつらだけは行方が分からない」
「……そうか」
ゆっくりと風が吹いている。それが自分の髪も揺らしていた。車から窓の外を見ると、綺麗なのかそうでないのか分からない景色が広がっていた。あんなに美しくあろうとしたのに分からないなんて、間抜けだ。
「……誰にも分からないよ」
それはあの青年に言ったのか、堕ちた天使に言ったのか。それとも両方か。悪魔だって天使だって、きっと神にだって分からない。人間の愛など。芸術やそんなものに、明確な答えなんてない。
頭の奥で自分を呼ぶ声がする。あんなに詰めた台詞が思い出せなくて焦った。最初の台詞はなんだっけ。一人が出て、スポットライトが当たる。また一人出て、彼に台詞を言った。もう少しで自分の番だ。台本が近くに無い。ああ、なんだっけ……自分は何を言わなきゃいけないんだっけ。緊張で音がほとんど聞こえなかった。それなのに体は勝手に動いて、暗い幕の内側から明るいステージに出た。
体が軽い。耳も、頭もすっきりしていた。何も考えないのが心地良い。台詞を発しているのは本当に自分なのか怖くなる程だったけど、それはこの身に役が染みついたと考えて良いのではないか。そんなことを袖にはけた時に思った。
「僕らは永遠だ」
「貴方が愛してくれる限り存在する」
「僕らは貴方を愛し続ける」
「僕らと共に、完璧を追い求めよう」
「美しくなければ生きる価値などない」
「完璧でなければ踊る意味などない」
「我々でなければ栄光の歌劇団ではない」
僕らは確かに光の中にいた。栄光だった。しかし完璧ではなかった。作り物の美しさだった。
――それでも貴方は愛してくれますか。
照明の光が目に沁みた。僕は僕で求められているのか、この役で感動させたのか……どちらでも良かった。
視界が段々と狭まり、思わず目を隙間に向ける。赤い幕が目の前で落ちていく。
行かないでとそう願ったのは、僕も貴方も同じか。泣いて必死に手を振る姿が見えた。
そんなことで愛おしくなってしまう僕は、まだまだ人形にはなれそうになかった。
《終演》
「……っ」
足音が聞こえた気がして身を縮めた。彼女か?
思えば僕は、彼女にはあまりこだわってこなかった。怪しいという思いが初めからあって。
ここへ少年を連れてくる手口や、裏で何かをしているという、そんなはっきりとはしていないが黒い噂が蔓延っていた。まぁ真相が明らかになってもならなくても、彼女の敵にならなければいいだけだ。一部は彼女の為に生きていたようだが、僕はそんなことを思ったことはない。
ゆっくり振り返った。一本道の廊下、その奥に黒い塊が見える。
多少なりとはあったかもしれないが、可哀想な人を救う為だけにこんなことをした訳ではない。貴方は人形遊びをしているだけだ。
「……まだ、残ってるんですよね。誰か」
十五メートル程の距離に近づいたが、何かを話す様子はない。足以外が動かないのでおかしいと思い、もう少し近づいた。
「マダム?」
恐る恐る布を掴んだ。スルスルと落ちる黒から現れたのは。
「……そんな」
顔がぐちゃぐちゃだった。目は皮膚に埋もれて見えない。顔と認識できるパーツはもうなかった。
ああ、彼女は……人間をやめてしまった。あの騒動で不安になったのか、自らを無理に弄ったのだろう。言葉が通じる様子もなかった。いつまでもこうして、家の中を徘徊しているだけなのか。
「ごめんなさい……さよなら」
廊下を抜けると、急にバタバタとした足音が聞こえてきた。
「……君達!」
自分を呼ぶ声が聞こえる。いつもはきちんとした服装と決まっていたから、普段見ることのない格好で並んだ仲間がいた。
「ごめんな、ツカサ。一人で戻ったっていうからびっくりしたぜ。それも押すの大変だったろ? もっと俺たちを頼っていいのに」
「……うん。ありがとう」
自分が笑うと相手は少し驚いたようだった。それから近づいてきて、後ろのハンドルを握る。
「じゃあ行こうか」
「行くあてはあるのか? ……それと」
後ろを振り向くと、言いたいことが分かったようだ。苦い顔をしながら、あれはもう手遅れだと呟いた。
「せめてこの家で終われるようにしておくか」
鍵を閉めて上を見上げる。初めと変わらない白くて美しい家。それを囲む花々は枯れていた。まるで自分達のようだと、自嘲した笑みが零れた。
「前の生活に戻ったやつ、恋人同士二人でどっか行っちゃったやつ、あとは……おこぼれの俺たちはみんなでまとまってる。ただ……マダムが作ったあいつらだけは行方が分からない」
「……そうか」
ゆっくりと風が吹いている。それが自分の髪も揺らしていた。車から窓の外を見ると、綺麗なのかそうでないのか分からない景色が広がっていた。あんなに美しくあろうとしたのに分からないなんて、間抜けだ。
「……誰にも分からないよ」
それはあの青年に言ったのか、堕ちた天使に言ったのか。それとも両方か。悪魔だって天使だって、きっと神にだって分からない。人間の愛など。芸術やそんなものに、明確な答えなんてない。
頭の奥で自分を呼ぶ声がする。あんなに詰めた台詞が思い出せなくて焦った。最初の台詞はなんだっけ。一人が出て、スポットライトが当たる。また一人出て、彼に台詞を言った。もう少しで自分の番だ。台本が近くに無い。ああ、なんだっけ……自分は何を言わなきゃいけないんだっけ。緊張で音がほとんど聞こえなかった。それなのに体は勝手に動いて、暗い幕の内側から明るいステージに出た。
体が軽い。耳も、頭もすっきりしていた。何も考えないのが心地良い。台詞を発しているのは本当に自分なのか怖くなる程だったけど、それはこの身に役が染みついたと考えて良いのではないか。そんなことを袖にはけた時に思った。
「僕らは永遠だ」
「貴方が愛してくれる限り存在する」
「僕らは貴方を愛し続ける」
「僕らと共に、完璧を追い求めよう」
「美しくなければ生きる価値などない」
「完璧でなければ踊る意味などない」
「我々でなければ栄光の歌劇団ではない」
僕らは確かに光の中にいた。栄光だった。しかし完璧ではなかった。作り物の美しさだった。
――それでも貴方は愛してくれますか。
照明の光が目に沁みた。僕は僕で求められているのか、この役で感動させたのか……どちらでも良かった。
視界が段々と狭まり、思わず目を隙間に向ける。赤い幕が目の前で落ちていく。
行かないでとそう願ったのは、僕も貴方も同じか。泣いて必死に手を振る姿が見えた。
そんなことで愛おしくなってしまう僕は、まだまだ人形にはなれそうになかった。
《終演》
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