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――分かっている、自分が無力だってことは嫌ってほど分かりきっています。それでも僕は貴方の側にいたいんです。
そんなことをこの醜い自分に言う青年の言葉を聞き流しながらも、どこかで本気なんじゃないかって期待して頭を振った。
そんなことは信じられないと言って青年を帰らせた。その時の顔が寂しそうで、胸が抉られたように苦しい。
私は一体どこで、間違ってしまったのだろう。
周りより少しだけ勉強のできた私は教師になり、割と大きな学校で教えていた。以前から持っていた子供が好きという気持ちは、そこで打ち砕かれることになる。子供とは思えないような陰湿な嫌がらせや、逆に子供らしい無理難題のわがままに振り回され、憔悴した日々を送っていた。いわゆる子供達に人気の先生にはなれず、鬱憤やどうしようもない思いを燻らせ、何度か子供達に当たってしまいそうになった。
ある時に本当に悪魔から生まれたのではと思うほど酷い性格をした子供がいた。今までの悪ガキなんて可愛いもので、誰に教わったのだろうと思うほど卑屈めいた発言ばかりする。この生徒の厄介なところは頭が良く、他の先生達の言葉なんて正論で切り返し、それに憧れる生徒も増えていってしまったことだ。
ある時、借りていた鍵を返そうと実験室に向かった時だった。
そこにいたのは先生ではなく、瓶を持った生徒だった。すぐに例の、噂の生徒だと分かり呼び止める。面倒そうに舌打ちをして去ろうとしていたが、逃げられないと思ったのか立ち止まってくれた。
私は薬を持ち出していないか確認する為に近寄る。軽くポケットを叩くと、そこには何も入っていなかった。瓶の中身は少量の液体だ。何が入っているのかと聞くと、極ありふれた薬品だったが、使い道によってはそれなりに危険になる。顔と瓶を見比べた。
「これは必要なもの?」
少しだけ驚いた顔をしてから、僅かに首を動かした。
「本当に必要なら仕方ないけど……。何か事故があった場合は、君を疑ってしまうよ。それでも使いたいなら、充分に気をつけて。君自身もね」
そろそろ寮の方に帰った方が良いと言うと、複雑そうな顔をしながら去っていった。
彼は一体何の為に薬を持ち出そうとしていたのか……。
化学教師にだけ報告することにして、そういえばあの生徒と話すのは初めてだと思った。
私の担当するクラスではない。あまりに噂を聞きすぎて、彼のことばかり頭にあったようだ。ヒステリー持ちの音楽教師が毎日最近の子はおかしいと愚痴を漏らしている。彼に影響された生徒の一軍にバカにされ、授業ができないのだそうだ。私もここの教師が信頼……いや信用できないのも分かる。思春期には多少なりともそんな思考にはなるのだろうが、さすがにこの状況にはなんとかしないといけないと、私は柄にもなく決心してしまった。
一時間だけ時間をもらい、彼のクラスで授業をすることにした。教科書は持たずにそのまま教壇につき、全体を見回す。
一度初心に戻り自分が受けたい授業とは何かを考えた。彼らに興味を持ってもらう為、いつもの私らしくないユーモアを交えつつ、説教にならないように気をつけながら最近の社会だったり、これからの将来について話した。彼らは……彼も興味をもってくれたように思う。最後に先生達についてあれこれ言ってしまったのできっと無駄だと思いながらも、秘密にしておいてくれと伝えて授業を終えた。
これで少しは改善してくれたらいいなと思いながら歩いていると、ふと誰かが着いてきている気がした。振り返ると彼がいた。その表情から何を考えているかは分からない。目が合ったタイミングで挨拶をした。
「私に何か?」
彼は不敵に一度笑って見せた。なんだかその仕草に少し見入ってしまった。
「先生……そう呼んでみようかなって」
「……え?」
ぽかんとした顔で見つめてしまっただろうか。こちらを見てまた笑った。そんな顔もできるのかという驚きと、どこか安堵してそれは良かったと答えた。
「あんたみたいな先生、初めてだ」
「そういえば……」
彼は何度も転校を繰り返してきたらしい。今は父親と離れ母親と二人暮らし。その影響か家庭の様子もうまくいっていないのだと、彼の担任が言っていた。この事は大丈夫かと聞きたかったが、親しくない私にいきなり言われても嫌だろう。言葉を引っ込めて話題を変えた。
「今日で話すのは二回目だね」
実験室でのことを思い出したのかその眉を少し曲げた。よく見ると髪は多少長ったらしいが、そこから覗く顔の造形は整っていた。もう少し年を重ねてこの男子校から出れば、すぐに同世代の女の子達に人気になるだろうと余計なことを思いながら、その時のことを聞いていた。
「よくあんなにうまく取れたね。多少なら問題ないだろうけど、やっぱり素手で触るのは危険だし。あの時もう少し注意して見ておけば良かったと反省したんだ」
「……ぷっ」
噴き出すようにした彼になぜ笑ったか分からないと聞くと、そっちこそ聞くところが違うだろと答えた。
「いや……だってすぐ洗い流さなきゃ後に残るかもしれないし。まぁ私もあまり詳しくはないのだけれど」
「手袋つけてましたよ。……ま、あれは実験の為にちょっと欲しかったんです。あれを混ぜて植物に与えたらどうなるかって」
「……植物に?」
「弱ると思いますか」
「そうだねぇ……枯れたりするのかな」
「ああ、そうか。育つ前に枯れる可能性の方が高いですね。育てることばっかり考えてたから盲点だったなぁ」
「それを育てて何に使うんだい?」
「……先生は、平和な頭してますね。使い道なんていっぱいあるじゃないか」
「私には思いつかないな」
「思いつかないほうがいいですよ……」
シンとした廊下に誰かの足音が響いた。彼はじゃあといって横を通り過ぎる。そのとき見たどこか寂しそうな横顔が、しばらく離れなかった。
そんなことをこの醜い自分に言う青年の言葉を聞き流しながらも、どこかで本気なんじゃないかって期待して頭を振った。
そんなことは信じられないと言って青年を帰らせた。その時の顔が寂しそうで、胸が抉られたように苦しい。
私は一体どこで、間違ってしまったのだろう。
周りより少しだけ勉強のできた私は教師になり、割と大きな学校で教えていた。以前から持っていた子供が好きという気持ちは、そこで打ち砕かれることになる。子供とは思えないような陰湿な嫌がらせや、逆に子供らしい無理難題のわがままに振り回され、憔悴した日々を送っていた。いわゆる子供達に人気の先生にはなれず、鬱憤やどうしようもない思いを燻らせ、何度か子供達に当たってしまいそうになった。
ある時に本当に悪魔から生まれたのではと思うほど酷い性格をした子供がいた。今までの悪ガキなんて可愛いもので、誰に教わったのだろうと思うほど卑屈めいた発言ばかりする。この生徒の厄介なところは頭が良く、他の先生達の言葉なんて正論で切り返し、それに憧れる生徒も増えていってしまったことだ。
ある時、借りていた鍵を返そうと実験室に向かった時だった。
そこにいたのは先生ではなく、瓶を持った生徒だった。すぐに例の、噂の生徒だと分かり呼び止める。面倒そうに舌打ちをして去ろうとしていたが、逃げられないと思ったのか立ち止まってくれた。
私は薬を持ち出していないか確認する為に近寄る。軽くポケットを叩くと、そこには何も入っていなかった。瓶の中身は少量の液体だ。何が入っているのかと聞くと、極ありふれた薬品だったが、使い道によってはそれなりに危険になる。顔と瓶を見比べた。
「これは必要なもの?」
少しだけ驚いた顔をしてから、僅かに首を動かした。
「本当に必要なら仕方ないけど……。何か事故があった場合は、君を疑ってしまうよ。それでも使いたいなら、充分に気をつけて。君自身もね」
そろそろ寮の方に帰った方が良いと言うと、複雑そうな顔をしながら去っていった。
彼は一体何の為に薬を持ち出そうとしていたのか……。
化学教師にだけ報告することにして、そういえばあの生徒と話すのは初めてだと思った。
私の担当するクラスではない。あまりに噂を聞きすぎて、彼のことばかり頭にあったようだ。ヒステリー持ちの音楽教師が毎日最近の子はおかしいと愚痴を漏らしている。彼に影響された生徒の一軍にバカにされ、授業ができないのだそうだ。私もここの教師が信頼……いや信用できないのも分かる。思春期には多少なりともそんな思考にはなるのだろうが、さすがにこの状況にはなんとかしないといけないと、私は柄にもなく決心してしまった。
一時間だけ時間をもらい、彼のクラスで授業をすることにした。教科書は持たずにそのまま教壇につき、全体を見回す。
一度初心に戻り自分が受けたい授業とは何かを考えた。彼らに興味を持ってもらう為、いつもの私らしくないユーモアを交えつつ、説教にならないように気をつけながら最近の社会だったり、これからの将来について話した。彼らは……彼も興味をもってくれたように思う。最後に先生達についてあれこれ言ってしまったのできっと無駄だと思いながらも、秘密にしておいてくれと伝えて授業を終えた。
これで少しは改善してくれたらいいなと思いながら歩いていると、ふと誰かが着いてきている気がした。振り返ると彼がいた。その表情から何を考えているかは分からない。目が合ったタイミングで挨拶をした。
「私に何か?」
彼は不敵に一度笑って見せた。なんだかその仕草に少し見入ってしまった。
「先生……そう呼んでみようかなって」
「……え?」
ぽかんとした顔で見つめてしまっただろうか。こちらを見てまた笑った。そんな顔もできるのかという驚きと、どこか安堵してそれは良かったと答えた。
「あんたみたいな先生、初めてだ」
「そういえば……」
彼は何度も転校を繰り返してきたらしい。今は父親と離れ母親と二人暮らし。その影響か家庭の様子もうまくいっていないのだと、彼の担任が言っていた。この事は大丈夫かと聞きたかったが、親しくない私にいきなり言われても嫌だろう。言葉を引っ込めて話題を変えた。
「今日で話すのは二回目だね」
実験室でのことを思い出したのかその眉を少し曲げた。よく見ると髪は多少長ったらしいが、そこから覗く顔の造形は整っていた。もう少し年を重ねてこの男子校から出れば、すぐに同世代の女の子達に人気になるだろうと余計なことを思いながら、その時のことを聞いていた。
「よくあんなにうまく取れたね。多少なら問題ないだろうけど、やっぱり素手で触るのは危険だし。あの時もう少し注意して見ておけば良かったと反省したんだ」
「……ぷっ」
噴き出すようにした彼になぜ笑ったか分からないと聞くと、そっちこそ聞くところが違うだろと答えた。
「いや……だってすぐ洗い流さなきゃ後に残るかもしれないし。まぁ私もあまり詳しくはないのだけれど」
「手袋つけてましたよ。……ま、あれは実験の為にちょっと欲しかったんです。あれを混ぜて植物に与えたらどうなるかって」
「……植物に?」
「弱ると思いますか」
「そうだねぇ……枯れたりするのかな」
「ああ、そうか。育つ前に枯れる可能性の方が高いですね。育てることばっかり考えてたから盲点だったなぁ」
「それを育てて何に使うんだい?」
「……先生は、平和な頭してますね。使い道なんていっぱいあるじゃないか」
「私には思いつかないな」
「思いつかないほうがいいですよ……」
シンとした廊下に誰かの足音が響いた。彼はじゃあといって横を通り過ぎる。そのとき見たどこか寂しそうな横顔が、しばらく離れなかった。
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