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膕館啻

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最後の砦

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力を振り絞り歩き出す。建物に近づいていくと、誰かがそこで待っていた。
「やっとお会いできましたね」
「……貴方は?」
真面目な印象の男は、最初に会ったときの帽子屋と同じ格好をしていた。
「支配人の秘書をさせて頂いております。東海寺と申します」
「貴方が手紙の……」
「はい、そうです。貴方に全てをお話しに参りました」
ベテランの風格という奴だろうか、こんな状況なのに落ち着いている。だけど僅かに焦りが滲み出ているようにも見えた。
真っ黒な建物は天までありそうな高さだ。エレベーターで上へ登ると、ある階で止まった。てっきりすぐに会うのかと思ったら、そこは高級感が漂うレストランだった。夜景が広がっているけど、本当の景色ではないだろう。
「食欲は無いかもしれませんが、少しお休みになってください」
そう言った目元には、少しくたびれたものがあった。この人の苦労が伺えるようだ。
長く黒いテーブルに座らされた。俺たちの他に、シェフや他のスタッフはいない。彼は厨房へ入って、姿が見えなくなった。
少し緊張してしまう。そういえば何も食べていなかったけど……今何時だ? ここに来てから何時間が経ったんだっけ。違和感が頭を過ぎった。ポケットの中には硬い感触がある。それを取り出すと、いくつかの料理を台に乗せて運んできた。
「人手不足でこのようなものしか用意できませんでしたが……」
良い香りと共に、高そうな肉や綺麗に盛り付けられた皿が並べられた。どう考えても充分過ぎるほどだ。
「お好きなだけお取りください。貴方の為にご用意しました……ああ、もちろん無理をなさらないで」
「あ、はい……ありがとうございます」
正直お腹は空いていなかったけど、ここまでしてもらった上に、普段食べられなさそうな料理を残すのはもったいない。彼の方を見てみると、丁寧な手つきでグラスを拭いていた。
「……いただきます」
一口食べて顔を上げる。申し分ないぐらいに美味しい。つい顔が綻んでいたのか、彼は控えめに頭を下げた。
「気に入って頂けたのなら、良かったです」
食べ進めていると、だんだん緊張が溶けてきた。こういう人に世話になるお店には入ったことないけど、上流階級の人にはとても必要な仕事なんだろう。さりげないもてなしがあると無いでは全然違う。ちょうど邪魔にならないタイミングで、皿の片付けや飲み物を入れてくれた。
食事も一段落したところで、彼が目の前に座った。じっとこちらを見る様子は、車の中の帽子屋と似ている。
「そういえば、先ほど時計をお出ししようとしていませんでしたか」
「あ、そうです。ここに何時間いるんだろうって……えっ?」
時計の針は止まっていた。来る前は動いてたはずなのに。
「ここは時が止まっていましてね」
「はい……?」
目の前にある顔は至って真面目だ。
「どういうこと……ですか」
と、思ったらくすっと肩を震わせた。
「ああ、いえ……比喩ですよ。お嬢様がここは時の流れを忘れるぐらい素晴らしい場所だと。まぁ実際に時間を気にする方はいませんし、時計も設置していないのですけどね。お嬢様曰く、ここにいるものは自分を含め、年を取らないそうです」
アリスというのは思った以上によく分からない女の子だ。本当に俺が会いに行ったからといって、彼女をどうにかできるのか。
「こんなことを信じろというのも無理な話ですし、理解なさらなくても良いので聞いて頂けますか」
「……はい」
「そこで厄介なことが一つ。この世界は止まってますが、実際ここから出るとおよそ五十年ぐらいは経っていたり……なんて。まさに浦島太郎状態と言うことになりますね」
「……それもその子が言ってた?」
「すみませんこれは私の冗談です。貴方が驚かないようにと回りくどくしてしまいました。お嬢様は実際の年齢ならもう結構良いお年だというのに、見た目は少女そのものなのです。彼女には自分の思った通り……望んだ通りの世界にする力があるのかもしれませんね」
彼女が望んだ通りの世界……。
「貴方も色々と不思議に思うところがあったでしょう。あのお人形も全てこの世界は、あの子の夢の一部だ。私たちは別次元の、やっぱり夢のなかに閉じ込められてるというのが正しいでしょうか。それから更に厄介なことが……。今のお嬢様は身も心も子供、しかも何も考えていないただの人形のようになってしまった。これでは元凶の彼女にこの世界をどうにかしろなんて言っても、伝わらない」
「じゃあ、どうしたら……」
「でも貴方になら彼女を変えられる力があるかもしれない。彼女の目の前で、時計を見せてきちんと分からせてあげてください。貴方もお嬢様ももう昔とは違う……時間は進んでいるのだと」
あるべきものを、あるべき形へ。それは時間をあるべき時に戻し、あの子の夢を終わらせるということ。帽子屋とリリーから伝えられた言葉だ。時計を見せるという意味だったのか?
「それだけですか?」
そんなちっぽけなことで、本当に変わるのだろうか。
「彼女に現実を見せられるのならなんでも構わないと思いますが、色々試してみましょうか。そういえば貴方以外の人の姿が見えないのを、不思議に思いませんでしたか」
今日は元々休みだったのだろうか。でもチケットは毎日売られていたはずだ。多分。それにしても従業員までいないのはおかしい。確かにそうだけど、何故か受け入れてしまっていた。
「ああ、もしかして貸し切りだとお思いになられましたか? まぁお嬢様にとって貴方は特別ですしね。私のあんな切羽詰まった言い方じゃ勘違いしてもおかしくありません」
「そこまで頭が回らなかっただけですよ。案内はしてもらっていたし……」
「それはすみません。で過ぎた発言をしましたね。言いたかったことは客だけじゃなくて、他の従業員までもう手遅れということです」
「えっ……」
「貴方のご友人含め、皆地下にいますよ。お会いになってみますか?」
「手遅れって……」
「ああ、私の言い方が悪かったかもしれません。私からはもう終わってるように見えるだけ、です。余計悪いですか?」
この人は常識人だと思ったけど、そうでもないみたいだ。なぜかさっきからずっと笑っている。限界を超えて笑えてきたのかもしれない。あまり刺激しないほうが良さそうだと、適当に流した。
「それでは行ってみましょうか。もうお飲み物はよろしいですか?」
「……はい。大丈夫です」
エレベーターに乗り込むと、それは横にも移動した。長い移動の中で上にも下にも動くと、ようやく到着したようだ。
白以外の色がない廊下を歩く。大きな窓ガラスがずっと続いていて、下を覗くと工場のようになっていた。ベルトコンベアーには機械の部品が流れて来る。その中に見慣れたパーツを見つけてしまった。
「リリー……」
彼女と同じ姿の、まだ色の塗られていない銀色の体が数十体並んでいる。リリーが見せたくなかったものは、これだったのか。
「そういえば彼女がガイド係でしたね。アレはテストタイプだったのですが、まぁまぁ見た目もコストも良いと言うことで、更に改良した新たなタイプを作っているようです。これから使われるかは分かりませんがね」
こんな所、見せたいわけがない。でも沢山いたとしても、何十体同じ姿が居ようとも、あのリリーは一人しかいない。俺と一緒にいてくれた、戦ってくれた彼女は……ありがとうと伝えたい相手は、この世に一人しかいないんだ。
不意に出そうになった涙を堪えて、その場を後にした。
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