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膕館啻

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あんなことがあったからか、あまり眠れないまま朝になってしまった。万全の状態で行きたかったけどしょうがない。これを逃すと、決心が鈍りそうだ。
ぼーっとする体を起こして、昨日買っておいた弁当を食べながら、チケット入りの手紙をもう一度眺める。
俺はどうなってしまうんだろう……でも、もう進むしかない。今やるしかない、か。
気合いを入れ直して外を見る。晴天だ。こうしてコーヒーを飲みながら、またこの陽を眺めなければいけない。
「さてと、出るか」
振り返りもう一度部屋を見てから、扉を開けた。

外に出るとなんだか騒がしかった。家の前に近所の奥さんたちが集まっている。どうしたのだろうと近づくと、黒い車が停まっていた。よく見ると左ハンドルのそれは、豪華なエンブレムを輝かせ堂々と光っている。こんな知り合いいたっけと警戒していると、中から男が現れた。
しっかりとしたスーツというよりはホテルマンの制服みたいな出で立ちの男は、青目で彫りが深い。どこかの役者のような姿は、何もかもこの場所には不釣り合いだった。
奥さん達の歓声が響く。有名人なのか? スーパーモデル? 
しかしそんなことを気にしない様子で、男は真っ直ぐとこちらに向かって来た。
「お迎えに参りました」
深々としたお辞儀は、間違いなく俺に向けられている。
「へっ?」
自分でも間抜けな声を出してしまうと、隣で肩を叩かれた。
「あんた! 何があったの!」「実はいいとこの坊ちゃんだったの?」「この人とどういう関係なの!」「きゃーイケメン! イケメンだわ!」
止まらない主婦攻撃に苦笑していると、男は更に近づいてニッコリと微笑んだ。誘うような仕草で、ついてくるように指示する。それにカクカクと変な歩き方をしながらついて行くと、男は車のドアを開けた。
「はじめまして。ご気分はいかがですか? 私共はあの場所から命を受けてここに参りました、と言えばお分かり頂けるでしょうか。お伝えするのを忘れていたのですが、ここからあそこまでの距離を移動するのは、少々労力を要すると思われます。宜しければ私共が、貴方を目的地までお連れ致します」
丁寧口調の言葉が慣れないし、周りからの期待を込めた目も辛い。早くどうにかしてしまいたいと、あまり深く考えずお願いしますと答えていた。
詰め込まれるように車に乗り込むと、窓から奥さんたちが手を振っているのが見えた。笑おうとしたけど頰が引きつる。控えめに手を振り返した。

車が出発して少し力が抜ける。今気がついたけど、椅子が横向きのようだ。車のサイズはそんなに大きくなかったけど、中身だけならリムジンみたいだ。運転席の方は赤いカーテンで仕切られ、見えないようになっている。
今座っているのは真っ白で柔らかな手触りの、間違いなく本物の革。本物をよく知らないけど、さすがに良いものだってことぐらいは分かる。
上には小さなシャンデリアもあるし、なぜか天使の置物やら壺なども置いてあった。汚したり傷をつけたらと考えるだけで恐ろしい。この空間全てのものが高級感を漂わせていた。
「あの、少々よろしいでしょうか」
そんなことを呑気に考えていると、男が声をかけてきた。そういえば日本語が上手いなこの人。全然違和感がない。
「あ、はい!」
キョロキョロとしていた視線を戻して、不自然に背筋を伸ばす。そんな様子に軽く笑うと手で制した。
「そんなに緊張なさらなくて大丈夫ですよ。私のような者に気を使われる必要はございません。ああ、挨拶が遅れましたね。私は主側近の……身の回りなどの世話係と言えば分かりやすいでしょうか。それらを勤めております城崎と申します。運転しているのは田中です」
「は、はぁ……」
存在するんだなぁ、こういう人達。オープンの時もそうだったけど、金に糸目をつけない本当のお金持ちなんだ。知れば知るほど現実味がない。
「よろしければ、何かお飲み物などいかがですか」
「あ、じゃあお願いします……」
かしこまりました、城崎はニッコリ笑って端に寄った。真っ黒の四角いものは何だと思ったら、冷蔵庫らしい。
視線が自分から外れたことでホッとしたのもつかの間。ちょっと待てよ……本当にこれは遊園地に勤めている人なのか? 証拠は? ……けど俺の家知ってたし、行く日も知ってた。も、もしかしてチケットとか狙ってたりするとか! 俺まさか拉致られたのか!
 今になってあっという間に飲み込まれてしまった自分に後悔する。あれだけ気をつけて準備してきた割には、既に相手のペースにハマってしまっている。
どうしよう……まずは冷静にならないと。まぁこれだけの金持ちならわざわざチケットを取る必要もない訳で。プレオープンのチケットは配られた人がはっきりしているから入手するのは難しいけど、今のチケットならそれよりは取れやすくなっているだろう。誰かがオークションにでも出してるだろうし、それを取ることも容易だ。そしてコネも持ってるだろうから、上流階級の間で譲ったりなんだりしているのではないだろうか。イメージだけど……あれ? 待って。この人達がめちゃくちゃ悪い人だったら? この車もどこかから盗んできたものだったりして……と、なるとやっぱり目的はチケット? いや、ならあんな騒ぎにはしないだろう。奥さん達にばっちり見られてるし。この派手な顔を隠さないのは不自然だ。
まぁ俺の住所と行く日を知っていただけで信用に値すると思うけど、警戒するに越したことはない。本当に遊園地側の人間であったとしても、もしかしたらそれが一番危険なのかもしれない。あの普通じゃない場所から来た人達。とりあえず様子を見よう。窓は開くか? なんだこれ、どうやって開けるんだ……。
「どうかなさいましたか」
「わっ!」
尻餅をつくように体の向きを変えた。窓の外をわくわくしながら眺めている子供のような姿勢になっていたのが、恥ずかしい。
「室内の温度が高いでしょうか」
「い、いえ大丈夫です」
男は出会ってから薄い微笑みを浮かべたまま、表情が変わらない。こちらをどう思っているのか読めそうになかった。
自然な流れで、机の上に鮮やかなピンク色の飲み物が置かれた。
「先ほど取り寄せた果物でスムージーを作ってみました。お口に合えば良いのですが」
「あ、ありがとうございます……」
自然に振る舞おうと思ったのに、次の挙動に戸惑ってしまった。不自然に数秒間が空いてしまう。
「別のものを用意しましょうか」
「いや、これで良いです。すいません、ボーッとしちゃって」
「お気になさらず」
飲みにくいと察してくれたのか、彼は視線を逸らした。体のどこかでホッとする。慣れていないのもあるだろうけど、これだけ整った顔と向き合うのは、思った以上に緊張するらしい。頭の中に、毒攻撃でじわじわとHPを削られている勇者の姿が浮かんだ。
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