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膕館啻

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《1》

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この世界が自分の居場所ではない。漠然とした、しかし確かな思いがずっとあった。
どうしてそんなことを思うのだろうか。自分はこの世界で生まれ、平凡ながらに生きてきたのに。
特筆すべきような過去はなく、普通に流されるように成長してきた。それなのに、満たされない穴が心に空いている。何をしてもどこへ行っても、何を見ても、空っぽの穴。これを埋めてくれるのは何なのだろう。それは存在するのだろうか。自分は一生どこかの、触れることのできないそれを求めていくのか。それが何か分からないまま死ぬのか。
踏切越しに空を見上げる。淀んだ色が、世界そのものを染め上げてしまったみたいだった。
騒音の中を歩く。いつもどこかへ帰りたかった。家にしか帰る場所がないのに、それ以外の場所がある気がした。でも結局そんなものはない。見慣れた道を同じ速度で歩いた。
きっと自分は恵まれているのだろう。不満があるわけじゃない。満たされ暇になった余裕が、空虚さを際立たせている。ある程度の欲が満たされれば、生まれるのはもっと飢えた欲だった。
求めすぎているだけなのか。期待をし過ぎているのか。いるのかも分からない、自分を本当に理解してくれる存在を探している。
暇というのはもしかすると、一番厄介な存在なのかもしれない。暇の為に死に、暇に殺される。身体的にも精神的にも。
だからこんな毎日の繰り返しには、不満が溜まっていった。贅沢な、しかし確実な苦しみだ。
「また、同じような一日を繰り返した」
戒めの為に呟いてみて、ベッドに横になる。
右を向くと、変わり映えの無い白い壁が静かにこちらを見つめていた。ポスターも貼っていない自分の部屋は、酷く無機質に見える。
つまらないな、とそんな陳腐な一言で済ませてしまうしかないのだけれど、最近は特にそう感じることが多かった。
生産性のない行動の繰り返し。明日もまた起きて、何も無いまま眠って終わる。
こんな風に考えているから、自分自身が冷めているから、日々の新しい感動を感じることができないのかもしれない。だから自分に責任があるのは分かっている。
けれどこの永遠に続くような漠然とした倦怠感は、なかなか消すことができなかった。突然全てを注げるような趣味が見つかるとも思えないし、それすらもどうせ終わりを告げるということが目に見えている。
お決まりの自己嫌悪をしたところで無理やり布団に入り、眠気は無かったけど瞼を閉じた。

不快な音で目が覚めた。溜息を吐いてボタンを押す。嫌いだからこそ効果があるのだろうが、この甲高い音は慣れそうにない。またこんな音に支配されて目覚めなければならないのかと思うと、更に憂鬱だった。怠い体を起こしながらカーテンを開け、思わず目を細める。
「眩しい……」
気分が晴れていたら、爽やかな朝というやつも悪くないのだろう。しかし今の自分にはただ迷惑な存在となっている。こういうものを素直に楽しめていたら、きっと清々しい一日になるんだろう。でもそんな人間はきっと少ない。
支度をして下へ降りる。今日も特に変哲の無い朝食を、ほとんど無意識に口に運んだ。
隣でテレビを見ていた母が急に声を上げたので、反射的に顔をそちらに向ける。鬱陶しいアナウンサーが、いつも以上に興奮した様子で盛り上がっていた。朝から元気な奴らだ。
「皆さんおっはよーございまーす! 大ニュースですよ! もう年末ですが今年……いや近年の中で一番のニュースかもしれません! いやぁ楽しみですねえ!」
ドンッという効果音が聞こえてきそうな勢いで後ろを指差した。やけに大げさに盛り上がっているそいつらの後ろのスクリーンには『大型遊園地、日本に設置決定!』と書かれている。
新しい遊園地ができるらしい。確かにこういう話題は盛り上がるだろう。そういえばここ数年、こういう場所に行ってない。
「つい先程この情報が公開されたばかりでして、それに伴いサイトの方もオープンしたようです。まだトップページしか見られないのですが、既にムードむんむん! いやぁ何でしょうこの引き込まれる感じ……ゴージャスでラグジュアリーでミステリアスでファビュラスでエモーショナルな……! 期待大ですねぇ。あ、ただいまサイトが混雑しているようなので、時間をおいてからのアクセスお願いしまっす」
これがニュースキャスターなのだと思うと、頭が痛くなってくる。どうしてこいつを起用したんだと呆れながら見ていると、母親が音量を上げた。
「とは言っても待ちきれないでしょう。皆さまこちらをご覧ください!」
後ろのスクリーンに、そのサイトのものだと思われる映像が流れ始めた。
最初に聞こえたのはオルゴールの音。真っ暗な画面にスポットライトが当たると、赤いカーテンが現れた。ここはどこかの舞台上らしい。
光は大きくなり、薄暗く全体を照らしている。突然シルエットで、一人の人間が現れた。スモークが焚かれ、辺りは白いもやに包まれ始める。その中から出てきたのは、ピエロの格好をした男だった。
他に何もない舞台の上で、その存在を嫌でも惹き立たせている。顔は笑顔と涙が半分、上下逆さまに描かれた仮面に覆われていた。
そのピエロは、人を楽しませようとしているようには見えなかった。目のくり抜かれた部分から僅かに見える瞳は、何も映し出していない。表情が無く、人ではないと言われても納得してしまいそうだ。本当にロボットなのかもしれない。
誰かの指示通りに動くただの機械。そう思うのは、道化師なんて存在に慣れていないからだろうか。ちょっと不気味だ。
《coming soon!》その手には金で作られた文字のプレートを持っている。
ピエロがお辞儀をすると、すうっと煙に溶けるように消えていった。舞台の幕がゆっくりと開かれる。
そこからは通常の、よく見るホームページが現れた。といっても、かなりデザインが凝られている。サーカスの舞台を想像するような作りになっていた。
「ふふふ、謎がいっぱいですねえ。皆さん気になってきたんじゃありませんかぁ? そ、し、て、なんとまだまだ凄いニュースがあるんですよ……デデンッ! オープン前に五千人ご招待ー拍手! はいこの太っ腹企画! いかがですか、お客様!」
「注意事項によりますとマスコミ関係者、取材は一切禁止。性別職業年齢問わず、誰でも招待すると書いてありますね。一切の転売、譲りは禁止だそうですから、皆さんそういうツテはアテにはできませんよ。誰が選ばれるか本当に分からないんですね」
「ペア応募なので実際には二千五百組ということになりますか。応募方法はサイトに繋いで、意気込みなどを書いて送るだけ! 簡単! だから一応運だけではないぞということなんですかねぇ。でもこんなニュース久々ですから、きっと世界中から応募が集まりますよ! 全て丁寧にチェックするなんてことがあるんでしょうか……やっぱり多少の運も関係するのかな? それとも見てもらうなら早い方が有利かも? いや、インパクト勝負か……っ!」
選考基準は感想、その中から五千人を選ぶなんて確かに例を見ない、ちょっと変わった企画だ。
「ここで遊園地の支配人さんから、皆様へのメッセージがあるみたいですよ。サイトから見ることができますが、まだ見られないと思うんで、こちらをどうぞ!」

――私の夢へようこそ。
貴方は何を期待して来たのかしら? 何を想像したかしら。
ここに来たということは、少なからず興味があるってことだと思うわ。でもここは私の夢なの、楽しいだけの場所じゃないかもしれないわ。ちょっぴり怖かったり、奇妙だったり。でも、貴方の想像以上の世界が待っているはずよ。
今までの世界には無かった、今まで味わえなかったものを手にするチャンスがここにある。
つまらない世界に手を振って、私と一緒に本当の夢を見ましょう。
私が、見せてあげる。
最高の快楽を――貴方をいつでもお待ちしているわ。

いつのまにか手が止まっていた。それから無意識に笑っていたようで、顔を戻す。
なんだろう、どこかでしっくりきたような。熱がほんの少し灯った感覚。久々に興味が惹かれそうな話題だった。本当にこの味気のない日常を変えてくれるのなら……。
「ねぇ楽しそうじゃない? 行ってみたいわぁ。でもパソコンよく分かんないから、あんた応募しといてよ」
「えっ……」
話しかけられてハッとした。画面内に表示されている時刻は、いつも出る時間から五分ほど過ぎている。
後で詳しく見てみると告げて、鞄を掴んだ。駆け足気味に扉を開ける。
「……行ってらっしゃーい」
後ろから聞こえた声で、母がどんな顔をしているのかは容易に想像できた。
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