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第一章 元魔王幹部アラブット蹂躙編

感触、記憶、慟哭

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 セーラの部屋の扉の前、俺は深呼吸を一回行って気持ちを落ち着かせる。
 あのキスの時からなんだかんだとドタバタしていて、二人きりで話すことはなかった。
 だから、緊張しないと言えば、嘘になる。

 軽くノックをしてみると、中からどうぞ、なんて言葉が返ってくる。しかし、その声音は震えていた。ドアノブを握る俺の手も同じように震えている、緊張は止まることを知らないらしい。

 ベッドに腰かけた彼女は、いつもはお団子にしてそこから垂らしているツインテールをほどき、髪を下ろしていた。
 いつもよりも長くなった髪の毛は彼女を大人びて見せた。

 濡れたルビーの瞳は、扉を開けて呆然としている俺をじっと見つめていた。
 その陶磁器のような滑らかな肌に、整った顔つきは時間を忘れさせる。
 俺は無意識のうちにつばを飲み込んでいた。

 そこで我に返って、慌てて俺は彼女に尋ねる。
 

「それで、話ってなんだ?」
「それはですわね――」

 セーラは顔を俯かせると、前髪が瞳を秘匿する。赤の煌めきはこちらに表情を読ませない。
 だけれども、耳まで染めたもう一つの赤さが彼女の感情を物語っていた。
 やはり、その声は震え、そして小さかった。

「わたくしと寝てほしいのですわ」

 聞き間違ったかと思った。
 なぜなら、それは一つも予想していなかったことなのだから。
 だから、俺は大声をあげて聞き返してしまう。

「えっ!? なんだって?」
「き、聞き返すのはずるいですわよ」
「わ、悪かった」

 頬が熱い、顔を上げたセーラも顔が真っ赤だ。
 目と目が合うと、お互いに恥ずかしさを覚えて顔をそらしてしまう。
 心臓の音がやけにうるさく感じた。

 俺はごにょごにょと濁した聞き方で審議を確かめる。
「その、寝るってのはその――――――」
「そういう、意味ですわ」
「そういう意味って……」

 言い切られるのだ。
 つまり、男女の営みという意味なのだろう。お互いに相違点がなければ、そういうことなのだろう。
 俺の頭の中で、クエスチョンが鳴り響く。それは完全に状況についていけていない証拠である。
 あんぐりと開いてしまった口をパクパクさせても何も言葉が出てこない。
 そんな俺を見たセーラは少しだけふわりと笑い、髪をかき上げる。

「前に、キスしたことを覚えていますか?」
「……あぁ、あの時のことは俺も忘れられない」
「忘れられないなんて」

 今度はセーラの視線が泳ぎ始める。俺もまた泳がせており、彼女を直視できない。

 そして、キスの感触はいまだに唇に残っていた。
 彼女を目の前にして、また鮮明さを取り戻しはじめて、顔の熱さを加速させる。
 俺は思わず顔を手で押さえる。

「他意はないんだ、――――――いや、なくはない、ともいえる」
「それは少なからず、わたくしのことを意識してくださっているということですわよね!」
「まぁ、セーラは可愛いし、意識するなって方が無理だ」

 お互いに墓穴を掘りあっている気がする。
 彼女の言葉に俺が反応し、俺の言葉にセーラが反応する。
 恥ずかしさの無限機関が完成してしまった。

 目を見開いたセーラは俺の手を掴み、引き寄せる。冷たい感触が皮膚を通して、脊髄で反射の反応を起こす。
 
「か、かわ――、それよりもウォレン、わたくしたちは結婚、しているのですわよ」
「それは、契約のことだろ」
「……それはそうですが、わたくしは、その」

 そして、彼女は俺の手を掴んだまま、後ろへと倒れ込むのだ。

「えいっ」
「おい、危ないって」

 引っ張られる形で俺は彼女に覆いかぶさってしまう。
 慌てて、手をついて体重をかけないよう体を浮かす。
 そこで彼女の濡れた瞳が悪戯をするよう子供のように俺に視線を投げかけているのに気づく。



「セーラ、まだ体調が悪いのか?」

 俺の今までの経験則からとった誤魔化し、照れ隠しの言葉は彼女には通用しない。
 セーラは俺の首に手を回し、彼女の方へと近づけるように力を込めた。

 それはお互いの顔を目と鼻の距離を縮めさせる。

「おい、近いって!」
「近いと何か問題があるのでしょうか?」

 甘い言葉が耳元でささやかれる。そのこそばゆさに俺は体に電流が走るような感覚に悶えることになる。
 そして、さらに彼女は吐息交じりの声でそっと呟くのだ。

「ウォレン、少し目をつむって」

 もう、俺にはその通りにする以外の選択肢がなかった。思いつかなかった。脳みそが停止を選んでいた。
 だから、言われたとおりに瞼を閉じる。




 記憶での感触よりも柔らかいものが俺の唇にあたった。




 やさしく、そっと、大切なものに触れるように、それは熱さを伝える。

 しっとりとした彼女の唇は甘さだけを残して、そっと離れる。

 目を開くとセーラは優しく微笑んでこちらを見つめていた。

「……前に、キスした時にスキルの技能が解放されたことを覚えておられますか?」
「あぁ、あの後からネームドがちゃんとできるようになったな」
「わたくしもあの時から気づきました。 <魔王の娘>の加護は関係が進むほどにその効力を増すのですわ」

 そんな言葉は、俺を現実へと引き戻す。彼女の行動の意味が理解できてしまうからだ。
 そのことに気づかずにセーラは唇を動かし、話し続ける。続けるのだが。

「だから、わたくしがウォレンの助けになるには、この身をささげるのが――――――」
「やめろ」

 俺は彼女を遮るのだった。

「そういった自己犠牲はダメだ」
「ですが、わたくしだってウォレンのことをす――――」
「俺を助けたいからって理由でセーラと関係を持ってもうれしくない」

 本音であった。
 据え膳食わぬはなんとやらなんて言葉があるが、俺には関係ない。
 首からセーラの手が離れて、ベットの上に落ちる。

「……ウォレン」

 彼女は、眉をひそめて俺の名前を呼んだ。
 だから、俺はは彼女を否定するのだった。

「セーラは、俺のことを捨てるつもりでいるくらいがちょうどいいんだよ。いなくなったら、次を見つければいいみたいなさ」
「ウォレンこそ、そんなこと言わないでください」
「でも、俺はセーラの助けになりたいと思っている。そのためにはそう思ってもらった方が都合がいい。 違わないか?」
「違います! 全然!」
「ほら、セーラだってそう思うだろう?」

 そう言った所で、セーラはハッとする。
 同じなのだ、俺も彼女も。誰かのために生きていたい。その一心で動いている。

 少し前まで俺はそれに気づいていなかった。

「もう、血を分けた家族みたいに思っているんだ。 だから、自己犠牲の精神はもうやめよう。俺は今までラビーニャを言い訳にして色々と無茶をやってきた。今度はセーラを言い訳にしようとしていた」

 救ってもらった恩を返すため、そのためにセーラを助ける。そう思っていた。
 しかし、今は違う。

「だけど、そういうのはもうやめだ。俺も、俺の意思で道を作りたい。俺の意思で、アラブットを倒したいんだ」
「だったらなおさら、わたくしを抱いたほうが」
「言っただろう、血を分けた家族みたいに思っているって。俺にとっては妹が一人増えたようなもんだよ。だから、ここはお兄ちゃんに任せてセーラは休んでくれていいんだぞ」

 体を起こして、俺は彼女の隣へと寝転がる。
 そして、不安そうな表情に移り変わった彼女に笑いかける。

「あぁ、魔法の練習をしてくれた方が助かるかもな。これからはもっと働いてもらわないといけないぞ」
「わ、わたくしも」
「任せておけって。策を練って、そして挑んで、頑張ってそれでもだめだったらとんずらするさ。命ある限りいろんなことがあるんだからさ」

 ずっと言っていたことだ。
 どうしても無理なら逃げればいいのだ。無理してまで自分を壊す必要なんてどこにもない。
 いつか、それを叶える。次に力を入れる。はたまた諦める。
 その繰り返しで俺たちは生きているのだ。

 俺はそっと彼女の頭を撫でる。
 すると、潤んだままの瞳から雫が零れ落ち、それを起点として決壊したようにあふれ始める。
 彼女は俺の胸に頭を付けて嗚咽を漏らした。

 だから俺は何も言わずに背中を優しくたたいてあげるのだった。

 そしてしばらくして、彼女は静かになる。
 涙の跡が頬に残っているだけで穏やかな寝顔だった。

「泣き疲れたか」

 彼女が感情の爆発をみせるようなことは、出会ってから一度もなかった。
 きっと色々とため込んでいたのだろう。

 そっと頭を撫でる。さらさらとした髪は光を微手キラキラと輝いて見えた。
 やっと一息を付ける、そう思ったときである。

 部屋の扉が少しだけ開き、ラビーニャが顔をのぞかせるのだ。 
 
「兄さん、ご無事ですか?」
「あっ」

 彼女の隣に寝転がっている俺を見て、ラビーニャの笑顔は殺意の波動を放ち始める。
 にゅっと部屋に入り込んだ彼女の手元には包丁が握られていた。
 いつも持ち歩いているのだとしたら、ちょっとした恐怖である。

「そ、その女は兄さんの体に――――」
「まてっ! 誤解だ、未遂なんだ!」
「未遂ですって、じゃあなおさらこれから間違いが起きないように、私が間違いをおこしてみせますね」
「落ち着け。ゴブたろう、来るんだ! ポチ太を呼んでくれ!」

 そう念じたところで返答はない。
 だから、俺は立ち上がり、ラビーニャを止めるべく立ち向かうのであった。

「うおおおおおおおお! 兄さんの仇!」
「俺を勝手に殺すな!」


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