その身を賭けろ

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勤務時間外

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 結局それから夕方までメールの返事はなく、旭は車を回してカジノへ向かった。今日は懐は潤っているが、アルコールを飲む気はない。もし葉月が飲んでいたら自分の車で連れ帰ろうと思っていた。いつも乗せてもらうばかりだから、たまには助手席に彼を乗せてドライブもいいかと思ったのだ。
 これから楽しいカジノへ行くというのに、葉月のことばかり考えている自分に気づいて苦笑する。
 彼女ができた時もこんな感じであれば、きっとフられることはなかっただろう。
 
 カジノへつくと、まずは葉月の姿を探した。彼はブラック・ジャックの台について、場を賑わしているようだ。
 
「ダブルダウン」
 
 葉月の隣の男が葉月を意識しながらベットを倍にする。葉月が同じようにベット数を上げると、何名かが降りた。
 ディーラーの手元にあるカードはK。かなり有利だ。この状態でダブルダウンするなら、葉月の手札はどれだけいいのだろう。
 もし旭があの場にいれば、どんなに自分が不利でも勝てる気がしてそのまま賭けている。そして負ける。

 しかし葉月は見事に勝った。それは鮮やかな形で。

「おれの勝ちだな」
「まいりました。葉月さん、定石ではありえないチャレンジして、必ず勝つから凄いです」
 
 ディーラーがそう言って、上品に微笑む。それを合図に、ドッと歓声がわいた。
 ブラック・ジャックはプレイヤー側が戦略を練りやすいゲームだ。しかし葉月のプレイは戦略にのっとったものではない。どんな変則的な戦法でも勝つのが、葉月の凄いところだ。
 
「も、もう一回勝負だ!」
 
 コールにノッた一人の男が息巻き、葉月に勝負を持ちかける。
 
「引き際が読めないと、負けがこむぞ」
 
 それをフッと軽くかわす。葉月はそこで初めて、旭がギャラリーの中にいることに気づいたらしく、名前を呼んで、たたたっと駆け寄ってきた。

「旭」

 羨望の的である葉月が真っすぐ自分のところにくるのは、たまらない優越感だ。もちろん、それだけではない嬉しさもある。
 
「いつ来たんだ?」
「今さっき……」
 
 メールの返事がこないことにふてくされていたが、葉月の顔を見れば雪どけのように心がほどける。春日ではないが、胸の中を占めるのは春色の気分だけだ。
 
「もうブラック・ジャックはやらないのか? せっかく勝ってたのに」
「引き際が大事だからな。やりたければお前がやってくるといい。おれはポーカー台のほうにいるから」
 
 そう言って身を翻そうとする葉月のコートを、つい掴んでしまった。まるで行ってほしくないとでも言うように。
 
「あ……」
「どうした?」
「お、俺もポーカーやろうかな」
「やめとけよ。おれとゲームやったら負けるぞ、お前」
「そんなの、やってみなきゃわからないだろ」
「わかる。なら、賭けるか? もしお前が勝てたら、好きなだけキスしていいし、抱きしめて寝てもいいぞ」
「ほっ、ほんとに?」
「ああ。ただし負けたら……。そうだな、2時間はマッサージしてもらうかな。どうだ? 乗るか?」
 
 どちらにせよ、葉月に触れるということらしい。旭はこくこくと頷いた。素直になれない葉月がわざと負けてくれ、たくさんキスできるような、甘い展開まで考えた。それでなくとも、勝てるような気がした。
 クールにポーカー台へ向かう葉月と、跳ねるような足取りで後ろをついていく旭。飼い主と犬のようで、一見微笑ましい光景だ。しかし、それを好ましく思わない人間も確かにいることを……恋に目が眩んでいる旭は、気づいていなかった。
 
 ……そして当然のように、賭けには負けた。





 ブラック・ジャックの台では、あのあとディーラーがナチュラルブラック・ジャックを出したらしい。葉月に勝負を挑んでいた男もそれで諦めたのか、既に台にはいなかった。
 
「葉月強すぎだろ……。本当、強すぎ」
 
 ポーカーで負けてからも、一緒にスロットやルーレットを回ったが、葉月はそれらをすべて勝っていた。
 
「おれからしてみたら、全部負けるお前も凄いけどな。普通、多少は浮き沈みするが、全部沈んでる」
「今日はちょっと、いつもより調子が、よくなかったかな」

 実際、旭はいつもこんな感じだ。わざとらしく強がってみた台詞に、笑って返す葉月。
 
「おれがお前の運、吸ってるから」
 
 ツキのイイ相手に対して運が吸われたなんて、よく使われる軽い冗談。
 前までなら、普通の態度でいられた。だが、今は葉月がそれを気にしていることを知っている。
 
「嘘だよ。俺、葉月がいなくても、いつもこんな感じだ」
「だと思った」
「……でも、いつもより、凄い楽しかった。葉月と一緒にいられて、騒いでさ」
「相変わらず恥ずかしいヤツだなー、お前」
 
 気にしているのかいないのか、表面上は変わらず見える葉月。表情や心を隠すのはお手の物だろうから、見えるものだけを信じないほうがいい。
 そうわかっていても、葉月が笑えば旭の胸はときめくし、嬉しさでいっぱいになる。
 
「それじゃ帰るか。なあ、飲んでるなら今日は俺の車に乗って帰らないか?」
「んー……。そうだな。タクシー代わりに使ってやる」
「やった! 葉月を助手席に乗せるの初めてだし、凄く新鮮」
「変なトコ連れ込むなよ?」
 
 言われて、葉月とラブホテルへ行く妄想を思わずしてしまい、頬を染めた。
 
「……お前、マジで?」
「いやっ、これは、そうじゃなくて。ただ、アミューズメントみたいな感じで葉月と行けたら面白いかな的な……」
 
 旭はどこまでも嘘のつけない男だった。口を開けば開くほど墓穴を掘っていく。

「まあ、一緒に寝てるのに手を出してこないような男に、そんな度胸があるワケもないか」
 
 不名誉な納得のされかただが、信頼を得ているのだと自分に言い聞かせる。
 男は狼なんだからなと訂正しようと思ったが、わざわざ不利になるようなことを言うまいと口をつぐんだ。そもそも葉月も男で、それ故に多少危機感の薄さはあるが、一応の警戒をしてはいるらしい。このように緩んでいるのは、自分に対してだけ。そう思えば暴言も可愛く思えてくる。
 
「そうそう。だから葉月は安心して、助手席に座ってればいいんだ」
「旭のクセにカッコつけやがって」
 
 ふ、と笑って葉月が旭の背中を軽く叩く。何気ないやりとりが楽しくて温かい。しかも今からドライブが待っている。ウキウキした気分で連れ添ってカジノの外へ出ると、葉月が道と旭の顔を見比べた。
 
「で、お前の車はどこに停めてあるんだ?」
「あー、葉月と同じところはもう全部埋まっててさ、ひとつ先のパーキングエリア。少し歩くけどいいか?」
「ああ。酒飲んで身体がほてってるから、夜風が冷たくて気持ちいいし、歩くのも悪かない」
 
 アルコールを摂取してない旭には、どちらかといえば気持ちいいというより寒いの領域だ。
 普段冷たい葉月の手の平が気になって、歩きながらつい手を取る。こんな行動も、もう何度目だろうか。葉月もまったく驚かなくなってしまった。
 
「冷たッ! ほてってるとか言って、手が氷みたいだぞ」
「じゃあ、お前があっためてくれたらいい。ほら、体温吸っちまうぞ」
 
 ぎゅうっと強く握られて、手の平が同じくらいの温度になっていく。
 
「葉月が望むなら、身体ごとあっためてあげるのに」
「……スケベ」
「えっ、ちが! 抱きしめるって意味で!」
「こんな場所でそれ以外のナニする気だよ」
 
 結局翻弄されるのは、旭のほう。
 そんな幸せな一時に、突如終わりが訪れた。
 横から何かが振り下ろされる気配を感じて腕を上げた。鈍い音と痛みにもっていかれそうになる意識を奮い立たせ、隣にいる葉月を庇うように後ろへ押し退けた。
 
「いっつ……」
「旭!」
 
 目の前にいたのは、先程ブラックジャックで葉月の隣に座っていた男だった。
 
「男は無理だと言っておきながら、そいつはなんなんだ!」
 
 キレて、目が血走っている。男が初めに狙ったのは旭だったが、葉月に対しても殺意が見てとれた。
 背も体格も旭を上回っている上、鉄パイプを手にしている。通り道に工事現場があったので、そこから拝借してきたのかもしれない。
 慣れないナイフを使われるよりも、リーチのある長物のほうがタチが悪い。
 
「コイツは友人だ。だいたいお前、負けただろう?」
 
 葉月がこんな事態だとは思えないほど、静かで冷たい声を出す。どんなに火がついている男でも、冷水を浴びさせられたようになりそうだ。

「あんなの、イカサマだ。そう……お前ディーラーと組んでたな? お前が抜けたすぐあとでナチュラルブラック・ジャックなんて、できすぎだ! してないというなら証拠を見せろ!」
 
 しかし男は頭に血を上らせたまま、そう叫ぶ。

「……悪魔の証明か」

 葉月が溜息をつく。していない、ことを証明するのは難しい。
 それにこの勢いでは何を言ったところで聞きやしないだろう。

 葉月はか弱い乙女ではなく、いざ乱闘になればそのまま戦力となる。男も一対ニであることは理解しているのか、間合いを測っているように見えた。恐らく喧嘩慣れしている。きっと勝ったとしても、無傷では済まされない。

(既に……無傷ではないけどな)

 旭は鈍く痛む左腕腕を押さえた。
 
「引き際を見極めないと負けが込むと忠告してやったのに。コイツは無関係だから手を出すなよ」
「葉月! 俺はお前の友人だけど、ボディーガードだ」
「勤務時間外」
 
 葉月の声は相変わらず、氷のように冷たい。

「で。おれはどうすりゃいいんだ?」 
「そうだなぁ。まずはお前の両手両足の筋を切って、その後で散々犯してやるよ。いいクスリがあるから痛みは少なくて済むと思うぜ」
 
 二人がかりならばなんとかなるだろうに、自らの身を危険に晒そうとする葉月に腹が立った。なんのためにボディーガードを申し出たと思っているのか。
 
「でもそれには隣の番犬が邪魔だ。今にも噛み付きそうで、主人の言うことはききそうにないな」
 
 旭と葉月の意志がバラバラで、今なら勝てると踏んだのか男が鉄パイプを手に殴り掛かってきた。狙いは旭のほうだ。相手が長物を持っている場合、横や後ろへ避けるのではなく、振り下ろされる瞬間にギリギリでかわし、武器を叩き落とすほうがいい。
 旭は神経を集中させ、目の前の男を見据えた。
 
「ぎゃあっ!」
 
 しかし男は旭にたどり着く前に悲鳴を上げた。手を押さえ、地面に血液と鉄パイプが落ちる。
 
「旭!」
 
 名前を呼ばれ、ハッと顔を上げる。
 旭は凄い形相で体当たりしてこようとする男の前で更に低く身を屈め、そのまま足で顎を蹴り上げた。
 
「う、ぐぐ……」
「葉月、警察に電話」
 
 地面には、鉄パイプの他に葉月が投げたのだろうダーツが転がっている。うずくまっていた男も、どさりと地面へ崩れ落ちた。

「過剰防衛かな……。ニ対一だし」
「大丈夫だろ。さっきの会話、ボイレコに入れてあるし、こいつヤクもやってるみたいだからな」
 
 葉月がなんでもないように言いながら、コートの胸辺りをトントンと指し示す。
 葉月は痩せてはいるが女性らしさはカケラもないし、弱々しくも見えない。どんなに演技をしてもその瞳の強さから、被害者面だけするのは難しいと言える。しかし、先程の会話が録音してあるというなら話は別だ。
 
「手慣れすぎてないか……?」
「実際、慣れてるからな。よくある、って言っただろ?」
 
 旭は『これは、過剰防衛で一度や二度、警察のお世話にはなっているかもしれない』と思った。
 葉月が警察に電話をすると、男が動けなくなっている間に駆け付けてくれた。それで終わりというわけにはもちろんいかず、同行し面倒な事情聴取が始まった。
 旭は旭で職業柄警察慣れをしていて、見知った刑事も何人かいる。その旭の話と葉月のボイスレコーダーが幸いして、拘束時間は短くて済んだ。
 葉月はやはり、ストーカー被害者として何度か警察に来ていたと、馴染みの刑事が教えてくれた。
 
 駐車場近くまで警察に送ってもらい、旭はついに念願叶って助手席に葉月を乗せることができた。
 ……だが、ここまでの諸々から嬉しさよりも怒りのほうが胸に込み上げてくる。
 
「何度かこういう目にあってて、浅黄さんから警告もしてもらってて、なんでボディーガードの契約を解除したんだ」
「お前がいるから」
「茶化さないでくれ。だいたい、勤務時間外だとか言って、遠ざけようとしたクセに。俺と会うまで雇ってもいなかったし……」
「……雇ってたコトはある。でも、まあいろいろあってな……。あと、24時間お前のコトを拘束したくないんだ」
「な、なんだよ、それ……」
 
 怒りがみるみるうちに、萎んでいく。葉月は卑怯だと思う。わざと、旭の怒りが続かなくなるような言葉を選んでいるのかもしれない。

 旭は別に、自分を雇えと言ったわけではない。なのに、葉月は旭を雇うことを前提に言ったのだ。まるで、それしか選択肢がないかのように。
 
(俺以外雇うつもりがないとか、酷い殺し文句だ……)
 
 無意識ならば、尚更グッとくる。
 葉月はつまらなさそうに窓から外をぼんやりと眺めている。この会話は、彼にとって好ましくないらしい。
 
「それにしても、ダーツで攻撃ってさ。本当にどんなゲームだよっていう……」
「お前がくる前、カジノで少しやってたんだ。さすがにトランプを武器にするようなファンタジーさは持ち合わせてないな」
 
 ようやく葉月が旭のほうを向いて、楽しそうに笑った。
 
「ダーツケースも、持ち歩いてる」
「よくケースから出す余裕があったな」
「嫌な予感がしたから、一本だけそのまま、内ポケットに入れておいたんだ」
「……慣れてる慣れてないの前に、準備がよすぎる。できすぎてる」
 
 少しだけ目を泳がせた葉月に、旭はピンときた。
 
「そういえば、会話の流れ的に個人的に賭けてる感じだったな。まさか、勝ったらヤらせてやるとかなんとか、言ったんじゃ……」
「勝てるってわかってたから、いいんだよ」
「よくない! 万一があるだろ! だいたい、俺には勝ったらキスとハグなのに見知らぬ男にはそんな! ズルイ!」
「お、落ち着けよ。お前論点ズレてきてるぞ」
 
 さっきまでは甘い気分だったのに、今度はイライラする。感情が揺さぶられすぎて吐き気がしてきた。
 
「俺は24時間、葉月に拘束されたって構わない。心配なんだよ。だから、頼むから危ない賭けには乗らないでくれ」
「……わかったよ」
 
 エンジン音も、車が走る音も遠い。葉月の声だけが耳に入っていく。
 もし葉月が賭けに乗っていなかったとしても、きっと似たような結果になっていただろう。
 こんなに頻繁にこういった状況に見舞われて、よく今まで無事でいられたものだと思う。
 
「毎日のようにあるのか? こういうこと」
「いや……さすがに、それは」
 
 歯切れが悪い。

 もしかすると。と、旭はあるひとつの考えに思い当たった。
 確かに葉月は声をかけられることが多いかもしれない。けれど、襲われるのはまた別だろう。このスパンはさすがに考えにくい。
 
(もしかして……俺がいる、せい?)
 
 少なくともさっきの男は、旭との関係を誤解し、葉月はそっちもイケると判断していた。
 今まで特定の相手を作らなかった葉月が、旭を傍に置いている。それが、回りにおかしな作用をもたらしているのかもしれない。
 歯切れが悪い様子を見ても、葉月が同じように考えている可能性は高い。
 暖かい車内なのに、足元から冷えていくような感じがした。
 これが一過性のものならいいが、このまま続けばきっと葉月は別れを言い出すだろう。実際はただの友人という関係なのに。
 次にステップアップもできぬまま。
 
「もう、ないといいね。こういうこと」
「……そうだな。本当に」
 
 旭は、気づいていないフリをした。ボディーガードどころか、依頼主を危険に晒そうとしているのかもしれない。だが、それでも一緒にいたかった。葉月も同じ気持ちならいいのにと思いながら、重くなるハンドルをゆるりときった。




 帰宅して服を脱いでみると、旭の腕は想像以上に腫れ上がっていた。ここまで何事もなく運転してこられたのが不思議なくらいだ。
 
「ほら、腕!」
「いっ……、は、葉月、もっと優しく」
 
 しかし、折れたりヒビが入ったりしている様子はない。
 
「むしろ、よくこれだけで済んだもんだ。痛くもなさそうにしてたから、骨に鉄筋でも入ってるのかと思った」
「痛くないわけないだろっ。でもまあ、骨は丈夫なほうかも」
 
 葉月は冷たく絞ったタオルを、旭の腕にそっとあててくれている。
 怪我をしたのは左腕なので、自分でも冷やせる。なのにわざわざ葉月が冷やしてくれているのが嬉しくて、痛いのに尻尾を振りそうになる。葉月もそれがわかっているのか、ことさら旭に甘い。少しでも気が紛れればと考えているのかもしれない。
 
「熱……引いてきたか?」
 
 そんなことを言いながら唇で皮膚に触れるので、患部が余計に熱を持ちそうだった。
 
「あとは冷シップで平気そうだな」
「まだ……熱いかも」
 
 もう少し触れていてほしくてねだると、葉月が呆れたように溜息をつく。

「お前は本当にブレないな。ひっついててほしければひっついててやるから、腕にはおとなしくシップを貼っとけ」
 
 腕にひやりとした、濡れタオルとはまた違う冷たさが走る。
 葉月のいつも以上に冷たい手の平が、旭の頬を撫でた。
 
「で、どこに、触ってほしい?」
 
 まるで誘惑されているようだと思った。実際葉月の声はとろけるような甘さを含んでいて、もし彼が女性であれば旭はこの場で即押し倒していただろう。
 幸い、葉月への想いは下半身に直結していないため、ひたすら撫でてほしいと思うだけだった。
 何より気遣いやお詫びを含めたような申し出に、性欲絡みのことを言って失望させるのも躊躇われる。本音を言えば、少しだけ下半身を撫でてみてほしいと思ったりはした。
 
「頭を撫でてほしいかな。というか、むしろ触りたい」
 
 細い腰を抱き寄せて、自分に寄り掛からせる。二人の座ったソファが上質なスプリング音を響かせた。
 葉月は素直に体重をかけ、肩に顔を埋めながら旭を抱きしめる。そしてくすぐったいような優しい手つきで旭の頭をヨシヨシと撫でた。
 
「もっと狡いことを言うかと思ったのに、相変わらず真っ直ぐなヤツだな」
「葉月は狡いよな」
「そうだな。大人の狡さだ。お前がワガママを言えば、自分が楽になれるからな……」
「俺は葉月が好きだから、葉月が本当に俺のことを嫌いになりそうなワガママは言わないんだ」
「……そうか」
 
 弱めに入れた暖房でも暑くなるほど、お互いの体温が近くにある。
 葉月は普段、触ると嫌そうな顔をするが、いったん捕まえてしまえば割りと気持ち良さそうにしている。本当は人の体温が好きなのかもしれない。でなければ、旭と一緒のベッドで寝たりはしないはずだ。
 
「こんなふうに抱き合ってると、おかしな気分になりそうだ」
「なってもいいのに。というか、なってほしい」
「できるのか? 勃たないクセに」
「できるよ。葉月を俺だけのモノにしたいと思ってるから、お前が望んでくれたら、絶対できる」
「じゃあ、一生しないだろうな」
「一生傍にいてくれるなら、それでも構わない」
「馬鹿なヤツ」
 
 旭は薄々、葉月に対して欲情をしない理由に気づいていた。
 身体が反応をしなくなるくらい、葉月に嫌われることが怖い。葉月を襲った男の末路を、過去の話や自分の目で見てしまっている。それが精神に作用し、身体に表れているのだろう。
 幸いそれに気づいても、旭の下半身はイイコでいてくれているが、いつ暴走するかは旭自身にもわからない。これだけ強い感情を抱えていて、キスとハグで留まれるのはむしろ不自然だ。
 それに身体が反応をしないだけで、挿入以外なら問題も躊躇いもない。むしろ、もっと深い関係でありたいと切望している。

「好きだよ、葉月」
「もう散々聞いた……。おれも、友人としてなら、お前が好きだよ」
「キスを許してしまうくらい?」
「許した覚えはないぞ」
 
 友人として、と葉月は何度も言うが、それ以上の感情を抱いてくれている気はする。ただ、葉月がゲイに対して嫌悪感を抱いているのは確かだし、キス以上のことを仕掛けた際に、やっぱ無理だと言われそうな気もする。だから旭は、性的な接触を避けている。
 
「でも、葉月がキスしてくれたら、痛みも忘れられる気がするな。なーんて」
 
 しかし、そこまでに関してはむしろ積極的だった。
 葉月のいうことにおとなしく従い続けた結果、意識もされなくなって単なるオトモダチのままで終わるのはよろしくない。せめて意識だけはしていてほしかったし、純粋に葉月に触れていたかった。
 
「お前、それは卑怯だろ」
「本当のことだけどな。むしろ、葉月が優しくしてくれて、怪我したのもラッキーとか思ってるくらいだぞ?」
「連日傷が増えてて、よくそんなことが言えるもんだ」
 
 葉月は顔を上げて、旭の顎に軽いキスをした。
 
「いや、そこじゃな……」
 
 言い切る前に、今度は唇へ甘いキス。表面に触れて、そのまま頬、額、髪と口づけられて、そんなことで表情筋がどろどろに溶けた。
 
「プッ……。お前、すげえ締まりのないツラしてるぞ」
 
 その上楽しそうに笑ってくれるものだから、崩壊は限界を知らない。
 ソファに葉月を押し倒して、今度は旭からキスをする。
 いつもなら拒む葉月は旭のキスに応え、二人はソファに転がったまま、しばらく楽しそうにじゃれあっていた。
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