銀色の噛み痕

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4章

リゼルとエリス

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 逃げ出すように村を出た日は生きた心地がしなかったものだけど……今は優雅に、馬車に揺られるリゼルとの二人旅だ。とはいっても貸し切りではないので、他にも5名ほど乗り合わせている。
 前の街よりも馬車は大きく、こんな早朝でなければもっと人が乗っているのだろう。

 リゼルは流れていく景色を楽しそうに眺めている。
 自分でもあんなに速く走れるのに……。乗り物に乗るのは、また別なのかな。昔から馬車に乗るのが好きだった。こういうところは実に『男の子』らしいと思う。

 外は身を切るような寒さだったけど、馬車の中は魔法の効果でほんのり暖かい。乗客はみんな、ゆっくりとお風呂にでも浸かっているような顔。

「あの、もしかして貴方……魔なしの方ですか?」

 商人ふうの男に突然そう声をかけられて、僕は戸惑いながら頷いた。

「やっぱり! 私の知り合いにも何人かいるんですが、ここまで魔力が高い方は初めて見ます」
「ああー、なるほど。通りでやたら気持ちいいと……」

 他の乗客も、口々に言い始め、僕とリゼルに食べ物やお菓子を分けてくれはじめた。お腹が空いたら食べてねと言って。

 今まで、そんなに凄いと言われたことはなかったから、間違いなく……リゼルとのアレが原因だ。セアラも魔力が濃くなったと言っていた。
 魔力が高くなったところで僕には魔法が使えない。吐き出しどころがない。漏れ出す魔力量が増えてるってことなんだろうけど……。これでは僕は魔法が使えませんよと自己紹介してるようなものだ。何しろ、僕自身にはまったく制御できないし。

「オレには前との差が、そんなにわかんないんだけどな……」

 リゼルは不思議そうに首を傾げ、僕に身体を擦り寄せている。
 もしかして、魔力の素がリゼル自身だから?
 自分の匂いはわからない、みたいな、そんな感じなのかも。

 商人ふうの男がでっぷりしていて気づかなかったけど、その影に隠れて小さな女の子が一人いた。
 小さな……といっても、リゼルと同じ年くらいだろうか。
 リゼルは年齢にしては成長が早いから、お兄さんに見える。

 その女の子がたまにこちらに顔を覗かせては、ビクッとしてまた巨体に隠れるということを何度か繰り返している。

「おお。これはうちの孫娘のエリスです。貴方の……弟さん? が、気になるのかな」

 エリスと紹介された女の子は、商人のふっくらしたお腹にギューッとしがみついた。
 リゼルが気になるというよりは……怯えているような……。
 しかたないか、目つきが悪いから。女の子から見たら、怖いのかもな。さすがに正体に気づいてるってことは、ないと思うけど……。

「いえ、弟ではなくて息子です」
「えっ? それはずいぶん若いお父さんですね」

 最近、リゼルを息子だと言うとこんなふうに驚かれることが増えた。
 リゼルの成長が早いから、僕だと年齢があわないと思うのかもしれない。僕もそれなりにいい歳なんだけどな……。

「エリスちゃんは何歳かな?」
「は、8歳……」
「リゼルの2つ下だ」
「結構歳が近いのですね。もう少し上かと……」
「よく言われます」

 リゼルは怯える女の子に、ニコーッと人好きのする笑みを浮かべた。
 途端、エリスちゃんもパァッと顔を輝かせる。
 そう。うちの息子は目つきは悪いけど、すこぶる可愛いのだ。
 子どもが二人で仲良くしている様は、心の中がじんわりと温かくなる。
 微笑ましい光景に、馬車内の空気は更に和んだ。

「リゼルくんもまだ小さいのに、ずいぶんと子ども慣れしてますね」
「村ではエリスちゃんと同じくらいの子の面倒を見たりしてたからかもしれないですね」

 コイズの娘であるアミィ。村では一番、リゼルと歳が近かった。
 いなくなって……今頃、寂しがってるだろうな。

 正直に言うと。リゼルとお似合いだなとか、二人が夫婦になる想像をしたことが何度かある。今ではもう、考えられないけど。

 だってこんな、エリスちゃんみたいな可愛い子どもにすら嫉妬するとか。自分が最低に思えてくる。
 でも、相手が子どもだからこそ、不安にもなる。だってこのコと並ぶほうが、僕となんかよりもよほど普通だろうから。

 ウェーブがかかった金色の長い髪に、水色のリボン。白と水色のドレス。お姫様みたい。きっと何人もの男の子の初恋を奪ってきたに違いない。
 まあ、ならリゼルは王子様かといえば、安物のシャツに裾のあまるズボンで、従者としてでもちょっと……というくらいなんだけど。

「エリスはあまり、人になつかないのに。よほどリゼルくんが気に入ったのかな?」
「ん……」

 恥ずかしそうに頷く孫娘に、商人はデレデレだ。

「貴方たちはこれから、トゥボルの街に滞在する予定がおありですか?」

 次の街の名前だ。まだ朝早いし、馬車を乗り継いで更に次の街へ向かう可能性は充分にある。
 少し迷いはしたものの、多分この出会いはいい方向に働くだろうという大人的な打算で素直にハイと答えた。

「それならうちに泊まっていきませんか? 広さだけはある家なので、エリスも寂しくならずに済むでしょう」

 想像以上にありがたい申し出だった。
 宿代が浮くし、この分だと食事も出してくれそうな……。
 このお腹を見る限りではだいぶ儲かってそうだし……。

「いいんじゃないか? 財布の中身も厳しいだろ」
「こ、こら、リゼル!」

 恥ずかしすぎる。馬車内が笑いにつつまれた。
 リゼルは正体バレに関しては空気を読んでくれるのに、こういうことは堂々と言ってしまう。

「これは食事も御馳走しないといけませんね」
「やったー、肉だ!!」
「す、スミマセン……。遠慮がなくて、うちの子」

 むしろ、子どもだから許されるとわかってて口にしてそうではあるけど。
 恥ずかしいけど、これで寝床と食事はゲットだし。

「でも、迷惑にはなりませんか? エリスちゃんのお父さんとお母さんもいるでしょう」
「それが……」

 途端に顔を曇らせて泣きそうな顔をするエリスちゃん。
 幼い女の子がこうしておじいちゃんと二人だけで街から街を渡り歩いてるのだし、家へ招いてくれた時の言葉にも察せるものはあった。
 これは訊いてはいけないことを訊いてしまったか。

 商人ふうの男は孫娘の頭を優しく撫でて、悲しそうな顔をした。

「3年ほど前に……銀色の魔物に……」

 全身の血が一気に引く。
 ダメだ。顔に出しては。ただでさえ僕らは、わかりやすいらしいのに。
 リゼルも同じように、張り付いた笑顔のまま固まっていて妙な凄みがある。それを見て僕のほうは、少し落ち着いた。

「察しが悪くて申し訳ないです。エリスちゃんの前で言いにくいことを言わせてしまい……」
「いえ。大丈夫です。申し訳ないと思うのなら、泊まっていってくれればいいのです。どうです、断りにくくなったでしょう?」

 つらくないはずはないのに、明るい口調で交渉のように言う。
 エリスちゃんもキュッと口を引き結びながら、下手な笑顔を見せてくれた。

「はい、ではお言葉に甘えて……」

 リゼルが殺したわけじゃない。だから、そんなに気にする必要はない。
 そう思っても相手からしたら、きっと親の仇みたいに思われる。同じ銀色の魔物というだけで。
 それはもう、どうしようもないことなんだ……。

 馬車の空気は重くなったけど、冬の早朝、晴れた爽やかな天気のおかげで時間と共に少しずつ和らいでいった。



 商人の名前はシトレ。馬車に乗り合わせた人によると、それなりに知られた名前らしい。
 広さだけはあると言っていた家はとても立派なお屋敷で、思わず入るのを躊躇ってしまうほどだった。

 そして……屋敷へつくまでの間、リゼルは王子様よろしくエリスちゃんをお姫様抱っこして歩いた。
 孫娘は脚を悪くして歩けないと言い背負おうとするのを見て、それなら僕がと申し出た。
 正直、シトレさんのほうが恰幅がよく安定感もありそうな気はしたけど、お祖父ちゃんという年齢のシトレさんを前に、どうしても言い出さずにはいられなかったのだ。

 だけど、リゼルが……。

「シアン、まだ疲れが取れてないんだから無理すんな。オレが抱いてくよ。エリスだってお姫様抱っこのが嬉しいだろ?」

 そう乙女心をくすぐる宣言をし、実際に軽々と抱き上げてしまった。そして本当にお姫様抱っこのまま、見事お屋敷まで歩き通したのだった。

「ありがとうございました。リゼルくんは本当に力がおありですね」
「ハハッ。だってエリスは羽根のように軽いもん。なっ?」
「ふふ……。ありがと、リゼルくん」

 3人ともクスクス笑っていて、僕だけ何か、わかってないみたいで……。少し、疎外感を覚える。
 リゼルは口説くみたいな台詞を吐いているし。

「それでは、上がったところのどこでもお好きな部屋をお使いください。食事ができたら呼びにまいります」

 メイドが出迎えるとかはなかったけど、屋敷の中は明らかにシトレさん以外の手が入って見える。でなければ、何室もある部屋が、いつでも使えるようになっているとは考えにくい。
 商談などで気に入った相手を招くことができるようにしているのかもしれない。
 だって……こんな屋敷に孫娘と二人きりじゃ、本当に……寂しすぎる。

「またあとでね、リゼルくん」

 魔法がかかっているのか自動で走ってきた車椅子に乗って、エリスちゃんは一番近い部屋へ入っていった。

 僕らは2階へ上がり、一番端っこの部屋へ。
 部屋の中もとても豪華で、ベッドは二人で寝転んでも充分な広さがあった。

「わー。シアン、このベッド凄い柔らかいぞ! 部屋も宿より広いし!」

 リゼルは落ち着きなく駆け回っている。
 僕は寝ていたから気づかなかったけど……前の街でも宿に入った瞬間はこんな感じだったのかな。
 思えばリゼルが初めてうちに来た日も、こんな行動をとっていた気がする。

「リゼル、お疲れ様。ずっと抱っこしてて、腕は平気?」
「なんだ。やっぱ気づいてなかったか。エリス風魔法使えるから、本当に羽根のように軽いんだよ」
「あ……」

 頬がカァーッと熱くなった。あの会話は、そういうことか……!
 日常的に魔法を使ってる人には、きっとすぐにわかることなんだ。
 僕はリゼルならエリスちゃんくらい軽々運べるって知ってるから、よけいに頭が回らなかった。知ってるからこそ、事実が見えにくくなっていた。

 確かにそうでもなければ、シトレさんもあんなにニコニコと、まだ小さいリゼルにエリスちゃんを任せないよな……。

「あと、シアンがオレ以外を抱っこすんのもヤダったし。村では我慢してたんだぞー。シアンセンセ!」

 僕は村にいる時、抱きついてくる子たちを抱き上げることがよくあった。
 リゼルはそのたびに羨ましそうな少し寂しそうな顔をしていて、夜になれば抱っこをねだって、可愛いなあっていつも思ってたっけ。

「抱っこはしなくてもいいからさ、ギュッてして?」
「リゼル、甘え上手すぎ……」
「だろー?」

 そしてこの得意気な顔である。
 可愛くてもう、思う存分ギュッてした。





 少し早めの昼食をいただいたあと、僕とリゼルは屋敷を出て街をうろつくことにした。
 できれば近くの森で薬草摘みもしないと。今日の宿と食事代はタダで済んだけど、いつまでも厚意に甘えてはいられない。

「この街は、オレたちがよく行ってたとこと同じくらいの広さだな」
「うん。でも出店とかは並んでないね。お店もそんなにないし……家ばかりだ」

 一通り見てまわって、街を出て森へ向かう。
 今日も雲ひとつない青空だけど、気温は低い。森へ踏み込むと更に寒く、体感温度が3度は下がる気がする。

「そこまで質のいい薬草はなさそうだね……」
「もう少し奥のほう行ってみるか?」
「今日はこのあたりで、軽く摘むのでいいかな。あまり奥まで行くと、本当に寒そうだし」

 想像だけで震えがきた。おとなしくこのあたりにしゃがみこんで、薬草を摘むとしよう。
 僕が腰をおろしたのを見て、リゼルも隣に並んだ。

「なあ、シアン。エリスの足、薬草とかでなんとか治してやれないかな」
「回復魔法は効かなかったって言ってたし、精神的なものだと思うから……薬草でも無理だろうね」

 それに薬でなんとかなるなら、シトレさんの財力でもうなんとかしているだろう。

「オレのせいじゃないって、わかってんだけどさ。銀色の魔物に両親が殺された、とか聞くとさ……」
「そうだね。僕もリゼルに初めてあった時、同じようなことを考えたよ」
「シアンの両親だって……そうだろ」

 驚いた。

 確かに僕の両親は、銀色の魔物に殺されている。
 あの村で暮らしていたのだから、誰かに聞いてるだろうと思ってはいたけど……。
 リゼルがそれを話題に上らせたことはなかったし、僕も自分からは言わなかった。きっとこれに関しては、ずっと話さないままになると思ってた。

 でもリゼルは、どこかできっかけを探していたのかもしれない。それが、今日だったのだ。

 僕はリゼルと出会ったあの日、自分の境遇と重ねた。
 エリスちゃんの話を聞いた時も、僕の両親が殺された時のことが頭をよぎったけど……。リゼルが気に病まないといいなという想いのほうが、よほど強かった。

 さすがに20年近く経てば寂しさは薄れているし、何よりそれは、リゼルのおかげでもある。
 リゼルのおかげで僕は、寂しくなくなったんだ。
 夜、孤独に襲われることも、つらい夢を見ることも。

「なのにシアンは、オレを……助けてくれた。オレの親になってくれた。だからオレも……エリスのこと、なんとかしてやりたいって思うんだよ」

 本当にイイコに育ったなぁ……。目頭が熱くなってくる。

「そうだね。どんな怪我も病気も治ってしまうような薬があるといいね」
「……オレの肉とか?」
「それは絶対にダメ! それで治る確証もないし、そもそもどうやって食べさせるつもりなんだよ!」
「ダメかー」

 自分の肉を食べさせようとするなんて、まったく……。
 って、僕は人のことを言えないか。 

 薬草を摘みながら、何かいい方法はないか考えてみる。

 シトレさんの話によると、エリスちゃんの足は両親が食べられている姿を目撃したショックで動かなくなったらしい。そして、本人はその瞬間をすっかり忘れている。
 無理もない。相当に衝撃的だったろう。

 僕は両親が殺された時、家でお留守番中だったけど、それでも当時のことは記憶がおぼろげだ。

「精神的なものなら……。シアンの力でなんとかならないかな」
「……」
「…………」
「……えっ?」

 突拍子もない提案に何を言われてるかわからなくて、しばらく無言になってしまった。

「いや、僕の力っていっても、自分で何かしてるわけじゃないし、相手をリラックスさせる程度だよ?」
「魔力を今より高めて、エリスの近くで怖くないよって言ってやれば、恐怖が取り除けないかな」

 そんなの考えたこともなかった。子どもの発想は柔軟だな。
 足が動かない理由がトラウマによるものなら、確かになんとかなったりする……のか?

「でも、魔力を高めるって言ってもなぁ」

 リゼルが薬草を採取する手を止めて、ジーッと僕を見る。
 肉を食べている時のような、熱い視線。

 何を訴えられているか、すぐにわかった。

「前よりもっと凄いことしたら、もっとシアンの魔力、高くならないか?」

 前よりもっと、凄い、こと……。
 つまり、セッ……。

 いやいや、さすがにそれは!!
 それにやり方もあまりよくわからないし!

 ……でも、試すとして……あるのは恥ずかしさと気持ち良さくらい。

 いや、でも……。

「シアンは、オレとするの、やなのか? 理由なんてなくても、オレはシアンと色々したいのに」
「や、やじゃないけど……」

 少し寂しそうに言ってくるのは狡いと思う。
 僕だってしたくないわけじゃないけど、踏み込むにはリゼルはまだ幼すぎる。

 それに……。自分がどうなるかわからなくて、ちょっと怖い。
 血を飲んだだけでも、あんなふうになったのに。

 思い出して、寒さのせいだけではなく身震いした。

「エリスちゃんを助けるためにするみたいな感じがして、気が引けるよ」
「……そうだな。ゴメン。シアン優しいから、したくなくても頷きそうだし」

 だから、しょんぼりするのは狡いってば。

「そうじゃなくて。リゼルのそれは、そういうしたいとは、違う気がするから」
「そういうしたいって?」

 どう説明していいものか。一番近いと言えば、リゼルに噛まれた時のアレなんだけど。

「それがわかるようになるまでは、まだ早いなって思ってるんだ」

 昨日のだって僕にあてられただけで、リゼル自身が欲しがっていたわけじゃない。普段はもう、ピュアで可愛さしかない。

 僕から言わせればリゼルの年齢ではまだ早いってなるけど、銀色の魔物的にはもう大人らしいからな。見た目でアウトに見えても、そこは言い訳にはしないでおく。

 リゼルはしばらく考え込んだあと、こっくりと頷いた。

「シアンがそう言うなら」

 思ったよりもあっさり引かれて、少し拍子抜け。
 これは喜んでもいいところ、かな?
 あまり納得はしてなさそうだけど……。

 それからしばらくは、お互い黙々と薬草を摘んでいた。

「さて。袋もいっぱいになったし、そろそろ街に戻ろうか」

 布製の結構大きな袋にモッサリと詰まった薬草。これだけあってもたいした金額にはならない。
 宿屋暮らしをするにもギリギリだし、ましてや家を買うために貯金するなんて夢のまた夢だ。

「ウン。そうだな。夕飯も肉かな?」
「はは……」

 リゼルはそのあたりのこと、考えているようで何も考えてなさそうだよね……。

 いつまでもシトレさんに甘えているわけにもいかないから、本当になんとかしないと。
 明日はもう少し奥へ行って、希少な薬草を探すか……。

 夕飯への期待に満面の笑みを浮かべるリゼルと一緒に、街へ戻った。
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